第120話

 約束通りプリントを終えた汐莉と修は、二人の練習場所である、汐莉の知人が所有する屋外バスケットコートに来ていた。

 適当にウォーミングアップを済ませ、ジャンプシュートの練習に付き合う。


 相変わらずの美しいフォームで放たれるシュートはほとんど外れることがない。

 ノーマーク、ノープレッシャーであるとはいえ、ここまで正確なシュートを撃てる選手はそういないので、修は舌を巻いた。


 すると汐莉がシュートを撃つ手を止めて真剣な表情になる。


「ねぇ永瀬くん、今の私に必要なものって何だと思う?」


 唐突な質問に、修は首をかしげた。


「必要なもの?」

「うん。何ができるようになればもっと試合に出られるんだろうって思って」

「あぁ、そういうことか。そうだなぁ……」


 汐莉は前から試合に出たいという意欲がとても高い。

 現状では実力でいっても先輩五人がスターティングメンバーで、試合のほとんどの時間をその五人で戦っている。

 汐莉は点を取れる分、優理や星羅よりも使い所は多いが、それでも先輩を休ませる目的での起用が多くなるだろう。


 しかし汐莉はそのことを良しとしていない。

 常にスタメンの座を虎視眈々と狙っているようだった。

 修はその気持ちを察し、だからこそあえて厳しい言葉をかけることにした。


「前と比べると信じられないくらい上手くなったけど、それでも足りないことだらけだよ。ドリブル、パス、ディフェンス、状況判断力、戦術理解……。正直、言い出したらキリがない」

「そっか……そうだよね……」


 恐らく自分でもわかっていたのだろう。汐莉が苦い笑いを浮かべた。


「とは言っても、宮井さんの上達ぶりはすごいよ。このままいけばウィンターカップにはもっと出場時間は増えると思う」


 フォローするように付け加えるが、それでも汐莉の表情は優れない。


「それじゃ、ダメなんだよ……」

「え?」


 真意を測れずに聞き返すが、汐莉は口をつぐんだままだった。


(焦ってるのかな……)


 そうだとしたら気持ちはよくわかる。

 修だって、早く選手として復帰したい、試合に出たいという思いが溢れてしまいそうなほど強い。

 だが膝に爆弾を抱えている以上、焦りは破滅に繋がる可能性が高い。


 汐莉は今は怪我もない健康体だが、オーバーワークや気持ちの入りすぎは思わぬ大怪我の原因となることが多々ある。

 急上昇で上達している汐莉にとって、怪我での離脱は大きな挫折にも繋がりかねない。


(その焦りを良い方向に持っていくことができれば……)


 そんな方法を考えてみたが、上手く説得できるような言葉を思いつけなかった。

 自分をもどかしく思っていると、汐莉の方から新たな問いが投げ掛けられる。


「だったら、今の栄城に必要な選手ってどういうのかな? もちろん、これも足りないことだらけっていうのはわかるよ。でも、強いて言うなら……?」

「うーん、そうだな……」


 今の栄城に最も必要な選手はどういうものか。

 実は修もそのことについて考えたことがあり、既に答えを持っていた。


「強いて言うなら、シューターかな」


 栄城にはアウトサイドシュートを得意とする選手が灯湖のみだ。

 その灯湖もどちらかと言えば外でプレーするのではなく、がんがん中に攻め込んでいくタイプのプレーヤーである。


 インサイドを相手に固められた際に、キックアウトパスから3Pを狙える選手があと一人いれば、得点の幅は大きく広がるだろう。


「やっぱり、そうだよね。シューターか……」


 どうやら汐莉もそのことがわかっていたかのような口振りだった。

 これは良い機会かもしれないと思い、修は前々から考えていたことを提案することにした。


「今までは宮井さんに固定観念を持ってもらいたくなかったから、あまりポジションについて意識させないようにしてたけど、そろそろ自分がどのポジションのプレーヤーを目指すのかはっきりさせた方がいいかもしれないな」


 ポジションには適性がある。

 得意なプレーや性格、身長などからそれを見極めて割り振るのが普通だが、それ以上に大事なことがある。

 それは本人の希望だ。

 やりたくないポジションを無理矢理やらせるより、当然自分のやりたいポジションをやる方がモチベーションも上がるし、上手くなることが多い。


 修の中では汐莉はSGかSFが適正だと思っていた。

 シュート力が高いことがその主な理由だが、汐莉の強い心とストイックさからは点取り屋スコアラーの素質をひしひしと感じる。


「聴いたことなかったけど、宮井さんはどのポジションをやりたいの?」

「私はSG、シューターになりたい」


 修の質問に対し、あらかじめ用意していたかのように汐莉は即答した。


「別に栄城にシューターが必要だからとか、自分がちょっとシュートに自信があるからとかじゃなくて、私はバスケを始めた時からシューターになりたいと思ってたんだ」


 そう話す汐莉の表情からはとても強い意志が感じられた。


「なんかすごくこだわりがあるみたいだね。印象的なプレーヤーでも見たことがあるの?」


 修としては何の気なしに訊いたことだった。

 すごいプレーを見てそれに憧れて、同じポジションを目指すというのはよくあることだったから。


 しかし汐莉は一瞬驚いたように目を見開き、そして柔らかく笑った。


「そうなんだ。あの時見た3Pシュートがかっこよくて、キラキラしてて……。あれを見たから、高校に入ったら絶対バスケをやろうって思ったんだ」


 胸に手を当てて、大切な思い出を語るように汐莉は言った。

 他人にそれほど強い印象を植え付ける程のシュートを放ったそのプレーヤーに尊敬の念を感じつつも、何故か嫉妬のような感情も湧き上がってきて修は困惑した。


(そういえば、ここで宮井さんに初めて3Pを教えたときも、同じようなことを言ってたな……)


 そのときはこんな感情は湧いてこなかった。

 そのときと今、修の中で何かが変わったのだろうか。

 しかし自分の中のよくわからない感情を気にしていても仕方がない。

 今は汐莉のポジションの話だ。


「うん、良いと思う。SGは宮井さんの適正ポジションだと思うし、本人がそう望むなら申し分ない」


 そう言うと汐莉がホッと息を吐いた。


「だったら3Pの練習、もっとしなきゃだね」

「そうだな」


 そういえば一年生大会で三本連続で決めた時以来、汐莉が3Pを撃つところを見たことがない気がする。

 あのときはまぐれだったと本人は言っていたので、自分なりに制限をかけていたのだろうか。


「最近3Pの練習してるの? 部活では全然見ないけど」

「ここではたまにやってるよ。でも、どうしても感覚が掴めなくて……。部活では封印してるんだ。他に覚えなきゃいけないこともたくさんあるし」

「そっか。じゃあちょっと撃ってみようよ」


 修はボールを持ってゴール下付近に移動した。

 汐莉も合わせて3Pラインまで下がる。


「いくよ」


 修がパスを出し、汐莉がシュートを撃つ。

 それを何度も繰り返すがどのシュートも入らないどころか、届かないことが多い。


(前のときよりはかなりマシになってるな。フォームもそこまで悪いわけじゃない。でも、やっぱり力みがあるというか、ミドルのときみたいに自然に撃ててないように見える)


 修は汐莉のシュートをじっくりと観察しながら分析を続ける。


(前は男子と同じ感覚で教えちゃったけど、やっぱり筋力とかを考慮すると今のフォームじゃ厳しいのかもしれないな……)


 十本目のシュートが上に大きく跳ね、落ちてきたボールをキャッチすると修は一旦パスする手を止めた。


「ごめん宮井さん。前に俺が教えたことは一旦忘れてもらっていいかな」

「え?」

「今の撃ち方だと、多分ものにするのは難しいと思う。ごめん、女子に男子と同じような撃ち方を教えた俺のミスだ」

「じゃ、じゃあどういう風に撃てばいいの?」


 突然の謝罪に汐莉は困惑の表情を浮かべる。

 修は適切な指導ができていなかったことを心から申し訳なく思った。


「ステップはそのままでいいから、二点だけ変えよう。一つ目は、ボールを構える位置。ミドルのときは頭上で構えてると思うけど、3Pのときは顎の前くらいで構えよう。そうすれば今よりも簡単にリングに届くようになると思う」


 修は実際に構えを見せながら説明した。


「構えの位置を下げるとディフェンスにブロックされやすいってデメリットがあるけど、宮井さん身長は比較的高い方だし、女子のプレースピードならそこまで問題にならないと思う。

 二つ目は、ジャンプの方向。前のときは上に真っ直ぐ跳ぶように言ったけど、若干前方に跳ぶようにしようか。ただ、斜め前に跳ぶというよりは、意識としては上に跳んでるんだけど、着地は3Pラインの前になってるくらいで」


 汐莉は真剣な表情で頷きながら聴いていた。


「じゃあちょっとやってみるね」


 修は3Pラインまで移動した。

 以前ここで3Pシュートを撃ったときは、ボールはリングに届かなかった。

 しかし今はあのときよりも筋力が多少ついているし、顎の前で構えているので届かないということはないだろう。

 そう思いながらもやはり少し緊張しながら、修は前方にボールをバックスピンで放り、戻ってきたそれをキャッチしてシュートを撃った。


 撃った瞬間確かな手応えがあった。

 ボールは弧を描き、リングに触れることなくネットを通過した。


(……おぉ)


 久し振りの3P成功の感覚に、何とも言えない感動が修の胸をくすぐった。

 3Pを決めたのはもしかしたら中学最後の試合以来ではないだろうか。

 すると隣の汐莉から拍手の音が聞こえてくる。


「さすが」


 そう言って笑う汐莉の目が何故か少し潤んでいるように見えた。


「い、今のはちょっと出来すぎだな……。まぁ、こんな感じでやってみよう」


 少し気恥ずかしくなって目を逸らし、転がっているボールを急いで拾いにいく。


「じゃ、パス出すよ」


 ごまかすようにすぐさま声をかけると、汐莉も「お願いします!」とミートの構えをとった。

 修から汐莉へボールが飛び、すぐさまシュートを放つ。


「ボールを前に撃ち出しすぎだな。顎から構えるけど、最終的なリリースは頭の上で!」


 アドバイスを送り、またパスを出す。


「今度は前に跳びすぎ! 体は真っ直ぐのまま少しだけ前に跳ぶ意識で!」


 そして三本目。


(お!)


 汐莉が理想に近いフォームでシュートを放った。

 ボールは高い軌道でぐんぐんゴールに迫っていく。

 しかしボールはリングにあたり、ゴールの外に弾かれた。


「今の良い感じだった! もう一本!」


 間を開けずにテンポよくパスを出し、汐莉もリズムよくシュートを放った。

 するとそのシュートは、何度かリングの上で跳ねた後、ゆっくりとリングの内側に転がり落ちた。


「ナイシュー! どんどんいこう!」


 相変わらずの飲み込みの速さに驚いたが、今の感覚を忘れない内にと次々にシュートを撃たせた。

 その結果十本撃って入ったのは三本だったが、ほとんどが入りそうな予感のする良いシュートだった。


「OK、一旦やめよう! 宮井さんめっちゃ良いよ! 成功率はまだまだだけど、良いシュートが撃ててる!」


 テンションが上がってしまい大きな声で褒めると、汐莉は嬉しそうにはにかんだ。


「えへへ……。永瀬くんの教え方が上手だからだよ」

「いや、やっぱり飲み込みが速いし、元々のシュートフォームがきれいだからってのもあると思う。これならもう少し練習すれば、それなりに使える武器になるかもしれない」


 修は目を輝かせずにはいられなかった。

 前々から汐莉はバスケの天才だと思っていたが、少し指導しただけでここまで修正するとは。


(このままいけばウィンターカップでは大きな戦力に……いや、もしかしたらスタメンに入ってくるかもしれないな)


 汐莉の可能性を考えると何だかわくわくしてきて、自然と笑みがこぼれた。

 そんな修に汐莉はうずうずが抑えきれない様子で言う。


「永瀬くん、もっと撃ってみたい」

「もちろん、付き合うよ」


 そう言って練習を再開しようとしたとき。


「こんにちは!」


 突然声をかけられたので、二人揃ってそちらを見ると、入り口の前に修たちと同い年くらいの少女が無邪気な笑顔を浮かべて立っていた。


「ねぇ、入ってもいいかしら?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る