第102話
「おーい、灯湖ー!」
自分を呼ぶ声が聴こえたのでそちらを見てみると、遠巻きでもかなり身長が高いことがわかる少女が手を振りながら近付いて来ていた。
「晶! 来てくれたんだな」
灯湖はストレッチを止めて立ち上がり、笑顔で迎える。
灯湖も同年代の女子と比較すれば長身な方だが、晶はさらに10㎝以上高い。
周りの人間は晶を見て目を丸くし、どこの学校の選手なんだとざわざわし始めていた。
「吹奏楽部の練習が思ったより早めに終わったからね。間に合って良かった」
晶は周りの声が聞こえているはずだが、まったく気にする様子もなしに朗らかに笑った。
「あれ? 晶ちゃんじゃん」
「ほんとだー! 応援に来てくれたの?」
晶の姿に気付いた灯湖のチームメイトが集まってきた。
晶と彼女たちは別段仲が良いわけではないが、灯湖の親友であり何かと目立つ晶とは既知の間柄である。
「うん。灯湖の中学最後の総体だからね。勇姿を見届けようと思って」
「さすが~。あ、良かったら晶ちゃんも試合出る? 晶ちゃんがゴール下にいてくれれば無敵だよ。ユニフォームは適当に誰かのやつを……あ、なんなら私のでもいいよ!」
チームメイトの一人がわざとらしくキョロキョロと顔を動かした後、Tシャツの内側に着ている自分のユニフォームを覗かせておどけて見せた。
それを見た他の部員たちも楽しそうにはしゃいだ。
「あはは……。あたしはでかいだけの足手まとい
だから、遠慮しとくよ」
「カナ。晶を困らせるな。それに、カナは大事なスタメンなんだから出てもらわないと困る」
灯湖もノリに合わせてわざとらしく腰に手を当て怒っているフリをした。
「冗談だよ~ごめんごめん! 灯湖キャプテンは厳しいんだから~。……ま、ユニフォーム渡しちゃいたいのは半分本気だけど……」
カナはそれまでと一転して急に力なく笑った。
そしてそれに続くように、他のチームメイトの間にもなんとも言えない空気が流れた。
晶は状況が掴めず怪訝な表情で灯湖に助けを求めてきた。
「ごめん皆、ちょっと気分転換にその辺散歩してくるよ。晶、行こう」
「え? う、うん」
困惑する晶を強引に引っ張り、皆の元を離れる。
あてもなく歩き出したが、程なくして日陰で人気のない場所を見つけたのでそこで立ち止まった。
「次の試合に勝てばベスト8だったよね。う~なんかこっちまで緊張してきたよ~」
「……そうだな」
「? 灯湖、なんか浮かない顔してるね……? 大丈夫? 緊張してるの?」
晶は身を屈めて灯湖の顔を心配そうに覗きこんだ。
「うん……緊張も……もちろんしてる。でも、気がかりなのは別のことなんだ」
「気がかり?」
「さっきのカナの言葉と周りの態度……おかしかっただろ?」
「え? うん、確かに変だったね。なんか本当に試合に出たくなさそうにも見えたけど……」
「実際そうなんだよ。カナだけじゃない。他の子たちだって、出来れば出たくないと思ってるはずだ」
「え!? どうして……?」
灯湖の突然のカミングアウトに、晶は驚愕の表情を浮かべる。
部外者の晶にとっては、ベスト8目前のチームの部員、それもレギュラー選手までもがそのような考えを持っているということが信じられないのだろう。
「原因は顧問の牧原だ」
「牧原が?」
女子バスケ部の顧問の牧原はほとんどの生徒から厳しい、怖い等、ポジティブとは言えない評判を集めている教師だ。
「前から練習でも試合でも、ミスに対して厳しく叱責するタイプだったが……。先週の試合に勝ってからそれが更にエスカレートしているんだ。暴力まではいかないが、かなり理不尽な暴言を吐くことが多くなった。皆それに怯えている」
「なんで急に……」
「さぁね。でも恐らくは、チームがベスト8を狙えると思って息巻いているんじゃないかな」
「そっか……。それで皆怒られたくないから、試合に乗り気じゃないってことなんだね。牧原って、前から嫌いだったけどそんなやつとは思わなかった。ねぇ、灯湖もひどいこと言われたりしてるの? もしそうならあたしが……!」
晶は眉を吊り上げて怒りを露にする。
自分のために怒ってくれているのは嬉しいが、灯湖は首を横に振って否定した。
「私は皆と違って何も言われないよ。これは最近始まったことじゃないけど、贔屓されているんだ。あからさまにね」
「贔屓……?」
「あぁ。あの人いわく、私は宝石の原石で、他とは違うんだと」
灯湖は思わず吐き捨てるように言った。
確かに灯湖の実力は二年の半ば辺りから急激に伸びていった。
大会で上位に行ったことがないため知名度は低いだろうが、最近戦ったチームに灯湖の相手になる選手はいなかった。
そんな灯湖を見て、牧原は目の色を変えた。
大方自分が育てたのだといい気になりたいのだろう。
実績を残せば学校でもバスケ界でも地位が変わってくるので、それに対する欲も出てきているのだと想像できる。
(低俗な男だ……)
それに贔屓されている者がいれば他の部員たちは反感を覚えるだろう。
その矛先は牧原だけでなく灯湖にも向けられる。
表面上は仲良くしているが、自分を妬む者もいるという噂を灯湖自身も聞いたことがあった。
それまでは楽しくバスケをやれていたのに、牧原のせいでチーム内に不和が広がり、気持ちも乱されてしまったのだ。
灯湖は牧原の下卑た笑い顔を思い出して心底不愉快な気持ちになった。
「試合にさっさと負ければあいつから解放される。皆そんな風に思っているんだろう」
そう呟くと、晶はまた心配そうに眉を寄せた。
「……じゃあもしかして、試合で手を抜くつもりなの?」
晶の問いかけに一瞬そうしてもいいかなという気持ちが湧いた。
他の部員の中にも同じ考えの者はいるだろうし、皆の気持ちを考えればそれも間違っていないように思える。しかし。
「まさか、そんなことしないよ。あいつのことは大嫌いだけど、バスケは大好きだから。バスケのことは裏切りたくない。だから本気でやる」
これは疑いようのない本心だ。
灯湖が真剣な眼差しで言うと、晶は満足げに笑った。
「……うん! それでこそ灯湖だよ! 頑張ってね! あたしも一生懸命応援するよ!」
「あぁ、ありがとう。晶の声援があれば百人力だ」
灯湖は晶とハイタッチを交わした。
そうだ、牧原のことは関係ない。
自分は全力で自分のバスケをやるだけだ。
その後チームの皆と合流し、アップも終えてから試合前の最終ミーティングとなった。
もちろんそこには顧問の牧原の姿もある。
そのせいで部員たちには必要以上の緊張が走るが、牧原はまったく気付いていない。
「いいか、オフェンスはこれまで通り渕上中心でいけ。練習でやってるように、スクリーンを使ったり走り回ってディフェンスを引き付けろ。ただしお前らは全員囮だ。最後は渕上に回せよ。今日の相手くらいならそれで充分なはずだ」
頭が痛くなるような牧原の指示を聞いて、部員たちは不本意ながらも返事をした。
(確かに前回までの試合はそれで通用したが……。そろそろ厳しいだろう……)
恐らく相手も何らかの対策をとるはずだ。
そんな幼稚な作戦で勝てる程ベスト8の壁は薄くない。
「皆、ごめん」
ミーティングが終わり、牧原が去ったあと灯湖は部員たちに頭を下げた。
「申し訳ないけど、とりあえずは牧原の言うように私にボールを集めて欲しい。でももちろん、皆はただの囮なんかじゃないよ。厳しくなったら皆にもパス回すから、そのときはお願いします」
本来ならキャプテンである自分が牧原に異を唱えるべきなのかもしれない。
しかし灯湖もしっかりしているとは言え中学生だ。牧原に逆らうのは当然恐ろしかった。
その責任を感じて今頭を下げているが、部員たちがどういった反応をするのか怖くて顔を上げられない。
「もう、なんで灯湖が謝るの?」
すると誰かが優しい声で言った。
恐る恐る顔を上げるとカナが微笑んでいるのが見えた。
「謝るのは私らの方だよ。もっと私らが上手かったら、灯湖一人に負担をかけなくて済むのに」
「そうだね……悔しいけど、牧原の作戦は仕方ないよ。灯湖がシュートするのが一番確率いいし……」
「その分、ディフェンスとか、リバウンドとかで頑張るから! 灯湖はガンガン攻めていってね!」
カナに続いて他の部員たちも灯湖を庇ったり励ましたりする言葉をかけた。
「みんなで頑張ろうよ。チームなんだからさ」
カナが少し照れ臭そうになりながら言った。
それを聴いて灯湖は自分の目が少し潤んだのを感じた。
「皆……ありがとう! 絶対に勝とう!」
嬉しい気持ちが抑えられなくなって、灯湖はガラにもなく拳を突き上げた。
皆も続いて声を上げながら拳を突き上げる。
チームの結束は思っていた程弱くはなかった。
(これならいけるかもしれない……!)
灯湖は胸に湧き上がった希望に顔をほころばせた。
試合前の練習が終わり、自チームのベンチでユニフォーム姿になった灯湖は、深呼吸をして心を落ち着かせていた。
シュートタッチはかなり良かった。このまま集中してゲームに入れれば、序盤に突き放せるかもしれない。
そんな自信を抱きながら、ふぅーっと深く息を吐いた。
「調子はどうだ?」
そんな中、馴れ馴れしく灯湖に声をかける者がいた。
牧原だ。他の部員には向けないにやにやとした笑みを浮かべながら肩に手を置いてくる。
「多分、いい感じです」
すぐさま振り払いたい気持ちを抑え、淡々とした口調で返答すると、牧原は更に口角を上げた。
「そうか! それは良かった! 頼むぞぉ、お前にかかってるからな!」
「わかってます」
せっかく集中できていたのに、牧原のせいで気持ちが落ちてしまった。
ブザーがなり、通告されていたスターティングメンバーがコートへと出る。
ふとコートサイドに目をやると、晶が手を振っているのが見えた。
信頼している親友が応援してくれている。そう思うだけでかなり気持ちが落ち着いてきた。
灯湖も小さく手を振り返し、気合いを入れ直して整列をする。
挨拶を交わして試合が始まった。
ジャンプボールは相手にとられてしまい、灯湖たちはディフェンスからのスタートとなった。
相手は小気味良くパスを回すが、灯湖たちの堅固なディフェンスにシュートを撃つ隙を見出だせない。
牧原はオフェンスとは違い何故かディフェンスの指導は立派なもので、灯湖のチームはこのようにそれなりに戦えるディフェンスを展開することができていた。
チーム内では牧原は学生時代ディフェンス専門のサブメンバーだったのではと噂されているが、真偽の程は定かではない。
相手のチームは何度かドライブをしかけるが、ディフェンスを突破することはできず、最終的に苦し紛れのシュートを放つことになってしまった。
灯湖のチームがリバウンドをとり、攻守が入れ替わる。
灯湖のチームは作戦通り、スクリーンやカットで相手を撹乱しつつ、灯湖にシュートを撃たせた。
練習前の感覚通り、灯湖のシュートは綺麗に決まる。
その後も固い守りからの灯湖の攻めでを繰り返し、前半終了時点で12点差をつけることに成功した。
これだけやれれば牧原の機嫌をとるには充分だろうと灯湖は思ったが、実際には期待通りにはならなかった。
「お前! なんであのときシュートを撃ったんだ!? お前はヘタクソなんだから、渕上に撃たせろと言っているだろう!」
ハーフタイムになるなり牧原がカナを怒鳴りつけたのだ。
突然のことにカナは驚き動揺して、泣きそうになりながら「すみません」と謝っていた。
他の部員も牧原の激昂に気圧されて口をつぐむ。
「他のやつらもだ! いいか、自分が目立とうなどと思うな! 勝ちたいなら渕上に撃たせろ! 二人付かれようが三人付かれようが、渕上の方がお前らがより可能性が高い!」
牧原の高圧的な態度に怒りが沸き上がり、灯湖は奥歯を強く噛みしめた。
確かにカナはあまりシュートは得意ではない。先程もノーマークでミドルを外してしまっていた。
しかしだからといってそんな言い方はない。
カナは他の部分で頑張っているし、そのおかげで灯湖も楽にプレーできている部分もあるのに、それには目もくれずに失敗を攻め立てる。
(ふざけるな……!)
そう思いながらも言葉は出てこない。
灯湖は横柄な大人に立ち向かうことのできない自分の弱さに対しても腹が立った。
「カナ……大丈夫か……?」
隙を見て灯湖はカナに話しかけた。
怒鳴られた直後よりは幾分気持ちが落ち着いているようだが、それでも目は潤んでいる。
「だ、大丈夫……多分……」
弱々しい声でカナは答えた。
いつもの元気はなく、見ているこっちが不安になってくる。
「カナがディフェンスとか、他のことで頑張ってるの、ちゃんとわかってるから。オフェンスのときは遠慮せずに私にボール回して?」
「うん……わかった……」
カナは返事をしたが、灯湖と目を合わせようとはしなかった。
そして灯湖たちのボールで第三ピリオドはスタートした。
そこで灯湖は相手のディフェンスがマンツーマンから変わっていることに気付いた。
一人は灯湖のマークとして付いているが、残りの四人はペイントエリアを囲むように四角形に陣取っている。
(ボックスワンか!?)
最も点をとる能力の高い選手に一人マークさせ、残りはゴール付近を守るゾーンディフェンスだ。
アウトサイドで強いシューターがいない灯湖のチームに対しては最適と言える陣形である。
それでも灯湖は果敢に攻めた。
恐らく付け焼き刃のゾーンディフェンスなのだろう、綻びもできやすく、灯湖を完全に抑えることはできなかった。
とは言え前半と比べても灯湖のシュートの確率は落ちていった。
それは無理もない。灯湖のドライブに対して二人も三人もカバーが出てくるのだから。
スタミナもかなり減ってきており、吐く息が荒くなるのを無理やり深呼吸で押さえつける。
そして灯湖の得点が滞れば、必然的に点差は縮まっていく。
気がつけば二点差まで詰め寄られており、残り時間は二分を切っていた。
このまま逆転されれば、悪い雰囲気の中最終ピリオドに入ることになる。
それだけは絶対に防ぎたいところだが、そのためには残り時間で撃つシュートすべてを決めるつもりでいかねばならない。
ここが正念場だ。へばったなどと弱音を吐いてはいられない。
灯湖は両手で頬を叩き自らを鼓舞した。
アウトサイドでパスを回すが、ゾーンの四人はほとんど外に出てこない。
当然だが灯湖中心に攻めていることと、他の選手がアウトサイドにあまり強くないことは既にバレているのだ。
シュートクロックも残りわずかとなった。
灯湖は右アウトサイドのトップ付近でボールを受け、すぐさまシュートを撃つ体勢を作ろうとしたが、マークマンのチェックが厳しくシュートを撃てない。
(くそっ、行くしかないか……!)
灯湖はシュートを諦めディフェンスの右側をドリブルで抜き、ストップ&ジャンプシュートを試みようとした。
ところがそれを読んでいたのか二人目のカバーディフェンスがすぐに目の前に立ちはだかる。
このままシュートを撃っても確実にブロックされる。
そう感じた灯湖は危うくボールを持ちそうになったところをなんとかこらえ、さらに右側からドライブする。
シュートを撃つと思っていたディフェンスは膝が浮いてしまっており、灯湖のドリブルにはまったく反応できずに灯湖のドライブを許してしまう。
しかしその後ろにももう一人ディフェンスがおり、もうドリブルをつくスペースがない。
それでも灯湖は行くしかないと割り切って、強く踏み込んでシュートを撃つために跳びあがった。
それに合わせてディフェンスも腕を伸ばしてジャンプする。
こうなってしまった以上灯湖の選択肢は限られている。
そのままシュートを撃つか、それとも……。
(これは……無理だ……!)
体勢が悪すぎて撃っても絶対に入らない。
そう確信した灯湖は咄嗟に首をひねりパスコースを探した。
すると右サイド0°の位置にカナの姿が写った。
灯湖は反射的にそちらに向かってパスを出す。
(カナっ……!)
すがるような思いで放たれたボール。
難しい体勢であったのに、しっかりと直線軌道でカナの胸元へと向かう。
そして――。
「!?」
灯湖の目には信じられない光景が写った。
その瞬間灯湖は着地に失敗し、フロアへと叩きつけられる。
体に痛みが広がるが、今灯湖にとってそんなことはどうでも良かった。
自分の見た光景が間違いだと確認したくて、再びカナの方へ視線を向ける。
カナは怯えた表情で、体を震わせながら灯湖を見ていた。
「こ、これは……違うの……」
震えたか細い声で弁明をしようとしているカナの背後で、ボールはコート外へと弾んでいっていた。
灯湖が必死の思いで託したパスを、あろうことかカナは避けてしまったのだ。
牧原の怒号が体育館に響き渡るが、もはや灯湖の耳には入ってこなかった。
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