第128話
いつの間にか勘違いをしていたのかもしれない。
自分が立派にコーチとしての役割を果たせているのだと。
ぐんぐん成長する汐莉を見て、自分の指導もなかなかのものなのだと錯覚していた。
しかしそれはただ汐莉が優秀なだけで、他の誰が教えても同じかそれ以上の成果が出ていたのだろう。
(中学時代ちやほやされてたから、思い違いをしていたんだ。俺は全国にも出ていないし、高校のレベルの高さに挫折したような、その程度のプレーヤーなんだ。なのに、そんな自分が他人に偉そうに教えることができるなんて、どうして思ってたんだろう……)
緒方に指導力の差を見せつけられ、修は「お前はコーチにふさわしくない」と言われたように感じた。
緒方の指摘に言い返すこともできず、無様に逃げるようにしてその場を去ってしまったが、自宅に帰ってからその行動を顧みてまた恥ずかしくなった。
汐莉に恩返しをしたいという理由で始めたコーチの真似事だったが、気づけばチームの正式なコーチになってしまっていて、なんとかそれもこなせていると思っていた。
だが緒方に会ってからは、自分のような者がコーチをしていてもいいのだろうか、という疑念がずっと晴れない。
このまま自分がコーチをしていて、栄城は全国に行くことなどできるのだろうか。
頭の中でそんなもやもやとした考えがぐるぐると巡っていたそのとき。
「危ない!!」
誰かが叫んだ。
それを認識した瞬間、修の頭部に何かが勢い良くぶつかる。
驚いて当たった箇所を咄嗟に手で押さえるが、思った程の痛みはなかった。
「大丈夫?」
気づけば凪が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「ごめん永瀬くん!」
汐莉が申し訳なさそうに言う。
おそらく汐莉が投げたか、カットして飛んだかしたボールが修の頭に当たったのだろう。
「い、いや大丈夫。ごめん、俺もボーッとしてた……」
今は練習の真っ只中だ。
修はプレーヤーではないが、それでも周りが見えない程に呆けているなどあり得ない。
「本当に大丈夫なの?」
「ええ。すみません」
痛みは大したことなかったし、脳が揺れている感覚もない。
修がはっきり答えると、凪はほっと息を吐いた。
「もう、しっかりしてよね。明日から合宿が始まるのに、コーチがそんなんじゃ先が思いやられるわ」
凪は軽口のつもりで言ったのだろう。それは修にもちゃんと理解できた。
しかしそれでも、胸がちくりと痛み顔が少し強ばってしまった。
結局今日はほとんど練習に身が入らなかった。
個々にやる気があったことと凪が上手くまとめてくれているおかげで大きな問題はなかったが、そのことが却って修にとって苦痛だった。
(やっぱり、俺って必要ないんじゃないだろうか……)
いたたまれなくなって、修は練習が終わるとすぐに自主練をする他部員を横目に先にアリーナをあとにした。
「待って永瀬くん!」
更衣室の前で汐莉に声をかけられた。どうやら追いかけてきたらしい。
修は気まずさを感じてそっと目を逸らした。
今朝から汐莉は修に話しかけたそうにしていたが、修が意図的に避けていたため、話すのは昨日の件以来だ。
「……何?」
自分でも内心驚く程ぶっきらぼうで低い声が出た。
汐莉は少し戸惑ったような顔を見せたが、すぐに真面目な顔になる。
「昨日のこと、謝ろうと思って……。あっちゃん、なんかすごく態度が悪かったから、永瀬くん嫌な思いしたんじゃないかと思ったの。急に帰っちゃったし……。だからごめん!」
汐莉は勢い良く頭を下げた。
本来ならば修が謝るべきことなのに、先に汐莉に頭を下げさせてしまったことに罪悪感を覚えた。
「……いや、別に気にしてないよ。俺の方こそ、態度悪かった。勝手に帰ってごめん」
修が謝ると汐莉はほっとした表情になった。
「あっちゃん、普段はあんな感じじゃないんだよ。昨日はなんだか機嫌が悪かったみたい。友達にドタキャンされたからかなぁ」
修が許してくれたことに安心したのか、汐莉は今度は緒方のフォローを始めた。
「あっちゃんとは親同士が友達だったから、昔からの付き合いで兄妹みたいなものなんだ。あの人すごくバスケ上手いんだよ! 今東京のバスケが強い大学にいるんだけど、一年のときからレギュラーで、プロのスカウトも注目してるんだって!」
汐莉が自分のことのように、緒方のことを誇らしげに語る。
すると修の胸の中にもやもやとした感情が浮き出てきた。
「今は足首を軽く怪我してるらしいんだ。本人は全然やれるって言ってるんだけど、コーチやチームメイトが止めたんだって。『敦士は無茶するから、練習を続けさせたら絶対に悪化させる』って。あっちゃん昔からすごくストイックで、ハードな練習も絶対に休まなかったんだ。だから今はほぼ強制的に休暇になって、こっちに帰って来たんだって」
汐莉が緒方についての話を続ける。
その度にもやもやは増え、大きくなっていく。
(やめろ……)
「永瀬くんが褒めてくれた私のシュートも、あっちゃんが教えてくれたんだ。って、これはもう知ってたか。あれ? てことは、あっちゃんがいなきゃ永瀬くんとここまで仲良くなることも、永瀬くんが栄城のコーチになってくれることもなかったのかな。もし私のシュートが上手くなかったら、永瀬くん私に興味持たなかっただろうし」
(聴きたくない……!)
「……なら、合宿も緒方さんに来てもらえばいいんじゃない? プレーヤーとしての実績もあって、指導も上手い人が来てくれたら、栄城はもっと強くなれるだろうし。そしたら俺もお役御免になるかな。はは……」
なんとか汐莉の言葉を遮ろうとして出てきた言葉がそれだった。
情けない渇いた笑いが出たあとに、何を言っているんだと自分自身に呆れる。
「確かにあっちゃんはすごいよ。でもあっちゃんは外部の人だし、今のコーチは永瀬くんだから。私も、基本のシュート以外は全部永瀬くんに教えてもらって上達したんだよ。これからも永瀬くんが私の……。ううん、私たちのコーチだよ」
汐莉が柔らかい声で言った。
汐莉はこれまでも、そして今も、修に対して全幅の信頼を寄せている。
それがどういう根拠からくるものなのか、修は知らない。
今まではそれでも良いと思っていた。
自分にできることは、汐莉の信頼に全力で応えること。
それが汐莉に対する恩返しになると思っていたから。
しかし緒方という自分よりも何もかもが遥かに上の存在が汐莉の近くにいたということを知った今は。
自信を失ってしまった今の修には、その根拠のわからない信頼がプレッシャーになってしまっていた。
「いや、でも俺は宮井さんのフォームの異変に気づかなかったし……。それどころか、余計なこと教えて宮井さんのフォームを崩す原因を作ってしまった。多分、俺はコーチに向いてないんだよ。と言うか、器じゃないんだ」
そんなこと言う必要がないのに、どんどん卑屈な言葉が溢れてくる。
しかし汐莉は熱心に修の言葉を否定する。
「そんなことないよ! 永瀬くんはすごいコーチだよ! 永瀬くんについていけば、絶対全国に行けるって、私……」
その言葉を聴いた瞬間、修の胸に溜まっていた感情が爆発した。
「もうやめてくれ!」
気づいたときには叫んでいた。
汐莉が肩を跳ね上げ驚きの表情を浮かべる。
それを見て一瞬修の胸にも動揺が走ったが、開いた口を止めることはできなかった。
「俺は……俺には宮井さんが思っているような力はないんだ……。だからもう俺を、そんな期待のこもった目で見ないでくれ。正直しんどいんだよ……!」
汐莉からの返事はなかった。
廊下はしんと静まりかえり、二階のアリーナでボールが跳ねる低い音だけが響いている。
修はハッとした。
自分は今何てことを言ってしまったのだろう。
汐莉は修を励まそうとしてくれていただけなのに。
だが気持ちがぐちゃぐちゃになってしまっている修には、謝ることも、言い繕うこともできない程余裕がなかった。
「……っ、帰るよ」
修は汐莉の表情を見ることができず、すぐさま汐莉に背を向け、飛び込むように男子更衣室の扉をくぐった。
更衣室に入るなり、ロッカーにもたれて座り込むと膝に顔を埋めて頭を抱える。
幸い他に利用者はおらず、人目をはばかる必要はなかった。
汐莉はきっと困惑しているだろう。
それとも怒っただろうか。
緒方を信頼するような口ぶりをする汐莉に、嫉妬から卑屈な嫌みを言って。
それなのに汐莉が修への信頼を口にすればそれに耐えられないと怒り散らす。
汐莉は訳がわからなかったに違いない。
しかし困ったことに修自身もなぜあんなことを、あんなに声を荒げて言ってしまったのか、まったく理解できなかった。
今修の胸にあるのはとてつもない自己嫌悪だけだ。
自分の感情をコントロールできずに、他人に当たり散らしてしまうなんて……。
まるで少し前の自分に逆戻りしてしまったようで、自分自身に嫌気が差し、修は唇を噛んだ。
数分後、ある程度落ち着きを取り戻した修は着替えを済ませて更衣室を出た。
当然だが廊下に汐莉の姿はなかった。
(明日から合宿なのに……俺、最低だ)
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