第126話
翌日、体育館で会っても修は汐莉に昨日のことを訊けずにいた。
何故か正面から訊く勇気が出ず、遠回しに訊いたとしてもおそらく花火大会のことを訊いたときのようにはぐらかされてしまいそうな気がしたからだ。
(かなり仲良さそうに見えたけど、一体誰だったんだろう……)
汐莉に兄弟がいるという話は聞いたことがない。
あの距離感で接することのできる関係で、家族でないとするならば考えられる選択肢は多くはない。
(いや、なんでそんなこと気になってるんだ。宮井さんが街を誰と歩いていようと俺には関係ないだろ……)
気づくと先輩たちがやって来ており、部員が全員集まっている。
そろそろ練習が始まろうというのに、コーチの修が集中できていないのは良くない。
修は無理やり頭から汐莉の隣にいた男のことを振り払う。
これからのことを考えると、練習は一秒たりとも無駄にはできない。
修は両手で自分の頬を叩き、気合いを入れ直した。
練習の終盤に差し掛かったあたりで、修は違和感に眉をひそめた。
部員は全員士気も高く、厳しい練習にも集中を切らさずとても雰囲気がいい。
しかし一人だけ様子がおかしいような気がする。
いつもと違うというか、いつも見ていたものが今日は見られていない、そんな感覚。
そしてそのなんとなく覚えていた違和感が、はっきりとしたものに変わった。
汐莉がフリーの状態でボールを受けた。
いつものように美しいフォームで放たれたボールは、いつものように美しい放物線を描きながらぐんぐんゴールに近づき、そしていつもとは違ってリングに弾かれる。
「惜しいよ! どんどん撃ってこう!」
リバウンドをとった晶を筆頭に、周りの者も声で鼓舞する。
しかし汐莉は険しい表情で唇を噛み、少しだけ首を傾げた。
(宮井さん、今日はほとんどシュートが入っていない……)
もちろん汐莉だってミドルシュートが百発百中なわけではない。
キャッチやステップが少しでもずれたり、ディフェンスのプレッシャーがあったりすれば、普段からシュートを外す姿もよく見られる。
しかし今のように完全フリーで、かつシュートフォームの乱れもなくいつも通り完璧なジャンプシュートを撃てているのに、それが入らないというのはあまりに珍しい。
しかもそれが今日は何本もあった。
思い返してみれば、昨日もシュート成功率がいつもより低かった気がする。
だが人間誰だって調子の悪い日はある。
だから昨日はたまたま汐莉がその日だっただけだと気にも留めていなかった。
しかし二日連続の不調で、昨日よりも今日の方が悪いとなると、さすがに気になってしまう。
(だけどシュートフォームが崩れてるわけじゃない……。いつも通り撃てているのに入っていない? それとも、俺が気づかない程小さなズレがあるのか……?)
考えてみるが答えは見つからない。
そんな修の前で、汐莉が再びジャンプシュートを放つ。
しかしやはりそのシュートがゴールリングを通過することはなかった。
「宮井さん、もしかしてだけど、どこか怪我してるとかない?」
見ていても原因がわからなかった修は休憩中、唯一考えられた可能性を汐莉に尋ねてみた。
小さな怪我でもその痛みが微妙にシュートに影響を与えるということは少なくない。
「……ううん、ぜんぜん痛いとこなんてないよ。どうして?」
汐莉は一瞬、少しだけ目を見開いたように見えたが、すぐにきょとんとした表情で言った。
「いや、違うならいいんだ。気にしないで」
いっそのこと違和感を指摘しようかとも思ったが、たった二日間調子が悪かっただけだ。
指摘してしまうことで逆に意識しすぎてしまい悪化する可能性もある。
少なくとも修がその違和感の原因をわかっていない今、余計なことは言わない方がいいと判断した。
その翌日は他校で練習試合だった。
相手はいわゆる弱小校で、今の栄城でも充分圧倒できるレベルであり、途中メンバーを交代しつつ様々なフォーメーションを試す。
しかしそこでも汐莉のシュートは鳴りを潜めていた。
時折良いスペースに走り込み、レイアップを決めるなど動き自体はとても良く、確実に成長しているように思える。
だがミドルシュートだけが入らない。
シュートだけは熟練者にも引けを取らない汐莉がここまでシュートを外すのは、もう異変と言っても差し支えないだろう。
「宮井さん、最近ミドルの確率がかなり悪いみたいだけど、自覚はある?」
試合終了後、他の部員に聞こえないように小声で尋ねてみると、汐莉は眉をぴくりと動かして真顔になった。
そしてゆっくりと頷く。
「うん……。でも、撃った感覚としてはぜんぜん悪くないんだよ。いつもと同じように撃ててるし、撃った瞬間『入った』って思うこともあるけど……」
汐莉が険しい表情で自分の右手を見つめる。
「それでも入らないんだ?」
汐莉の言葉を修が補うと、汐莉はこくりと首を縦に振った。
(参ったな……)
汐莉の中でおかしな感覚があるなら、それを改善すれば良い話だったが、汐莉にもその感覚がないとなれば、いよいよどうしようもない。
「あ! でもあんまり気にしないで! 今はちょっと調子が悪いだけで、練習してれば治るよ!」
汐莉が場の空気を和ませるように明るく言う。
しかし修は汐莉に的確なアドバイスをしてあげられなかったことに少し落ち込んでしまった。
「ごめん……」
「永瀬くんが謝るようなことじゃないよ。多分、どこかが微妙にずれてるんだと思う。帰ったらシューティングだね」
「そ、それなら俺も手伝うよ! 側で見てたら何かわかるかもしれないし!」
修が変な使命感に駆られて手伝いを申し出ると、汐莉は焦ったような表情を浮かべ「え~っと今日は確か……」と何やら考えを巡らせていた。
そして何かを思い出して安心した顔になると
「じゃあお願いしようかな」
と笑った。
修は汐莉が何に対して焦っていたのかが気になったが、そのことについては訊かないことにした。
一旦帰宅して昼食をとったあと、すぐに汐莉の練習コートへ向かう。
いつものように自転車で風を切りながら進むと目的地が見えてきた。
しかしそこにはいつもと違う光景が広がっていた。
汐莉といつも練習している屋外コートの中に、なんと見知らぬ男の姿があった。
その男は一人で黙々とシュート練習をしている。
(だ、誰だ……?)
予想外の出来事に修は混乱して、一旦少し遠い場所で自転車を停める。
よく見るとコートの扉が開いていた。
汐莉が前回使ったときに鍵を閉め忘れていたのだろうか。
それであの男が入ることができたのかもしれない。
しかしあそこは汐莉の知り合いのもので、扉の横にはっきりと私有地と書いてある。
見落としているのか気づいた上で使っているのかはわからないが、どちらにせよあのまま使わせておくわけにはいかない。
見た感じ自分よりも年上だったので少し気後れするが、腹をくくって近付いていく。
最悪すぐに逃げられるようにフェンスを挟んで声をかけようとした時、修はあることに気がついた。
(この人、めちゃくちゃ上手い……!)
先程よりフリースローラインの少し後ろの辺りから、何本もシュートを放っているが一本も外していない。
しかもその場からまったく動かずに、である。
ボールは一つしかなく、リバウンダーもいないにも拘わらず、その場から動かずに何度もシュートを撃てる理由。
それは
綺麗な縦のバックスピンがかかったボールは、リングにまったく触れることなく、バスッという乾いた音を立ててネットを揺らす。
そして落下したボールは転々と跳ねながらシューターの元へと戻っていくのだ。
さすがに普通に撃っただけではそこまで戻ってはこない。
おそらく意図的に回転数を増やして、きちんと戻ってくるようにしているのだろう。
そしてそれを可能にする美しいシュートフォーム。
軽く撃っているように見えるが体は一本芯が通っていると思えるほど真っ直ぐ伸び、肩から肘はしなるように軟らかいが手首のスナップは力強い。
修は声をかけようとして開けた口を閉じるのも忘れて見とれてしまっていた。
(というかこのフォーム、誰かに似ているような気がする……)
そう思ったとき、修の気配に気づいたのか男が振り返った。
修と男の目が合う。
(あれ、この人どこかで見たことあるような……)
はっきりとした記憶があるわけではないが、なんとなく見覚えがあるような気がする。
「? 何か用かい?」
すると男が不審そうな顔で話しかけてきたので、修は自分の目的を思い出した。
コートを無断使用しているこの男に退場願わなくては。
「あ、あの、ここ、私有地なんですけど……」
修は私有地と書かれた看板を指差しながらおそるおそる言った。
しかし男は
「うん。知ってるよ」
と悪びれる様子もなく言った。
その態度が癪に障り、修が注意しようとしたとき、背後からよく知る少女の声が聞こえてきた。
「あっちゃん!? なんでいるの!?」
振り向くと練習着姿の汐莉が驚いた表情で立っていた。
どうやら汐莉の知り合いだったらしい。
「いちゃまずかったか?」
「そ、そうじゃないけど……。今日は友達のとこに行くって言ってたから……」
「あぁ、なんか彼女に呼び出し食らったとかでドタキャンだよ」
汐莉が「あっちゃん」と呼んだその男は、気さくに汐莉との会話に応じていた。
「あ!」
そこで修は思い出した。確かに修はこの男を見たことがある。
一昨日平田とカフェでいたときに見かけた、汐莉と一緒に歩いていた男だ。
修の驚いた声で二人の視線が集まる。
「汐莉、この子は?」
「あ、えーと、女バスのマネージャー兼コーチの永瀬くん」
汐莉の紹介を受けて修は反射的にぺこりと頭を下げた。
そして汐莉は修の方に向き直ると、今度は男の紹介をしてくれた。
「それで、この人は
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