第116話

 翌朝、修が体育館に到着すると、川畑がまるで待ち構えていたかのように立っていた。


「おはよう永瀬君。良かったら少し話せないかい?」


 いつもと少し違って、ばつの悪そうな顔で笑う川畑を怪訝に思いながらも、特に断る理由もないため修はそれに応じた。


「スポーツドリンクでいいかい?」

「あ、はい、ありがとうございます」


 川畑が自販機から取り出したペットボトルを受け取り、中庭のベンチに並んで腰かける。

 一体なんの話だろうかと修が不安を感じていると、川畑は地面に視線を落としたまま、おもむろに口を開いた。


「なんだか最近大変だったみたいだね」

「え?」

「主に……渕上さんのことで」

「!!」


 修は予想外の話を振られて驚いた。

 だがよく考えてみれば昨日の練習試合でも、部員全員の様子はおかしかっただろうし、観察眼の鋭い川畑なら気付いていてもおかしくはなかった。


「もし良かったら話してくれないかい? どういう経緯いきさつがあったのか」


 修は本人のいない所で他人に事情を話すことに抵抗を覚えたが、川畑は信用できる人物だ。

 それに教師であり、バスケ部の顧問でもある。知る権利はあるだろうし、知っておくべきだと判断した。


「……わかりました。話します」


 修は川畑に灯湖の過去やそれに伴って起こっていた最近の出来事について話した。

 もちろん大筋のみにとどめ、プライバシーに関わることや言うべきでないことはぼかして伝える。


「成程……そんなことがあったんだね……」


 修の話を聴き終えた川畑はぼそりと呟いた。

 そしてその後とてつもなく大きなため息をつきながら頭を抱えたので、修は思わず身を引いて驚いてしまった。


「すまない……。本来なら教師である僕が取り組まなければいけない問題だったのに……。情けない……」


 川畑は自分の不甲斐なさを責めるように、弱々しい声で言った。


「今回だけじゃない。市ノ瀬さんのときにしたって、君が色々と動いてくれてたんじゃないのかい?」

「えっ、いや、そんなことは……」


 修は首を横に振って否定した。

 確かに動いていたことは間違いないが、結局凪の時は凪本人が、今回は晶が頑張ってくれたおかげであって、修は自分がそこまで貢献できたとは思っていなかった。

 だが川畑はそうは思っていないようだった。


「昨日の二試合目以降のチームの雰囲気はこれまでにないほど良かった。皆があんなに笑ってバスケットをしている姿は初めて見たよ……。変わったのは、明らかに君が来てからだ」


 顔を上げて修を見つめる川畑の目は、修の功績が大きかったと断言していた。

 しかし川畑の発言にはとある疑問が残る。それは前々から感じていたものだ。


「あの、川畑先生は前からチームの異変に気付いていたんじゃないんですか?」


 修は思いきってその疑問をぶつけてみた。

 すると川畑は眉を寄せ、心底申し訳なさそうな表情になった。


「あぁ、気付いていたよ……。ずっとおかしな雰囲気だったからね」


 やはり思っていた通りだった。

 川畑は気づいていたにも拘わらず、見て見ぬふりをしてきたのだ。

 そのことに対して修は怒りよりも「なぜ?」という感情が強く湧いてきた。


「なら、どうして先生は何もしなかったんですか? 僕、部活に入る前、川畑先生に声をかけてもらって、相談にも乗ってもらって……。先生は生徒の気持ちに寄り添える素晴らしい人だと思ったんです。そんな先生が、バスケ部の問題に気づいたまま放置していたなんて、少し……信じられなくて」


 無意識に語気が強まってしまったが、訊かずにはいられなかった。

 過去に囚われていた修を導いてくれた人物の一人である川畑が、そんなスタンスをとったのには何か理由があるのではないか。


 修の問いかけに川畑が黙り込む。

 言うか言うまいか思案しているように見えた。

 修は催促せずに川畑が口を開くのを待った。

 すると、数秒沈黙を続けたあと、修に目を合わせる。


「そうだね……。永瀬君、君になら話してもいいかもしれない。先に言っておくけど、これは言い訳に過ぎないし、生徒の君にとって聴くに堪えない教師の情けない話だ。それでも聴いてくれるかい?」


 苦い笑みを浮かべながら言う川畑は、修の目にはなんだか普段よりも老け込んで見えた。

 修はゆっくりと頷き川畑の話を待った。


「僕には一人娘がいるんだ。今高校三年生でね。そんな娘と一年程前に、進路のことで喧嘩をしてしまったんだ。そのせいで、娘は心を病んでしまった」


 川畑はふぅっと短く息を吐いた。

 当時を思い出してか、表情は先程よりも歪んでいる。


「娘が僕を見る目は、父親を見るそれとはまったく違うものになってしまった。娘の心の状態は今ではかなりマシになったが、それ以来僕と娘はほとんど口を利いていない。向こうから話しかけてくることなんてあり得ないし、僕から声をかけることは挨拶くらいになってしまった……。

 そんなこともあって、高校教師であるにも拘わらず、高校生に話しかけるのも必要以上に気を遣うようになった。また娘と同じようなことになるのではと、踏み込んだ話などまったくできなくなってしまったんだ……」


(そういうことだったのか……)


 修の目から見ても相当な人格者である川畑がバスケ部の問題にノータッチだったのは、自分の娘とのわだかまりによるものだったのだ。


「あれ、でも先生、僕に対しては結構踏み込んで来てくれましたよね?」

「そうだね。原因が娘との問題ということもあってか、男子生徒に対しては大丈夫みたいなんだ」

「あぁ、そうなんですね」


 そんな精神状態なのに女子部の顧問をしているなんて、もしかしたら川畑は日常的に強いストレスを感じているのではないだろうか。


(てか、そもそも教師やってる時点でかなり辛いだろうな。受け持つ生徒の半分は女子なんだし……)


 それでも普段表情や態度にほとんど出さないのはさすがだと修は思った。


「バスケ部の問題を放置していたこと、本当に申し訳なく思っている。部員の皆にも、いつか謝らなくてはいけないね……。本当に済まなかった」


 修に向かって頭を下げる川畑は、萎れてしまった植物のようだった。

 確かに川畑がとった「知らないふりをする」という行動は決して褒められたものではない。


 しかし、致し方ない部分もあるし、川畑はそのことを心底悔やみ、反省している。

 修はどうしても彼を責める気にはなれず、代わりに励ます言葉をかけてあげたいと思った。


「先生、顔を上げてください。僕、安心しました。川畑先生って、すごく大人で、冷静で、思いやりがあって、かっこよくて。人として非の打ち所のないような人なのかもって思ってましたけど、僕たち子供と同じように、傷ついて、悩んで、つまずくんですね」

「それは……そうさ。人間だからね……」


 ゆっくり顔を上げた川畑が力無く答える。


「先生もわかってるじゃないですか。別に大人だからって、教師だからって、完璧でなきゃいけないなんてことはないはずです。できないこともあるし、欠点だってある。それでも僕は、僕をバスケに復帰する後押しをしてくれた先生に感謝してますし、尊敬してます。

 川畑先生なら、今は難しくても、いつか乗り越えて、女子生徒にも親身になれる先生に戻れる日が来ると思うんです。だから、今はそれでいいんじゃないでしょうか」


 少なくとも、修にとってはそれでよかった。

 修は川畑に助けてもらった。だから今は、川畑ができないことを修がカバーする。

 大人も子どもも、先生も生徒も関係ない。

 お互いに助け合えばいいのだ。


 ふと見ると、川畑は少し目を見開き、驚いたような表情で固まっていた。


「あ、あれ、もしかして僕、すごく偉そうなこと言ってますか……?」


 修は失礼なことを言ってしまったのではないかと焦ったが、それに気づいた川畑ははっとして、首を横に振った。

 そしていつものような、とても穏やかな表情になる。


「いや、そんなことはない。もう少し頑張ってみようという気になった。……ありがとう永瀬君。君に話して正解だったよ」


 そう言うと川畑は勢いよくベンチから立ち上がった。


「部活前の貴重な時間を頂いて申し訳ない。さぁ、今日も頑張ろう!」


 そう言って笑う川畑の表情は、少しだけ晴れやかになっていたようにも見えた。




 川畑と共にアリーナに入ると栄城バスケ部の部員たちが一ヶ所に集まっていた。

 何事かと修も合流すると、中心にいたのは灯湖……だったのだが。


「あっ!」


 灯湖の代名詞とも言える(と修が勝手に思っていた)艶のある黒髪ロングが、バッサリと短く切られてショートヘアになっていた。


「どう永瀬! かわいいでしょ!」

「あ、晶! もういいだろ……」


 晶が灯湖の両肩に手を置いて、嬉しそうに言った。

 灯湖はみんなに散々いじられたのか、顔を真っ赤にして俯いていた。


「はい、すごく似合ってます」


 これまでのロングヘアは灯湖の落ち着いた性格も相まって大人っぽさを演出していたが、今の髪型は年相応の少女らしい可愛らしさが醸し出されていた。


 このとき凪が少し不機嫌そうな顔で修を睨んでいたのだが、修はそれには気づかなかった。


「心機一転……ってやつだよ。嫌なことは髪と一緒に全部捨ててきた」


 灯湖の発言からは強い決意が見てとれ、部員たちは息を飲んだ。


「良いじゃない。期待してるわよ」


 凪がにやりと笑うと、灯湖も答えるように笑った。




 部活開始の時間になったので、コートのセンターサークルで円陣を組む。


「皆、今まで本当に済まなかった……」

「もういいわよそのことは。昨日散々聞いたわ」

「もう聞き飽きたっすね」

「だね」


 改めて謝罪の言葉を口にする灯湖を凪が遮ると、星羅と汐莉もそれに続いたので、灯湖は一瞬面食らったような顔になった。


「そんなことよりさ、これからのことを話してよ!」


 晶が無邪気な子どものようにキラキラした表情で灯湖に催促する。


「これからのことか……そうだな」


 灯湖は少しだけ考えたあと、短く咳払いをして仕切り直した。


「これから私たち栄城バスケ部は目標に向かって一丸となり努力していく。そしてその目標は一つ。県大会を制して全国に出る!」


「「「はい!!!」」」


「名瀬も中村学園も倒す! 皆で勝ちにいくぞ! 栄城ぉぉぉ……ファイッ!」


「「「おーーー!!!」」」


 灯湖の掛け声に続いて部員たちが声を張り上げる。

 それはこれまでで一番、チームが一つになったと感じられる声出しだった。


 ここからが栄城高校女子バスケ部の本当のスタートだ。


 修は期待感に胸を弾ませる。


「さぁ、いつも通りランニングからいきましょう! アップから手を抜かず、集中していきますよ!」


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