第103話

「その後私は足を痛めたと言ってコートから退いた。別に怪我などしてなかったがな。そうなれば当然チームは負けた。牧原は今までに見たことのないレベルで怒り狂っていたよ」


 灯湖は淡々とした口調で自らの過去を語った。

 まったく感情を出さずに事実だけを述べているようなその話し方は、意識的にそうしているのか、あるいは灯湖の心が無意識的にそうなってしまう程のことだということか。


 修たちは灯湖が経験した衝撃的な過去に呆然となってしまった。

 恐らく試合中に自分からのパスを味方に避けられた経験など、誰もしたことがないだろう。


(でも想像することはできる。もしそんなことがあったら、すごくショックなのは間違いない)


 しかしあくまでそれは想像に過ぎない。

 実際に経験した灯湖の精神的苦痛は測り知れないものだろう。

 唯一その時のことを知っている晶は、当時の灯湖を思ってか口を真一文字に結んで目を伏せている。


「それは……つらかったでしょうね……。気持ちはわかるわ」


 恐らく凪は上級生の自分が場を保たなければと思って発言したのだろうが、迂闊な一言だと修は思った。

 案の定灯湖の眉がピクリとつり上がる。


「わかる? 私の気持ちが? 何度も奪われそうになりながらも必死に離さなかったボールを、本気で勝ちたいという想いがこもったパスを、信頼する仲間に拒絶された私の気持ちがわかるのか?」


 声を荒げることはしなかったが、その言葉の端々からは怒りが感じられた。


「ご、ごめんなさい、軽率な発言だったわ……」


 凪は自らの失態に気付き素直に謝罪した。

 灯湖は口許を歪めながら視線を床に落とす。


「カナに悪気があったわけじゃないのはわかってる。試合の後泣きながら謝ってくれたよ。牧原から怒鳴られて、ボールを持つことが恐くなっていたんだと」


 灯湖は再び淡々と語り始めた。

 しかしどこか様子がおかしい。


「だから反射的に避けてしまった……。悪いのはそこまで彼女を追い詰めた牧原だ。私もカナに対しての怒りなどなかった。だけど……」


 次第にその肩が震え出したので、修は驚いた。

 もしかして泣いているのだろうかと修が心配になったときだった。


「それ以来……同じような場面で右側を見ると……あ、あの時の…………パスを避けられて、跳ねていくボールが…………私を見るカナの表情がっ……フラッシュバックして、あ、頭から、離れないんだ……!!」


 前髪をかきあげて頭を抱えながら、灯湖は悲痛な叫びを上げた。

 怒りなのか、悲しみなのか、はたまた別の感情か。

 絞り出すように放たれた言葉は、灯湖が必死に押し殺していたものが漏れ出てしまったかのように思えた。

 そして普段は常に冷静で余裕のある灯湖が、こんなに弱々しい姿を見せたことに一同は動揺を隠せなかった。


 晶は灯湖の傍らに寄り添い肩を抱いた。

 修は何も言葉を発することができなかった。


 しばらく重い沈黙が続く。

 そこで初めて隣のコートで部活をしていた生徒がすっかりいなくなっていたことに気付いた。


「……すまない、晶。大丈夫だ」


 沈黙を破ったのは灯湖だった。

 そっと晶の手に触れると、晶もゆっくりと回していた腕を引いた。


「さっき悪いのは牧原だと言ったが……半分は私のせいでもある。牧原におだてられて、心の内では調子に乗っていたんだ。他の者の気も考えずに、自分が上手くなれば勝てるんだとどこかで思っていた。気づけば私とチームメイトとの実力差は埋められない程大きなものになっていた。もし私が皆と同じような実力だったなら、牧原があそこまで調子づくことはなかった。試合であんな作戦をとることもなかったし、カナはパスを受けてくれたはずだ……」


 灯湖の口からは自分を攻める言葉ばかりが流れ出てくる。

 修はもう聴いていられなかった。

 不適切かもしれないが、修は灯湖が憐れに思えて仕方がなかった。


「私はもう本気で、勝つためのバスケはできない。やりたくないんだ。私が本気でやれば、誰も付いてこれない。そうなれば昔の二の舞だ」


 灯湖は短く鼻で笑った。

 高慢な物言いだが、そこに込められているのは言葉通りの意味だけではない気がする。

 諦め、失望、後悔……。修にはそんな感情も含まれているように感じられた。


「全国を目指すと言っていたな……。これまでのように、特に目標も掲げずただバスケをするだけなら私にも居場所はあったかもしれないが……。どうやら今のチームにとって、私の存在は邪魔なようだな……」


 灯湖はそう言うとスッと立ち上がった。


「帰るよ」


 灯湖は決して他の者と目を合わせようとせず、出口に向かって歩いていく。

 そしてその後ろを晶が慌てて付いていった。


「待って渕上! まさか辞めるわけじゃないわよね!?」


 凪が叫んだが灯湖は振り向くことなく歩き続けた。

 そして扉から出ていってしまった二人を修たちはただ見ていることしかできなかった。

 残された修たちの間に気まずい沈黙が流れる。

 皆どうしていいのかわからないといった様子で呆然としていた。


 誰かが言葉を発しないと永遠にこのままなのではと思い、責任感から修は口を開いた。


「……すみません。元はと言えば俺が揉めたせいで……」

「あんたのせいじゃないわ。話を聴いた感じじゃ、遅かれ早かれこうなっていたと思うわ」


 修が弱々しく謝罪すると、凪がきっぱりとした口調で否定した。


「でも、どうするんですか? 灯湖さん、あの感じだともう部活に来ないんじゃ……。そうなると、多分晶さんだって……」


 菜々美がすがるような目を凪に向けた。

 凪は視線を落として少し考え込む素振りを見せた後、ゆっくりと口を開く。


「みんなは渕上の話を聴いてどう思った?」


 凪らしくないとても抽象的な質問が飛び出してきて、一同は顔を見合わせた。

 しかし、なんとなく聴きたいことはわかるような気がする。

 すると菜々美が控えめに手を挙げた。


「私は……すごく安易で申し訳ないんですけど、なんというか、可哀想……って思いました。仲間にパスを受け取って貰えなかったことはもちろん、チームの事情とかも良くなかったみたいですし……」

「アタシも、そう思います……。もし、アタシが同じ状況で、菜々美にパスを避けられたら……。アタシなら、耐えられない」


 涼も菜々美に続いて考えを述べた。

 自分の場合のことを考えたのか、少し顔色が悪くなる。


「一年はどう思う?」


 凪は続いて優理と星羅に視線を向けた。

 それを受けた二人は肩をビクッと跳ね上げ、チラリと顔を見合わせる。


「え、え~とぉ……。と、突然のことだったし……衝撃的すぎて何がなんだか……。スミマセン……」

「そうっすね……。そもそもウチらは皆さんが全国目指してることも知らなかったっすから……」


 優理は言葉通り、突然のことに困惑しているようだ。

 星羅からは少しの不満も感じられる。


 事情を知らなかった二人にとっては、唐突に発生したこの状況は他のメンバーよりも受け入れるのに少し時間がかかるものかもしれない。

 修は二人に黙っていたことを申し訳なく感じた。


「そうよね……。ごめんなさい、二人には近い内に話すつもりだったの。先に渕上と大山に話をつけてからの方が良いと思ってたから」

「それは別に……いいんすけど……」


 星羅は凪の謝罪を渋々といった様子で受け入れた。

 恐らく自分抜きで話が進んでいたことに、本心ではあまり納得はしていないのだろう。


「話を戻すわ。たしかに菜々美たちの言う通り、渕上に起こったことはとても不憫だわ。だから渕上にトラウマがあって、特定のプレーができないってのは理解できる。でも、私は最後に言ってた言葉に対しては、正直ムカついてるわ」

「ムカついてる?」


 予想外の言葉が出てきて修は戸惑いの声を上げた。


「あいつが最後の方に言ってた言葉、覚えてない?」

「えーと……」

「灯湖先輩が本気でやれば誰も付いてこれないってとこですか?」


 修が咄嗟に答えられないところに汐莉が助け船を出してくれ、凪はこくりと頷いた。


「あんた何様のつもり? って思ったのよ。自分の中学ではちょっと上手かったつもりなのかもしれないけど、それを私たちにもそのまま当てはめてんじゃないわよ。要はあいつは私たちのことなんてまったく信用してないのよ。それがムカつく。渕上本人にもだけど、何より三年も一緒にやってきて、なんとも思われてなかった私自身に一番ムカつくわ」


 凪は悔しそうに奥歯を噛みしめた。


「凪先輩……」


 修が声をかけると凪はハッとした表情になり、慌てて表情を繕った。


「なんか私も冷静じゃないみたい……。ちょっと一人になって頭冷やすわ。あんたたちも、こんなことがあって疲れたでしょ。今日は帰って休みましょう」

「そう……ですね。今は皆で話しても、答えは出なさそうですし」


 凪の提案に菜々美が同意すると、他の者も頷いた。

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