第104話

 修は自室のベッドに仰向けに寝転んだ状態で、今日のことについて思いを巡らせていた。

 トラウマになった時の光景が頭から離れないと叫んだ灯湖の表情は、見ているこちらまで辛くなるほど痛ましいものだった。


 そのうえ状況は違えど、バスケに関することでトラウマを負う、という似たような経験をしたことがある修にとって、この件は決して他人事とは思えなかった。


 どうにかしてあげたいと心の底から思った。

 しかしどうしてあげればいいのかはわからない。


(俺のときは宮井さんが助けてくれたけど……)


 あのときは汐莉が本当に親身になって修を暗闇から引っ張り出してくれた。

 汐莉に出会わなければ修は今もなお一人で苦しんでいただろう。

 それくらい精神的な傷というのは自分だけではどうにもならないのだと、修は身をもって理解していた。


 すると枕元に置いてあったスマホの画面が光ったのが目に入った。

 修は寝転んだまま顔の前にスマホを掲げて画面を見ると、メッセージを受信していることに気付く。

 差出人はなんと今頭に浮かんでいた当人である汐莉だった。


 修が驚きながらメッセージを開くと、そこには『今何してる?』という短い内容が表示された。

 なんだろうと思いながらも修は『ぼーっとしてた』と返す。


 すると10秒もしないうちに汐莉からの返信が送られてきた。

 そして修はそこに記された内容に驚いた。


『良かったら練習に付き合ってくれない?』






 修が汐莉の練習用コートに着いたとき、既に汐莉はゴールに向かって黙々とシュートの練習をしていた。

 修が声をかけると手を止めてこちらを向き、弱々しく笑った。


「ごめんね、急に呼び出しちゃって」

「ううん、別にいいよ。家でいても考えがまとまらなかったし、良い気分転換になる」

「ありがとう……。じゃあ、パスお願いしてもいい?」

「OK」


 修はゴール下に移動し、汐莉のシュートリバウンドをする。

 そしてそれをまた汐莉にパスし、シュートを撃つことを繰り返す。

 やはり汐莉のシュートフォームは綺麗だ。

 しかし心が乱れているからか、一本一本指のかかりだったり、腕の角度だったりが微妙にずれてしまってあまり成功率は良くなかった。


 五本連続で外してしまった汐莉は、次のパスをキャッチしてもシュートには移らずにボールを抱えて俯いてしまう。


「宮井さん……?」

「ごめん、練習してれば気が紛れるかもって思ったんだけど、ダメみたい。永瀬くんが来る前からずっとこんな調子だよ……」


 汐莉は肩を落として俯き、ため息を吐いた。


「無理もないよ……。俺も、渕上先輩に何をしてあげられるだろうって考えてたけど、いい答えは全然浮かんでこないし」


 慰めるつもりで言ったのだが、汐莉からの反応はなかった。

 何か思い詰めたような表情で地面を見つめている。


「大丈夫宮井さん?」

「……あのね、もしかしたら今回のこと、私のせいじゃないかって思ってるんだ」

「宮井さんのせい? どうして?」

「元々このチームで上に行きたいって言い出したのは私でしょ……。そんなこと言わなかったら、チームがこんな風にならなかったんじゃないかって思う」


 修は汐莉の言いたいことを理解した。

 全国を目指すなんてことになっていなければ、灯湖と揉めたり、ましてや今日のような話になっていたりすらしていなかっただろう。

 それを考えて汐莉は自分を責めているのだ。


「菜々美先輩はきっとこうなることを心配してたんだね」


 汐莉の言う通り菜々美は以前から灯湖・晶と修・凪の間に亀裂が入らないように立ち回っていたが、それはチームが崩壊してしまわないための気配りだった。

 実際今回は灯湖と凪の対立構造から始まったトラブルだと言えなくもない。

 菜々美の懸念は当たっていたということだ。


 しかしそれはそれだ。

 汐莉が自分を責めるのはお門違いだと修は思った。


「宮井さん、それは違う。確かに才木先輩が危惧してたのはこういうことだったんだろうけど、それで宮井さんが自分を責めるのは間違ってる」


 自分はかつて汐莉の言葉に、プレーに、想いに助けられた。

 しかし今はその恩人である汐莉が自責の念で苦しんでいる。

 ならば今度は自分が汐莉を勇気づける番だ。


(もちろんこんなことで恩が返せるとは思ってないけど)


 汐莉が俯いていた顔を恐る恐る上げた。

 それを確認して修は言葉を続ける。


「宮井さんが上を目指したいなんて言わずに、部の状況を受け入れて、ただ目標もなくバスケをしているだけだったなら、確かにこんなことにはなっていないかもしれない。だけどそれは、先輩が自分の責任を果たさずに、後輩が自分の意見も言えず他人の顔色を伺いながらバスケをするような最低の部活動だ。そんなのは間違ってる」


 ただバスケがやりたいだけなら、人数を集めて体育館を借りるなり、地域のサークルに所属するなりすればいい。

 しかし高校部活でやるならば、勝つためにやるべきであるし、そういう意識を持つ者が集まるべきだと修は考えている。


 それが普遍的に正しい考えなどとは思っていないが、お金も殆どかからず、設備もそれなりに整っていて、多くの時間を割けるという恵まれた環境でやれるのは学生の間だけだ。

 ならば今は全力でバスケをやることこそが高校生のあるべき姿ではないのか。


「それに、宮井さんのおかげで俺はまたバスケができるようになった。凪先輩だって本気でやりたいことがやれるようになったし、才木先輩も白石先輩も心に火が着いた。全部きっかけは宮井さんなんだよ。だから、自分のせいなんて言わないで」


 修はできるだけ優しく語りかけるような口調で言ったつもりだが、内容はかなり勢いで言った感がある。

 果たして修の言葉は汐莉の胸に届いただろうか。


 修は不安になりながらも汐莉の反応を待った。


「……私のおかげ、か。そんな風に言ってもらえるなんて、思ってもみなかった……」


 汐莉は微笑んでぽつりと呟いた。


「ありがとう永瀬くん。元気出てきた」

「良かった。宮井さんに暗い顔は似合わないよ。俺は笑ってる宮井さんが……」


 と、そこまで言って修は慌てて口をつぐんだ。

 無意識的に口が動いていたが、今自分はなんと言おうとしたのか。


「えっ……? 今なんて」

「な、なんでもない! なんでもないから!」


 追及してこようとする汐莉を無理やり退けて、真っ赤になった顔を背けた。

 横目で見ると汐莉は不思議そうに首を傾げていた。


「と、とにかく!」


 修は恥ずかしさを吹き払うように咳払いをした。


「今は、えーと……そうだ、渕上先輩のことだよ!」

「そうだね。このままじゃいけない」


 修の話題転換に汐莉が真剣な表情になった。

 修は一瞬気が緩んでしまっていたが、栄城バスケ部の問題はまったく解決の糸口が見つかっていないことを思い出して表情を引き締める。


「もしかしたら渕上先輩、凪先輩が言ってたように本当に辞めてしまうかもしれないよな……」

「そう、だね……。あの様子だと、そうなってもおかしくないと思う」

「……引き止めるべきじゃないのかな。渕上先輩、かなりつらそうだった。実はもう本心ではバスケをやりたくないのかも……」

「ううん、それは違うと思うよ」


 修の弱気な言葉に対して、汐莉がきっぱりとした口調で反対した。

 どうやら何か根拠があるようだ。


「だって灯湖先輩、それでも今までバスケを続けてきたんだよ。バスケをやるのが苦しいなら、高校は別の部活をやってるんじゃないかなぁ。それに、総体が終わっても引退せずに残ってるし」

「確かに……」

「灯湖先輩、きっとまだバスケが好きなんだよ。つらいことがあったけど、それでも続けたいって思う程」


 汐莉の言葉に、修もその通りだと思った。

 これまで修は、灯湖の態度から彼女はバスケが好きではないのではと思っていたが、今では考えが改まった。

 好きなのに過去のトラウマのせいで本気になれない、それでも好きな気持ちにすがりつくように、バスケをしているのではないか。


「気になってることはまだあるんだ。灯湖先輩、勝つためのバスケができないって言ってたよね。でも本気でそう思ってるなら、どうして永瀬くんがコーチをするってなったときに反対しなかったのかな」

「そうだな、普通は反対するように思う……」


 だが灯湖はその提案を受けたとき、驚くほどすんなりと了承した。

 しかしコーチを立てると凪が言い出したのは、より強くなるため、勝つためだということだと灯湖も理解していたはずだ。


「もしかしたら、それで自分も変われるかもしれないって期待があったのかも……」

「期待……そうなのかな……」


 確かにそう言われるとそう思えなくもないが、実際の灯湖の考えはわからない。


「でもそれが本当だとして、俺たちはどうするべきなんだろうか……。全国出場の目標を掲げた以上、もう前みたいに惰性でやるようなバスケには戻れない。そうなれば、渕上先輩のトラウマを解消してあげることが最善の道だと思うけど……」


 修は自分で言っていてそれがかなり難しいことだと思い気落ちした。

 三年間も引きずるような心の傷を、最近知り合ったような自分たちがなんとかできるとは到底思えない。


「晶先輩に協力してもらうのはどうかな」

「大山先輩に?」

「うん。晶先輩なら事情を一番知ってるし、何より昔からの親友でしょ? 私たちの言葉は響かないかもしれないけど、晶先輩の言葉ならなんとかなるかもしれない」

「そうか……そうだな。それが一番可能性がありそうだ」


 修は顎に手を当てながら頷いた。


「問題は、晶先輩が協力してくれるかってとこなんだけど……」

「うん……そこはもう、誠心誠意お願いするしかない。大山先輩だって、渕上先輩の今の状況を良しとしていないはずだ」

「そうだね。私たちの気持ちを晶先輩に、そして灯湖先輩にも伝えるんだ」


 修と汐莉はお互いに目を合わせ、誓い合うかのように力強く頷き合った。


「永瀬くん、私、今のメンバーで全国に行くことを絶対諦めたくない」

「うん、俺も同じ気持ちだよ。大山先輩に協力してもらって、渕上先輩がまた楽しくバスケができるようになれば、チームがまとまってもっと強くなれる。だから頑張ろう!」


 明日からどう動くかは決まった。

 これが上手くいくかどうかで栄城バスケ部の未来が決まる。

 修はより一層気を引き締めた。

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