第122話

 その日の夜。

 修は就寝前のフリータイムに、ベッドに仰向けで寝転がって今日の出来事を思い出していた。


 汐莉との練習に突然乱入してきた少女。

 それが幼い頃、一緒にバスケをしたことがあったリンちゃんこと相馬凛であったのには驚いた。


 何せ六年ぶりの再会だ。

 修の凛に対する記憶はかなり曖昧だったが、凛は修のことをはっきりと覚えていた。

 たった一度一緒に遊んだだけなのに、よく覚えていたものだなぁと変に感心してしまった。


 それに、凛が立ち去った後汐莉が話していたことも衝撃的だ。

 凛があの名瀬高のバスケ部だったとは。

 修はまったく気づいていなかったが、汐莉は一目見た瞬間気づいていたらしい。


 そのあと思い出したことだが、たしか総体で名瀬高の試合を見たあと、汐莉は一年生で試合に出ていた子が印象に残ったと言っていた。

 それが凛だったらしい。


(一年にして名瀬高の控えメンバーに入って、それに全国大会に出場するまでになったなんて……)


 きっと相当な努力を積み重ねてきたのだろう。


 ――バスケをしてたらいつかまた会えるんじゃないかと思ってた。


 凛は目を潤ませながらそう言っていた。

 名前しか知らない、一度だけ共にバスケをしただけの少年に会いたい一心で、これまでバスケをしてきたのだと。


 自分が凛にそれ程までの影響を与えた実感はまったくなかったが、自分にまた会いたいと思ってくれていたことと、修が教えたバスケを今でも続けてくれているということは、改めて考えても素直に嬉しいことだった。


 すると突然スマホが震えだした。

 画面を見てみると、見計らったように凛の名前が浮かび上がっている。

 修は少し緊張しながら通話をタップしてスマホを耳に当てる。


「もしもし」

『ハ~イ! シュウくん。まだ起きてた?』


 凛は電話口でも伝わる無邪気な明るい声だった。


「起きてたよ。どうしたの?」

『シュウくんとお話したくて電話したの』


 いたずらっぽく言う凛に修はドキッとした。

 そこには、ただ久し振りに会った友人と話したかった、という意味以外も込められているような感じがしたからだ。


 少し前までならそんな風には捉えることができなかったが、凪に告白されて以降、そういうことにも敏感、というより過敏になっているのかもしれない。


『今日はごめんなさい。急に現れておいて、急に帰っちゃったりして。早く帰ってこいって親に言われてたのに、シュウくんに会えたのと、シオリとの勝負で忘れちゃってたの』


 そんな修の気持ちもつゆ知らず、凛は申し訳なさそうに言った。


「あぁ、いや、別に大丈夫だよ。リンちゃん、あの辺りに住んでるの?」

『いいえ、あの辺りにおばあちゃんちがあるの。元々家族の用事で来てたんだけど、暇だったから散歩がてらランニングしてたのよ。今はもう実家に帰ってるけど』

「そうなんだ。じゃあ六年前もそれでこっちの方の公園で遊んでたんだ」

『そういうこと。シュウくんは?』

「俺もばあちゃんちが近いんだ。実家は他県で遠いんだけど、六年前は親の里帰りで来てて、今はこっちの高校に通ってるからそのばあちゃんちで住んでる」

『あぁ、そういうことだったんだ……。それじゃあ、六年前に出会えたのも、今日再会できたのも、運命だったってことね!』

「う、運命?」

『そう! 運命よ!』


 突然ファンタジーなことを言われて修はたじろいだが、凛は至って真面目のようだ。


『あの時私とシュウくん、どちらかがおばあちゃんちに行ってなければ、出会うことはなかった……。そして今日、私がランニングしなければ、再会することもなかった……。そう考えると、運命的なものを感じない?』


 凛はうっとりとした声で言った。

 中学のときも、クラスメイトの女子が運命がどうこうで騒いでいたのを聞いたことがあったため、女子は総じてそういうのが好きなのだなと思いつつ、修自身も確かに運命的なものを感じなくもないな、と思った。


「まぁ、否定はしないよ」

『シュウくん、話がわかるわね!』


 修が同意したことに対して凛は嬉しそうに声を弾ませた。


『それに、バスケが私たちを繋ぎ留めてくれたのかな、とも思ったわ。だって、もし私がバスケを続けていなければ、ランニング中にバスケットコートで練習してるキミとシオリを見ても、近づこうと思わないもの。バスケの神様に感謝しなくちゃ』


 そこで修は気になっていたことを思い出した。


「それにしても、よく俺のこと覚えてたね。一緒にバスケしたのもほんの数時間だったのに」


 俺はあんまり覚えてなかったけど、という言葉をつけるのは、さすがに酷であるし、これ程再会を喜んでいる相手に言うのは失礼だと思って胸の内に留める。


『覚えてるわよ。あのときのことは昨日のことのように鮮明に思い出せるわ』


 そう言う凛の声はとても穏やかで、電話ごしでも彼女が微笑んでいるのがわかった。


『シュウくんにとっては、多分暇潰しの他愛もない時間だったでしょうけど、私には違ったの』


 凛は穏やかな声でゆっくりと過去を振り返る。


『あのときの私は運動音痴で、クラスの子たちからどんくさい、運動の才能がないって笑われてたわ。それが悔しくて、一人で色んな運動の練習をしてた。鉄棒や縄跳び、サッカーなんかの球技もね。でも、全然上手くならなかった……。その日も、一人で鉄棒の練習をしようと思ってたの。そしたら、シュウくん、キミがバスケしてた』


 修もその頃のことを思い出す。

 祖母の明子の家には娯楽の類いはなかったし、ゲームもあまりしなかった修は、ボール一つを持って公園に行ったのだ。


『その姿がとても楽しそうで、キラキラしてて……。この子と一緒に練習すれば、私も上手くなれるかも。そう思ってキミに話しかけたんだ。ずっごくドキドキしたよ。知らない子だったし、急に話しかけて、怖がられるかもとか、逆にいじめられるかもとか思って。でもキミは、にっこり笑って「いいよ、一緒にやろう!」って言ってくれた』


 そうだ。

 確か、いきなり話しかけられて驚いたことを覚えている。

 しかしあのときの凛は修のことを褒めてくれ、さらに自分にも教えて欲しいと言ってきた。

 あのときの修はバスケに興味を持っている人は全員友達だと思っていたので、その言葉が嬉しくてすぐにOKしたのだ。


『そのあとドリブルやパスを教えてくれたんだけど、やっぱり私は上手くいかなかった。それで、私は半分べそをかきながら、「運動の才能がないんだ」って言ったの。そしたらね、シュウくん。キミが言ってくれたんだよ』



 ――ううん! リンちゃん、絶対うまくなるよ! だってすごく一生けん命だもん。才能なんて関係ないよ!



 凛の言葉で修も段々と当時を思い出してきた。

 確かに凛は教えてもすぐには上手くできなかった。

 しかし短い時間ではあったものの、その練習で凛は本気で上手くなろうと努力しているとはっきりわかった。

 それが嬉しかったし、こんなにも一生懸命に自分の苦手と向き合う凛をすごいと思った。

 だから修は泣きそうな顔で俯く少女に、自分の本心を伝えたのだ。


『そのとき私の世界が変わったの。私の努力を認めてくれる人がいるんだ。今は出来なくても、努力すれば絶対に上手くなれるんだって』


 自分としては別に凛を励まそうとか思っておらず、ただ思ったことを伝えただけだった。

 しかしまさかその言葉が他人にそこまで響いていたとは思っていなくて、修は背中がむず痒くなるのを感じた。


『ねぇ、私、上手くなったよ。今、県優勝校の名瀬にいるの。この前の全国大会だって、ちょっとだけだけど出たんだから。得点だって取ったわ!』


 凛が誇らしげに言う。

 しかしそこには嫌みな感じなどなく、自分の努力をただ純粋に褒めてもらいたいという雰囲気が感じ取れた。


「うん。本当にすごいよ……。いっぱい努力したんだな」


 だから修はしっかりと凛を褒めてあげた。

 それもあのときと同じように、ただの自分の本心だった。


『ほんとに、頑張ったんだから……』


 凛が蕩けそうなほど甘えた声で呟いた。

 同年代の女子からこんな声をかけられたことがなかった修は思わずうろたえてしまう。

 おかしな雰囲気を感じとり、修は気まずくて黙り込んでしまった。


(これは、もっと褒めてくれるのを待ってるんだろうか……)

『そういえば、シオリとはどんな関係なの?』


 修がどうすればいいのかわからず困っていると、ありがたいことに凛から新しい話題を振ってくれた。

 飛び付くようにその話題に乗っかる。


「宮井さんは俺が通ってる栄城高校のバスケ部だよ。俺はその部のマネージャーをやってるんだ。だからチームメイトってわけだな」

『へぇ、女子部のマネをやってるんだ』

「うん。栄城には男子バスケ部がないからな」

『あのコートは、シオリの知り合いの持ち物だって言ってたわよね。あそこではよく練習してるの?』

「いや、最近はあんまりやってないよ。週一程度かな」

『二人で?』

「そうだけど……」

『男女二人で休みの日に会ってるけど、ただのチームメイトなの?』

「……そうだよ」

『ふーん……』


 凛は含みのある返事をした。

 なんだか途中から質問が詰問になっている気がする。

 凛がどういう意図を持ってこんなことを尋ねてくるのかよくわからないが、修が今答えたことが真実で、勘繰られるようなことは何もない。


『まぁ、いいわ』


 凛は少し納得がいってなさそうであったが引き下がってくれた。

 そして気を取り直してといった具合に話を続ける。


『それであのシオリって子だけど、面白いわね。まさか私が高校から始めた初心者にしてやられるとは思わなかったわ。最後のフェイントは、足元が滑って少しだけ焦ったっていうのもあったけど、完全にシュートだと思った。それくらい綺麗なフォームだったわ』


 凛は感心したように言った。


『他はまだまだってトコだけど、高校始めであそこまでできるなら、ウィンターには更にできるようになるわね』

「リンちゃん程のプレーヤーでもそう思うんだね」

『ええ。言ったでしょ? 私見る目あるって。私が目をつけた子は、大抵数ヶ月から数年後に覚醒するの。間違いないわ』


 自信満々に言うその言葉は、決して誇張ではないというのが伝わってくる。

 これで汐莉は修だけでなく、中学時代四強で優秀選手の凪、一年にして県ナンバーワン校で控えメンバーに入っている凛にもお墨付きをもらった。

 やはり汐莉の素質はかなりのもののようだ。

 凛に褒められたことで修はなんだか自分のことのように嬉しくなる。


「順調に育てば、宮井さんはうちのエースを担える存在になるかもしれない。いや、全国に出るにはそうなってもらわなきゃ困る」

『へぇ。シュウくんの学校、栄城、だっけ? 全国目指してるんだ』

「あぁ。名瀬にいるリンちゃんには滑稽な話に聞こえるかもしれないけど、本気だ。ウィンターカップでは名瀬も中村学園も倒して栄城が全国に行くよ」


 決して自信があるわけではない。

 しかし、その意気込みは確かだった。


『……強敵になりそうね』


 すると凛が真剣なトーンで、どこか嬉しそうに言った。


「……笑ったりしないんだな」

『笑うわけないわ! だってシュウくんが言ってるんですもの。シュウくんが教えてるチームが弱いわけないもの。だから、戦えるのを本当に楽しみにしてる』


 あまりにも凛が修を信頼し過ぎているようで、修は思わず苦笑してしまった。

 恐らく六年前の出来事が印象に残り過ぎて、修を過大評価してしまっているのだろう。


(怪我だけじゃなくて、精神的な理由で一度ドロップアウトしたことを知ったら、リンちゃんは俺を軽蔑するだろうか……)


 凛が修を偉大なプレーヤーであるかのような眼差しを、言葉を向ければ向ける程、修はその事実を言い出せなくなってしまった。

 それは凛の夢を壊すことを恐れているのか、それとも自分の醜い真実をさらけ出すことを恐れているのかはわからなかった。


『ま、それよりも自分のことが先決だけどね。偉そうなこと言ってるけど、私はまだ控えメンバーだし。でも、ウィンターカップまでには必ずスタメンに入ってみせる』

「道のりは厳しそうだな」


 身長と体つきからして恐らく凛はアウトサイドプレーヤーだろう。

 しかし名瀬高の一番から三番には全国クラスの若月姉妹と正確無比なシューターの菱川嘉音がいる。

 そこに割って入るのはいくら凛と言えども骨が折れそうだ。


『ええ。でも、勝ち取ってみせる』


 静かに呟いたその言葉はまるで宣誓のように聴こえた。


「そっか。リンちゃんならやれるよ。頑張れ」


 本来なら敵チームの選手に塩を送るべきではないかもしれない。

 しかし凛から溢れ出る思いを感じてしまうと、応援せずにはいられなかった。


『うん、ありがと……』


 凛は照れ臭そうにふふっと笑った。


『シュウくんに頑張れって言ってもらえたから、満足ね。今日はこの辺でお開きにしましょうか』

「あぁ、わかった」

『ホントはもっとお話したいし、なんならデートの約束だって取り付けたいところだけど、明日も部活で早いの。それに、明日以降お休みもほとんどないし……。その辺りは強豪校のつらいところよね』


 凛は深いため息を吐いて残念そうに言った。


『でも、近いうちにまた会いましょう。シュウくんが迷惑じゃなきゃだけど……』

「迷惑なんかじゃないよ」


 少しだけ不安そうな凛に、修は柔らかい声で即答した。

 凛が安心したようにホッと息を吐く。


『よかった。それじゃ、またね。おやすみなさい』

「うん、おやすみ」


 数秒後、通話が切れたので修はスマホを耳から下ろした。


(リンちゃんには道のりは厳しいなんて言ったけど、それはむしろ栄城の方だ。名瀬高みたいな強豪だって、控えメンバーからの突き上げがあって、活性化して、どんどん強くなる。うちはそれを今から上回っていかないといけないんだ……)


 実際に強豪校に所属する凛と話したことで、栄城の現在地とこれからのことを再確認した。

 残された時間は長くはない。

 その中で自分ができることは何か。


(目が冴えてきちゃったな)


 修はベッドからみを起こし、勉強机についた。


(栄城が強くなるためには、俺ももっと強くならないと)


 そんな決意を胸に、修はバスケの本や雑誌を並べ、ノートを開いた。

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