第124話

 翌朝。

 部活で登校した修がいつものように練習の準備をしていると、いつもより早くやってきた灯湖が晶と凪を伴って、神妙な面持ちで話しかけてきた。


「永瀬君、大事な話があるんだ。少しいいかな?」


 修が頷くと四人はステージ横の音響設備やピアノが置かれているスペースに移動する。

 普段からあまり使われていないせいか、とても埃っぽくてじめじめしていた。


 三年三人からこんなところに呼び出されて、一体何の話だろうと修が少しビクついていると、最初に口を開いたのは凪だった。


「で? 大事な話って何よ?」


 その言葉に晶とうんうん頷き、じっと灯湖を見つめていた。

 どうやらこの二人も灯湖に集められたらしく、話の内容も知らないようだった。


「ここのところ、ずっと考えていたことがある。そのことで、三人にも相談をしようと思ってね。……いや、相談というより、お願いになるかもしれないが」

「へぇ。大山にならともかく、あんたが私にも相談なんて珍しいじゃない」


 凪は少し面食らったような表情になる。


「というより、この話で一番関係があるのは凪、君なんだ」

「私が?」


 灯湖は一瞬申し訳なさそうな顔を見せたあと、すぐに真剣な表情になる。


「凪。私とキャプテンを交代して欲しいんだ」

「「えっ?」」


 予想外の発言に修と晶は声を揃えて驚いた。

 凪は眉をひそめて腰に両手をつける。


「どういうこと?」

「ずっと考えていたんだ。私は長い間このチームに迷惑をかけ続けてきた。そんな私がのうのうとキャプテンの座にいていいのだろうか。これまでろくにキャプテンとしての責務を全うしてこなかったのに……。今、栄城は全国を目指して精進している。そう皆を奮い立たせたのは凪、君だ。そしてチームの先頭に立って、統率し、鼓舞してきたのも君だ。誰がどう見たって、キャプテンに相応しいのは渕上灯湖ではなく、市ノ瀬凪だ」


 静かに語る灯湖からは後悔と自責の念が伝わってくる。

 と同時に、心の底から凪がキャプテンとして適しているという思いも感じられた。


「私よりも君がキャプテンを務めることが、絶対にチームにとってプラスになる。代わるならもう今しかないと思うんだ。わがままな提案だというのは充分承知している。けれどどうか、引き受けてもらえないだろうか」


 そう言って灯湖は深々と頭を下げた。

 晶は視線をおろおろさせて灯湖と凪を交互に見ている。

 凪は思案しているような表情で灯湖の頭頂部を見つめていた。

 灯湖はまだ頭を上げようとしない。

 すると凪がはぁーっと長いため息を吐いた。


「渕上、一旦顔上げなさい」


 灯湖がゆっくりと頭を上げる。

 凪は少し厳しい目で灯湖と視線を合わせ、灯湖もじっと受け止めた。


「別に引き受けるのは構わないわ。でも、その前に確認しておきたいことがある。あんた、キャプテンの責務を全うしてこなかったって言ったわね。でも、だったらなおさらあんたはキャプテンを続けるべきだと思う。今まで放棄してきた責任を、これからの努力で部員たちに果たすべきだと思う。じゃなきゃあんたはただ責任逃れで、私に責任を押し付けたように見えるわ。私にとっても、多分他の皆にとっても」


 灯湖の眉間が段々と厳しくなっていく。

 それは凪に図星を突かれているからなのだろうか。


「もしかして、あんたはキャプテンとしての責任から逃げたいんじゃないの? もしそうなら、そんな自分勝手な提案は受け入れられないわ」

「凪! それは言い過ぎじゃ……」


 見かねた晶が凪を咎めようと前に出ようとした。

 しかしそれを灯湖が手を伸ばして制止する。


「私がキャプテンを交代して欲しい理由は、実はもう一つある」

「……何?」

「一昨日、君と一対一をして、完全に抑えられたときに思ったんだ。私の実力はこんなものか? と。もちろん君のディフェンス能力が高いのは理解しているし、県でもトップクラスだと思っているよ。だけど、それを差し引いても、私の実力はこんなものじゃないと、ふつふつと熱い感情が湧き上がってきたんだ」


 灯湖は自分の胸に手を当てると、Tシャツをギュッと強く握りしめた。


「自惚れに聴こえるかもしれないが、私はこのチームで最も得点能力が高いと思っている。だけど、今のままじゃ駄目なんだ。これじゃあ強豪校には通用しない。もっと上手くならなければならないんだ。でも私は不器用だから、皆をまとめながら自分を高めることは難しい。だから私はキャプテンを降りたい。そして、真のエースを目指す」


 灯湖の口から行われたエース宣言。

 修も凪も晶もハッと息を飲む。


「……それは本当にチームを思ってのこと?」


 凪の問いに灯湖はゆっくり力強く頷いた。


「これまで放棄してきた責任は、プレーで返したい。……いや、プレーで返す」


 その目は真剣そのもので、内に秘めたる闘志が押さえきれずに溢れているように見えた。

 凪はその視線に射抜かれたように目を見開いていたが、やがて満足そうに笑った。


「……わかったわ。私がキャプテンを引き継ぐ」

「……ありがとう、凪」


 灯湖は安心したようにホッと息を吐いた。


「あんたたちも、文句ないわよね?」


 凪が修と晶に視線を動かす。


「もちろん、文句なんてありませんよ」


 凪のキャプテンシーの高さは、中学時代同じくキャプテンをしていた修から見ても目を見張る程だ。

 今の灯湖がキャプテンに相応しくないとは思わないが、話を聴く限り灯湖がキャプテンを降りることも、凪がキャプテンになることも、どちらもチームにとってプラスになると思えた。


「あたしも、良いと思う」


 晶も続いて頷いた。





「……ということで、今後は渕上さんに代わって市ノ瀬さんがキャプテンとなります。では、新旧キャプテンから挨拶を」


 部活開始前のミーティング。

 川畑に促され、まずは灯湖が前に出た。


「突然のことですまない。けれど、じっくり考えた結果これがチームとして最良だと判断した。とはいえ、元々最近の練習は実質的に凪が仕切っていたし、皆はこれまでと同じように凪についていってほしい。私はプレーで皆の支えになれるよう努力する」


 続いて凪が挨拶をする。


「キャプテンが代わっても私たちのやること、目指す場所は変わらないわ。全員で協力して、チームとして更にレベルアップしていきましょう。何か意見や質問はあるかしら?」


 部員がお互いの顔を見合わせる。

 突然のキャプテン交代で多少の驚きは見られるが、困惑の色は見られず、反対意見もなかった。


「よし、それじゃあミーティングは終わり。早速練習に入るわよ」


 各々元気よく返事をして中央のサークルに集まり円陣を組んだ。

 いつもならそこでキャプテンの声出しからスタートだ。

 しかし円陣はシーンと静まり返る。


「凪、君の声出しからだぞ」

「あっ! そ、そうだったわね!」


 灯湖に言われて凪が慌てたのを見て、星羅がニヤリと笑う。


「凪さん、緊張してるんすか?」

「うっさいわね! 忘れてただけよ!」


 凪が頬を赤く染めながら咳払いをした。


「さぁ、毎日が成長よ! レッツゴー栄城!」

「「「おーー!!!」」」


 凪の声出しに部員全員がレスポンスを返し練習が始まった。

 凪キャプテンの新体制の始動である。





 練習は滞りなく終了した。

 灯湖が言っていたように、以前から実質的に練習を指揮していたのは凪だったので特に問題も起こらなかった。


 凪は練習後、修にぽつり「中学以来だったからちょっとだけ緊張したわ」と漏らしていたが、修の目にはそうは映らなかった。


「いえ、いつも以上に立派でした。かっこよかったですよ」


 修がそう答えると、凪は頬を染めてムスッとした顔になって、


「そ、そう? ありがと……」


 と、そっぽを向いて離れて行ってしまった。


(なんかまずいこと言ったかな……?)


 凪のとった不可解な行動に困惑していると、今度は汐莉がやってきた。


「永瀬くん、昨日相馬さんから連絡はきた?」

「うん。夜に電話があったよ。それがどうかした?」

「ううん、別に。ちょっと気になっただけだよ」


 そう言って汐莉はすぐに自主練習に戻っていってしまった。

 その顔はなんとなく不機嫌そうにも見えたが気のせいだろうか。


「永瀬君、ちょっといいかな」

「あ、はい。なんですか」


 川畑に呼ばれて駆け足でそばまで近づいた。


「合宿の日程を組むのを少し手伝ってもらえないかい? 一応他の運動部の顧問の先生に相談して、仮の表を作ってきたんだけど……」

「いいですよ。どんな感じですか?」


 修は川畑が広げた日程表を覗きこむ。

 そこには細かくさまざまなことがびっしりと書き連ねられたタイムテーブルが印刷されていて驚いた。


(先生も気合い入ってるんだな。俺も頑張らなくちゃ)

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