第68話

 汐莉との会話でなんとか希望を捨てずに気持ちを立て直した修だったが、翌朝のSHRショートホームルームで担任の村瀬から告げられた言葉に再び動揺させられることになった。


 曰く、最近熱中症が全国的に話題になっているため、職員会議で対策を練る。その関係で本日は全校文化部も含めて部活動は中止ということだった。


 村瀬の口振りではこの学校で問題があったわけではなく、あくまで一般論として熱中症対策が必要だと判断した、ということのように聴こえた。


 しかしタイミング的にバスケ部の、凪のことがあったから急にそういうことになったのだ、ということは明らかだった。


「練習休みになっちゃったね……。このまま活動休止、なんてことにはならないよね?」


 優理が修の席までやって来て不安そうに苦笑しながら小声で言った。クラスメイトに今回のことはバスケ部が発端だと知られるのはまずいと思っての配慮だろう。賢明な判断だ。


「うん……さすがにそこまではいかないと思うけど……」


 しかし一日だけとはいえすべての部が活動中止になるということは、学校としてはなかなか大事と捉えているということだ。

 修は凪が無事だったことにより、大した問題でなくて良かったと思っていたが、それは少々浅はかだったようだ。





 休み時間になり、修は凪の所属する三年E組の教室前に来ていた。

 昨日修が帰った後どういう話をして、どういう結論になったのか知りたかったからだ。


 E組は廊下の突き当たりにあるいわゆる角部屋である。他クラスの生徒が頻繁に通行することのない位置にあるのは、勉強に集中できる環境作りの一環らしい。


 他の教室と違い一ヶ所しかない扉の窓から中を覗きこむ。

 教室内からは喋り声などは聞こえない。それもそのはずだ。教室に残っている生徒は皆一様に真剣な表情で席につき、参考書を読み込んだり一心不乱にノートに何か書き込んだりしている。


 まだ一年生で大学受験など意識したことのない修にとって、三年E組の様子は異様なものに映り、思わず固唾を飲んだ。

 緊張しつつきょろきょろと目線を動かしたが、扉の位置的に教室内すべてを見渡すことができず、凪の姿を確認することはできない。


「E組になんか用?」


 この雰囲気の教室に入っていくのは難しいと思い諦めかけた時に、突然背後から声をかけられて修は驚いた。

 慌てて振り返ると恐らくE組の生徒と思われる男子が立っていた。怪訝な表情で修のことを見ている。


「す、すみません。あの、市ノ瀬先輩っていますか?」

「市ノ瀬って、市ノ瀬凪のこと? 今日は体調不良とかで休みだよ」

「えっ、そ、そうなんですか。ありがとうございます」


 修が頭を下げてお礼を言うと、男子生徒は軽く手を上げて教室へと入っていった。

 凪が休みという言葉に一瞬驚いたが、よく考えてみれば当然だ。大事に至らなかったとは言え、意識を失うところまでいったのだ。

 一日は安静にしておくべきだと医者か親が判断したのだろう。


 こうなれば川畑の所へ訊きに行くしかないと思い、次の休み時間に職員室に向かった。

 しかし川畑からの返答は「話せない」の一点張りだった。


 理由は市ノ瀬家と学校及び川畑間の問題であり、他生徒においそれと話すことは禁止されているから。

 そしてまだ不確定で結論の出ていないことが多く、話せる段階にないかららしい。


 修は納得ができず食い下がろうとも考えた。しかし川畑の様子がいつもと違い、なんだかやつれているようにも見えたため、これ以上心労を増やすのは忍びないと思い引き下がることにした。

 川畑に挨拶をして教室までの廊下を戻る。


「あ、永瀬くん! やっと見つけた!」


 修が落胆しつつ自分の教室に入ろうと扉に手をかけた時、汐莉が少し離れた所から声をかけてきた。

 パタパタとスリッパを鳴らしながら駆け寄って来る。どうやら修を探していたようだ。


「どこか行ってたの?」

「うん、川畑先生の所に行ってた。市ノ瀬先輩のことを訊きに行ったんだけど、なんにも教えてもらえなかったよ……」

「そうなんだ……」


 凪の進退は汐莉も相当気になることだったようで、修と同じように大きく肩を落とした。


「それはそれとして、何か用?」

「あ、そうだった。今日部活なくなっちゃったでしょ? だから自主練見てもらえないかなーって思って」

「えっ」


 修は汐莉からの思いもよらない言葉に驚いてしまう。


「? 何か変なこと言った?」

「いや、なんて言うか、宮井さんいつも通りだなって思って」


 部がゴタゴタしているこの状況だ。修は自分がかなり動揺していることを自覚していたが、汐莉はあまりそういう様子が見られない。


「うん。もしかしたら、私って冷たい人間なのかも。もちろん凪先輩のことは心配だよ。でも、必要以上にそのことに心を囚われても、どうしようもないことだってあるよ」

「どうしようもない……か」


 確かにその通りだと修は思った。しかし、やはり簡単には割り切れないし、気になってしまうのも事実だ。


「私が今できるのは、待つこと。そして、私自身がもっと上手くなること。上手い人が増えれば、今回みたいに凪先輩が一人で抱え込んでしまうようなことなく、頼ってもらえるんじゃないかなって思うんだ。そうなればいいなっていう、勝手な妄想だけどね」


 汐莉ははにかんで笑った。

 目の前しか見えていない修と違って、汐莉は何歩も先を見ているのだ。


(そうだよ……うじうじしてたって状況が変わるわけじゃないんだ。今やるべきなのは、自分ができること。俺にできること、それは……)


「私は一人でも練習するよ。永瀬くんはどうする?」


 心なしか汐莉の表情は修を試しているようにも見えた。


「いや、俺も手伝うよ。今の俺にできることは、それくらいだしな」

「やった! ありがとう!」


 汐莉は修の言葉を聴いて満足そうに笑った。


(最近は宮井さんに支えられてばかりだ……。もっと強くならなきゃ)


 修は汐莉の強さを尊敬しながら、自分もそうなりたい、そうならなければいけないと思った。




 放課後は約束通り汐莉と共に自主練習に励んだ。

 汐莉にバスケを教えている間はイヤなことは忘れられ、自分で思っている以上に集中して練習することができた。

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