第129話

 合宿初日の午前10時。

 栄城高校に併設されている宿舎に笹岡西高校バスケ部の面々がやってきた。


「今日からよろしくお願いしますっ!」

「「「よろしくお願いします!!!」」」


 笹西キャプテン二木空のいつも通り元気の良すぎる挨拶に続き、他の部員も頭を下げる。


「こちらこそよろしくお願いします。気をつけ! 礼!」

「「「よろしくお願いします!!!」」」


 栄城も凪に続いて挨拶をすると、空がキラキラした目で凪のことを見ていた。


「ほんとに凪がキャプテンになったんだねっ!」

「メールで聞いてましたけど、やっぱり全然違和感ないですね」


 空の言葉に笹西副キャプテンの広沢飛鳥が頷く。


「おや飛鳥、それは私がキャプテンだと違和感があったということかい?」

「えっ!? いやいや灯湖さん、そんなつもりで言ったのではなくてですね……」


 あわあわしながら言い訳を取り繕おうとする飛鳥に、灯湖がふふっと笑う。


「冗談だよ。まぁ、私よりも凪が相応しいと思ったから交代したわけだが。実際私なんかよりも立派にキャプテンとしての責務を果たしてくれているよ」

「あんたたち、無駄話してないでさっさと荷物置いてきなさい。すぐに食堂でミーティングよ」


 クールに言った凪だったが、照れているのかその頬は少し赤くなっていた。

 そのあと全員で食堂に集まり、川畑、真耶両顧問から合宿の日程や注意事項などの説明を受けた。


 基本的に毎日午前と夕方に各三時間の練習。

 昼食後の一時間は進学校らしく勉強の時間も設けられており、これには両部からちらほら不満の声が上がっていた。

 自由時間の間は他の部が体育館を使っていない場合は自主練習に使って良いことになっていたが、栄城はバスケ部以外の屋内運動部は夏休み中あまり活動していないため、ほぼバスケ部の使い放題となるだろう。


 続いて宿泊する部屋の掃除を行う。

 古い建物ではあるが定期的に清掃されているため、全体的に清潔だ。

 溜まった埃を払い、軽く拭き掃除をしてから業者が持ってきた寝具を全員で運び込む。


「いやぁ、思ったより生活しやすそうだねぇ。栄城はこんなものまで持ってるなんて、良い学校だなぁ」


 部屋を見回しながら笹西一年のリーダー的存在である岡めぐみが感心したように言った。


「私たちも最近知ったんだよぉ。何か建物があるなぁ~って思ってたはいたんだけど、泊まれるようになってるなんてねぇ」

「昔野球部が強かった時代に合宿所として建てたらしいっす。今はたまに研修とかで使われてるって聞いたっすね」

「へぇ~、ここなら快適な会定期的にできそうだね! かっか!」

「……?」

「もしかして、今のダジャレっすか?」

「あ、わかる? 星羅さすがだねぇ!」

「おい! つまらないこといってないで手伝ってくれ!」


 楽しそうに話す三人に、つらそうな声で有藤蘭が割って入る。

 その腕には布団が何枚も重ねられており、本人の姿はほとんど見えない。


「あらあら蘭ちゃん、一人で持ちすぎよ~」

「もう、バカなんだから」


 同じ一年の西川愛美奈あみなと島田陽子が呆れながら助けに入る。


「ば、バカって言うなぁ! うぅ、持てると思ったんだよぉ……!」


 二人に手伝ってもらい現れた顔は少し涙目になっていた。


「ふふふっ……蘭ちゃん、バカ……」


 小動物系少女の瀬川有紀ゆきが堪えられないといった様子で笑うと、蘭は「有紀まで!?」とショックを隠しきれないようだった。


 一年生大会を共に戦ったこともあってか、栄城と笹西の一年生たちは皆仲がいい。

 五日間寝食を共にするわけだが、この様子だと問題はなさそうだ。


 そんなことを考えていると、めぐみがニヤニヤしながら修に話しかけてきた。


「あれ、永瀬くんももしかして私たちと同部屋? それとも先輩たちの方かなぁ?」

「いや、そんなわけないでしょ。俺は川畑先生と相部屋だよ」


 宿舎での部屋割りはこうだ。

 一年生八人の大部屋と、二、三年生七人の大部屋。そして川畑と修の部屋と笹西顧問の真耶の部屋。


「なぁんだ、つまんないの。あ、真耶ちゃんが一人だからって夜這い仕掛けたりしないようにね」


 めぐみが下品な笑いを浮かべながら言う。


「はは。そんなことしないよ」


 しかし修は素っ気なく返した。

 めぐみはきょとんとして


「永瀬くん、なんか今日ノリ悪くな~い?」


 と不満そうに首を傾げた。


「こら! めぐみがウザ絡みするからでしょ!」


 陽子がめぐみを叱ってくれたおかげで解放され、修は安堵の息を吐く。

 皆には悪いが、今はおふざけに付き合っていられるような気分ではなかった。


 今朝から汐莉とは一言も言葉を交わしていない。

 昨日は汐莉は話しかけたそうにしていたが修が避けていた、という感じであったが、今日は汐莉の方も修を避けている。

 今日もいつものように朗らかに笑っているが、時折見せる表情は固い。


 それは恐らく昨日修が放った言葉のせいだろう。

 信頼を寄せてくれる人に対して突き放すようなことを言ってしまった。

 それで汐莉は傷ついて、怒っているのだ。


 様子を窺うように汐莉の方を見ていると、ふと互いの目が合ってしまった。

 お互いに一瞬目を見張ったあと、弾かれたように逸らす。


 汐莉との間にこんなにも険悪な雰囲気が漂うのは初めてのことだった。

 それに悪いのは汐莉との関係のことだけではない。


 修は今、自分がコーチとしての仕事をきちんと果たせるのか、その自信がまったくなくなっていた。

 こんな状態で有意義に合宿を乗り越えられるのかと、修は不安で頭が痛くなるのを感じた。





 その日の練習は夕方から始まった。

 合宿初日ということもあり、気分を盛り上げる意図もあって実戦形式のメニューを多くとっている。


「速攻!」


 凪の合図で栄城のメンバーが一斉に走り出す。

 先頭を走っていた菜々美にロングパスが通るが、キャッチでスピードが緩んだ隙に空がディフェンスに間に合った。


 その間に笹西のメンバーも続々自陣に戻ってくる。

 速攻を止められた菜々美がセットオフェンスに切り替えようとしたとき。


「菜々美先輩!」


 ノーマークだった汐莉がセンターライン沿いにフリースローラインへと飛び込んだ。

 すかさず菜々美が鋭いパスを送り、汐莉はキャッチと共にステップを踏み、ジャンプシュートを放った。

 スパンッと気持ちの良い音を立ててボールはネットを揺らす。


「ナイシュー汐莉!」

「菜々美先輩もナイスパスです!」


 二人が笑顔でハイタッチを交わす。

 しかし修はそれを複雑な表情で見ていた。


 あれから汐莉のシュートは完全に元通りになっていた。

 そのことは本来チームメイトとして喜ばしいことに間違いない。

 だが修の胸の奥には何やら言いようのない気持ち悪さが漂っていた。


(余計なことは考えるな……集中しろ……)


 心の中で自分に言い聞かせる。

 今の精神状態は最悪だ。しかしそれでもなんとか役割を果たさなくてはいけない。





(ふぅ、なかなか悪くない感じにはなってきたかしら)


 試合形式ゲームの二本目が終わり、凪はタオルで額を拭ってからスポーツドリンクを一口飲んだ。

 全体的に粗はあるが、元々実力や身体スペックが高いメンバーがいるのに加え、涼と菜々美の二年組や汐莉の成長もあってそれなりに戦えるチームになってきた。


 この合宿で個人としてもチームとしても、更に上の段階に進めれば、全国出場も現実味を帯びてくるだろう。

 そんなことを考えながら、他のメンバーと共に次の指示を聞くために修の元に集まった。


「トータルで見ると良い感じです。細かいところを言えば、相手の速攻やカウンターでマークマンが入れ替わったときに、ローテーションが間に合わなくてノーマークを作ってしまっているのでそこで簡単に点を取られる場面が目立ちました。ちゃんと声を掛け合って、誰が誰につくべきなのかを素早く共有してください。一年の三人は自分のマークだけじゃなくて、他は誰が誰についてるのか把握してる? それをわかってないとマークのローテーションが起こったときに誰がフリーになるのかすぐに判断できないよ」


 修が的確に指示を出すのを見て、凪はホッとした。


(最近様子がおかしいように見えたけど、ちゃんと見てるのね)


 どこかぎこちないような気がするが、ちゃんと集中できているようだ。

 凪はそう判断した。しかし。


「あと、オフェンスがほぼすべて単発で終わってしまっています。もっとオフェンスリバウンドも狙っていきましょう。特に大山先輩はオフェンスリバウンド行かなすぎです。リング下の要なんですから、もうちょっと積極的にお願いします」

「……む、わかったよ」


 晶が少し不満そうな表情で返事をした。

 すると灯湖が「待ってくれ」と手を挙げた。


「晶をマークしている飛鳥はボックスアウトが上手いし、最初から自分がリバウンドをとることよりも晶を止めることに集中している。あれを振り切るのは至難の業だ。体力も奪われるし最悪ファウルになってしまうよ。ディフェンスリバウンドは体を張ってよくとってくれているし、オフェンスリバウンドに無理に参加させない方が良いんじゃないかい?」


 灯湖が論理的かつ理知的に自分の意見を述べた。

 すると途端に修の顔色が変わり、目を泳がせて明らかに動揺した表情を見せた。


「あっ、えっと……そ、そうですね……」


 きょろきょろ動いていた目が凪の方へ向く。


「な、凪先輩はどう思いますか?」


 自信のなさそうな、すがるような目で助言を求められ、凪は思わず目を見張った。


(ちょっと、どうしたのよ……? コーチのあんたがそんな弱気な姿勢を見せたら誰も付いてこなくなるわよ……?)


部員の視線が凪に集まる。

とりあえずこの場はキャプテンとして意見を出さねばならない。


「……そうね、渕上の言う通りだと思うわ。代わりに他の選手は積極的にオフェンスリバウンドに絡むようにしましょう。外からの飛び込みリバウンドは簡単には止められないわ。あと、ちゃんとセーフティ(リバウンドに参加せず相手のカウンターに備えること)に一人は残ること……それでいいかしら?」

「は、はい。それでいいと思います……」


 修は弱々しく頷いた。


(おかしい。私に意見を求めることはこれまでもあったけど、あんな自信がなさそうにしているのは見たことがないわ)


 心配になった凪は集合を解いたあと、修にこっそり声をかけようとした。

 しかし三本目が始まるブザーがなってしまい、タイミングを失ってしまう。


「メンバー交代します。凪先輩、才木先輩、宮井さんアウト、渕上先輩、伊藤さん、美馬さんインで」


 修に言われた通り交代し、凪はベンチ横に立った。

 ふと隣を見ると、少し離れたところに汐莉が立っていた。

 その表情はいつもよりも若干暗いようで、唇を固く結んでいた。


(もしかして、二人に何かあったの……?)

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