第121話

 修と汐莉が戸惑っていると、なんとその少女は返事を待たずにコートに入ってきた。


「すごーい! こんなところにこんなものがあったなんて! どっちかの庭なの?」


 少女はこちらの様子などお構い無しに、キョロキョロと辺りを見回して感嘆の声を上げた。

 運動着を着て汗ばんでいるその少女は少し息が荒い。ランニングでもしていたのだろうか。


「え、えーと、一応私の知り合いの所有地なんだけど……」

「そうなんだ。お金持ちっているのね」


 汐莉が会話に応じたことに驚いて、修は小声で尋ねた。


「この子、宮井さんの知り合い?」

「ううん、でも……」


 汐莉が首を横に振って何かを喋ろうとしたとき。


「あれ!?」


 少女が大きな声を出したので、修がそちらを見てみると、心底驚いたような顔で修のことをじっと見ていた。

 なぜそんな顔でこちらを見てくるのかまったく見当がつかず、修はさらに困惑してしまう。


 すると少女がつかつかと修との距離を詰め、鼻がくっつくのではないかと思うほど顔を近づけてきた。

 修は反射的に体をのけ反らせ、汐莉は焦ったような声を上げる。


 そして少女は修の顔をじろじろと眺めたあと、確信を持った表情になった。


「やっぱり! シュウくんでしょ!」

「えっ!?」


 少女は修のことを知っているようだった。

 しかし修はこの子が誰なのかわからない。

 修が対応に困っていると、少女はしびれを切らして拗ねたような表情になった。


「私、リンだよ! 覚えてない?」

「リン……?」

「小四のころ、公園で一緒にバスケしたじゃない!」


 リン、小四、公園でバスケ……。

 それらのワードがぼんやりとした頭の中で、パズルのピースのように合わさっていく。


 ――何やってるの?


 ――すごいね! 私にも教えて!


 今まで曖昧だった幼い頃の記憶が、突然鮮明に思い出された。


「嘘だろ!? リンちゃん!? あのときの!?」

「そうだよ! 思い出してくれた!?」


 修が思わず大きな声で驚くと、リンも跳び跳ねて喜びを顕にした。

 リンが跳ねる度に二つに結んだ長い髪が波打つ。

 今ほどの長さはなかったが、たしかあのときもリンはツインテールだった。


 以前あのときに出会った子は汐莉だったのではないかと思ったときもあったが、それは本人に否定されていた。

 そんな子が今、こんなタイミングで自分の目の前に現れるとは。


「でも酷いなぁシュウくん。すぐに思い出してくれないなんて」

「うっ、ご、ごめん。てか、遊んだのって一日だけだったし……」

「でも、私はず~~~っと覚えてたよ」


 リンが今にも泣き出しそうな顔で笑うので、修はドキッとした。


「次の日も、その次の日も公園に行ったのに、シュウくん来ないんだもん……。だから、バスケをしてたらいつかまた会えるんじゃないかと思ってた。そしたらこんなところで会えるなんて」


 よほど感激しているのか、リンの目は潤み、目尻から一筋の涙がこぼれた。

 修はこれ程までに自分に会いたいと思ってくれていた人がいたことを嬉しく思い、感慨深い気持ちになる。


「シュウくん、今はどこでやってるの?」


 リンが指で涙を拭いながら尋ねた。

 恐らく訊かれるだろうなと思っていたことだ。

 前なら答えるのもストレスだったが、今はまったく嫌な気持ちにならないのも、隣にいる汐莉のおかげだ。


「中三でけっこうでかい怪我しちゃってさ、そのままドロップアウトしたから今は部には入ってないんだ」

「え……?」


 リンが悲しそうに眉をひそめる。


「だけど、またやり直そうと思ってる。今は復帰に向けての体作りをしてるところだよ」


 修がそう言うと、リンはほっとしたように胸に手を当てた。


「そうなんだ……良かった……」


 そこでふと、リンが修の隣にいた汐莉に目をやる。


「あ、ごめんなさい、二人で盛り上がっちゃって」

「! い、いや別に。久し振りの再会なんでしょ? しょうがないよ」


 汐莉が気にしないでと手を振った。


「シュウくん、この子は?」

「同じ高校のバスケ部の宮井汐莉さん」


 修が紹介すると汐莉は「はじめまして」と頭を下げた。


「私は相馬そうま りん。よろしくね」


 凛が手を差し出すと汐莉もそれに応じて握手を交わした。


(相馬凛っていうのか……フルネームを知ったのは初めてだ)


 というより修と凛は一日だけ一緒にバスケをしただけの仲で、それ以外のことはまったく知らないのだ。


「ねぇシュウくん。私、あれからたくさん練習したんだよ。見てて。シオリ、ボール借りてもいい?」

「あ、はい、どうぞ……」

「ありがと」


 汐莉からボールを受け取った凛は、その場でゆっくりドリブルを開始した。

 徐々にスピードを上げていき、巧みなボールハンドリングで背中を回したり股下を通したりとテクニックを見せつける。

 そしてゴールの方に向くと、3Pラインの手前から両手でシュートを放った。


 スパンッと音を立ててボールはゴールに吸い込まれていった。

 とても綺麗な放物線を描くシュートだ。


「ね?」


 凛は得意気に首をかしげて見せる。


「うん、めっちゃ上手いな」


 修は偽りない感想を述べた。


「え~! それだけ!?」


 凛が怒ったように眉根を寄せ、頬を膨らませる。

 修としては普通に褒めたつもりだったが、反応が淡白だったのが気に入らないのだろうか。


「わかった! じゃあシオリ、一対一しようよ! それなら私の実力がわかってもらえるでしょ?」

「え? 私?」


 汐莉が目を見開いて自分を指差す。


「ちょ、ちょっと待ってリンちゃん、宮井さんは高校からバスケを始めた初心者なんだ。だから」


 いきなり自分の実力を見せるためのダシに使われるのは汐莉も不愉快だろうと思い、修は慌てて止めに入ろうとした。

 しかし。


「ううん、いいよ。やろう」


 汐莉がはっきりと言った。

 その目には、ギラギラとした闘志が宿っている。

 それを見て凛はニヤリと笑った。


「でも、初心者なんでしょ? 相手になるのかしら?」


 その言葉はわざと挑発するように言っているように聞こえた。


「やってみないとわからないでしょ」


 汐莉はなおも引き下がらなかった。


「ふーん、じゃあやってみましょ?」


 コートの中央で二人が対峙しにらみ合う。

 修は二人の醸し出す雰囲気に圧倒され、それ以上口を挟めなくなってしまった。


「先攻どうぞ」


 凛が汐莉にボールを投げ渡し、ディフェンスの構えをとった。

 汐莉は相手の様子を窺いながら攻め機を探る。

 そして一度左でドリブルをついてから、虚を衝くように右に切り返しスピードに乗る。

 凛は反応せず、汐莉は凛の向かって右側を抜き去ったかに見えた。

 しかしその瞬間、ボールは汐莉の前方に勢いよく飛んでいった。


「え!?」


 汐莉がドリブルミスをしたわけではない。それなのに汐莉の手からボールは離れていったのだ。

 そのままボールはフェンスまでぶつかり、汐莉は何が起こったのかわからないという表情で振り向いた。


「ふふ、ざんね~ん」


 凛は意地悪く笑いながら右手をひらひらと振って見せた。

 修からは何が起こったのかすべて見えていたため、汐莉に説明してあげることにする。


「宮井さん、今のはバックファイアだ」

「バックファイア?」

「リンちゃん、ちょっと再現してもらってもいい?」

「別にいいわよ」


 転がっているボールを拾い上げ、修はゆっくりと汐莉の動きを再現する。

 凛は右にドリブルで抜いていく修の背後から体と腕を回り込ませ、ボールを突くようにして前方に弾き出した。

 汐莉は驚きの表情を浮かべる。


「今のはゆっくりだから簡単そうに見えるかもしれないけど、実際は抜かれた瞬間に、それもハイスピードで進んでいくドリブラーの背後から、体をぶつけずにボールだけを弾き飛ばすのは至難の技だ」

「バックファイアか……」


 汐莉が悔しそうに唇を噛む。

 凛が行ったバックファイアは、タイミングが難しくファウルにもなりやすいディフェンスの高等技術だ。

 それをいとも簡単にやって見せたことで、凛はかなり上級のプレーヤーであることがわかった。

 しかし今のプレーは明らかに汐莉をわざと抜かせたように見えた。

 つまり最初からバックファイアを狙っていたのだ。


 バックファイアはルール上なんの問題もないプレーだが、完全に抜き去ったと思ったところをスティールされるので、やられた方はかなりムカつく。

 もちろんドリブルの位置を調整すれば防げるため、ドリブラーの油断だと言われればそれまでだが、それを初心者である汐莉に対してやるとは。


 修はジト目で凛に抗議の眼差しを送った。

 それに気づいた凛は、悪びれる様子もなくペロッとかわいく舌を出した。


「これでわかったでしょ? どれだけ私が上手くなったか。シュウくんに教えてもらったドリブルとパスから、ここまでになったの!」


 凛は嬉しそうに笑った。

 確かに上手くなったことはわかったし、修にとっても嬉しいことだが、初心者に対して見せつけるようにプレーするのは少しいただけない。

 そのことについて苦言を呈そうとしたとき。


「まだ終わってない」


 見ると、汐莉が先程にも増して目をギラつかせていた。


「まだあなたのオフェンスが残ってる」


 汐莉はまだ勝負を続ける気のようだ。


「うーん、でも、これ以上いじめるとシュウくんに怒られそうだしなぁ?」


 そう言って凛はちらりと修の方を見た。

 修が凛のプレーに対して不満を抱いていたことは、一応彼女にも伝わっているようだ。


「永瀬くんは関係ない。それに、私だってあなたにいじめられるつもりはない」


 汐莉は少し怒りのこもった声で静かに言った。

 どうやら完全にスイッチが入ってしまっているようだ。

 しかしここまで闘志を顕にする汐莉の姿を見るのは久し振りだ。


(こんな宮井さん、一年生大会以来じゃないだろうか)


 同じ一年生の凛になめられて我慢できないのだろうか。

 いや、いつも温厚な汐莉がその程度のことでここまでムキになるだろうか……。


 少し疑問にも思ったが、恐らくこうなったら納得するまで止められないだろう。


「まぁ、次宮井さんが止めたら引き分けだし、ここで終わるのはフェアじゃないよな」

「それもそうね」


 思いの外凛はすぐに応じた。

 今度は汐莉がディフェンスの構えをとり、凛がドリブルを始める。

 しかし勝負は一瞬だった。

 先程見せたようなドリブルテクニックを使い、あっという間に汐莉を抜き去りレイアップを決めてしまう。


「はい、これで……」

「五本先取でお願いします!」


 凛が勝利宣言をしようとしたとき、汐莉が大きな声で言ったあと頭を下げた。


(宮井さん、ムキになりすぎじゃ……)


 修は汐莉の気持ちの入りようにうろたえてしまう。

 凛はそれを見て面食らったような顔をしたあと、ニヤリと笑った。


「そういうの、嫌いじゃないわ!」


 そしてすぐさま攻守交代し、また一対一を行う。

 しかしやはり実力差は明確で、攻めも守りも凛が汐莉を圧倒する形になり、四対ゼロとすぐに凛が王手をかけた。


 汐莉が悔しそうに歯噛みする。

 このままいけばこれが汐莉の最後のオフェンスとなる。

 修としてはいくら実力差があるとはいえ、普段からコーチしている汐莉には一矢報いて欲しいところだ。


 汐莉は懸命にドリブルをついて攻めどころを探すが、凛のディフェンスには隙がない。

 やはりこのまま勝負は決まってしまうか……。


 そう思ったとき、一瞬、一瞬だけだが、少し凛が砂に足を滑らせた。

 汐莉はその瞬間を見逃さず、すぐさまジャンプシュートのモーションに入る。

 しかし凛もさすがだった。汐莉のシュートに対して凄まじい反応で跳び上がり、腕を目一杯伸ばした。

 タイミング的には完全にブロックされると思った。

 凛もそう確信したような笑みを浮かべる。


 だがそうはならなかった。

 凛の手に汐莉のシュートが阻まれることはなかった。

 何故ならシュートを撃っていなかったからだ。

 いや、それどころか汐莉はその場から跳んですらいなかった。


(フェイント……!?)


 横から見ている修も、実際に対峙している凛も、汐莉のフェイントにまんまと引っかかってしまった。

 相手に完全にシュートだと錯覚させる程の美しいフェイント。


 凛が完全に跳び上がってしまったのを横目に、汐莉は右足を凛の向かって左側に踏み込み、斜め前方にジャンプし、そしてシュートを放った。


 これが決まればまだ流れが変わるかもしれない。

 修は期待を込めてボールの行方を見守る。


「あっ……!」


 しかしボールは無惨にもリングに弾かれてしまった。


「~~~っ、くそっ!」


 汐莉の無念の声と、ボールが跳ねる音が響く。

 修には汐莉の悔しさが手に取るようにわかった。

 圧倒的な実力を持つ相手に対し、完璧に決まったフェイント。

 しかし肝心のシュートを外してしまった。

 バスケには芸術点などはない。シュートを決めなければポイントにはならないのだ。


 対する凛は少し目を見開いてじっと汐莉を見つめていた。

 かと思うと突然つかつかと歩み寄り、汐莉の両手を包み込むように掴む。


「シオリ、あなた本当に初心者!?」


 そう尋ねる凛の目はキラキラと輝いていた。

 凛の豹変に驚いた汐莉は、目を丸くしてうんうんと頷く。


「へぇ~……そっかぁ……そうなんだぁ……」


 凛は構わず値踏みするように汐莉の顔をじろじろと見て、


「シオリ、センスあるよ。私、見る目あるんだ」


 と感心したように言った。


「今勝負つけるのはもったいないよ。だから、ここでお預けにしない? こんな一対一じゃなくて、ちゃんとした試合で!」

「え? う、うん……」


 汐莉は凛の勢いに完全に圧倒されているようだった。


「シオリ、学校はどこ? ウィンターカップにはもちろんでるわよね?」


 凛が汐莉を質問攻めにする。

 初めはなんとか答えようとしていたが、凛の興奮に気圧されてしまい、汐莉は助けを求めるように修に視線を送ってきた。

 それを受けた修が間に入ろうとしたとき、どこからともなく『夕焼け小焼け』のメロディが流れてきた。


 それを聴いた凛は弾かれたように跳び上がる。


「嘘!? もうそんな時間!?」


 慌ててスマートフォンを見てまた目を見開いた。


「大変! 私もう帰らなきゃ!」


『夕焼け小焼け』は17時を知らせる放送だ。

 凛は何かこの後用事があるのか、焦った様子になっている。


「そうだ、連絡先交換しましょう! もちろん二人とも!」


 凛が素早くスマホを操作し始めたので、修も慌てて自分のスマホを取り出した。

 そして二人とも連絡先を交換し終える。


「ごめんなさい、本当に時間がないの。もう行くわね!」


 凛はそう言って急いで出口に走って行った。

 しかし扉に手をかけたと思えば、くるりと修の方に顔を向ける。


「シュウくん、また会えて本当に嬉しかった。今晩また連絡するね」


 凛が嬉しそうに、柔らかな笑みを浮かべたので、修はドキッとした。

 頬が少し熱くなる。


「それじゃ」


 凛は走り去ってしまった。


(嵐のような子だったな……)


 突然現れて突然去って行く。

 修の回りには今までいたことがないタイプの人間であった。


「ごめん、永瀬くん。みっともないとこ見せちゃって」


 一瞬凛に質問攻めされているときのことを言っているのかと思ったが、悔しそうな表情を浮かべる汐莉を見て、一対一のことを言っているのだとわかった。


「いや、ナイスゲームだったよ。最後は惜しかったし」

「ううん、あんなのマグレだよ。シュートも外しちゃったし……」


 汐莉が俯いて唇を噛んだ。


「確かにシュートは外したけど、すごく良いプレーだった。もし俺が守ってたとしても、あのフェイントには絶対に引っかかってた。それくらい、シュートと区別がつかないくらいだった。多分リンちゃんも、それに何かを感じたから、見る目が変わったんじゃないかな」


 それまでは見下したような態度をとっていたが、あのフェイントを見てから凛は突然態度を変えた。

 汐莉の中に何か可能性を見出だしたようにも見えた。


「そう、なのかな……」


 汐莉は釈然としないといった表情で呟いた。

 そして何か思い出したように若干険しい顔になる。


「永瀬くん、あの子とどういう関係?」

「小四のとき、公園で会って一緒にバスケしたんだ。会ったのはそのとき一回きりで、それ以来の再会だよ」

「ふーん、そうなんだ。その割には、なんだか仲良さそうだったね」


汐莉は少し目を細め、唇を尖らせて言った。


(え? なんか怒ってる……?)


 だがたしかに汐莉に言われた通り、ただ一度きりの出会いであり、約六年ぶりの再会にも拘わらず、修は凛に対してかなり親しみを感じていた。


 それは凛の方が修のことをずっと覚えていてくれていて、再会をあんなにも喜んでくれたことが、修にとっても嬉しいことだったからかもしれない。


「わかんないけど、俺がきっかけでバスケをずっと続けてきたっていうのが、なんか嬉しかったから……。本当に久し振りの再会だったけど、昔からの友達みたいに感じられたんだ」


 話していて自分でもよくわからなかった。

 汐莉も少し訝しげな表情になっていた。


「でもびっくりしたなぁ。名瀬高の一年生が急に来たと思ったら、永瀬くんの昔の友達だったなんて」


 汐莉の言葉に、修は耳を疑った。


「え? 名瀬高?」


 どうして今、この県トップの強豪高、東名大付属名瀬高校の名が出てくるのか。


「あの子、名瀬高の子だよ。総体でもちょっとだけ出てたけど、気づいてなかった?」

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