第69話

 翌日土曜日は普段通り部活動は行われた。

 いつもと違っていたのは、開始直後に川畑から熱中症の症状についての説明や、予防対策、 応急処置のやり方などの説明があったことだ。


 時間をかけてゆっくりと行われた熱中症講座を全部員真剣な面持ちで聴いていた。ただ一人を除いてだったが。

 凪は今日の部活にも来ていなかった。川畑が言うには体調を考慮してとのことらしいが、その話をしている際の川畑の様子は少し違和感があった。


 その違和感の正体がわからぬまま、練習が始まってしまった。

 凪が倒れてしまったことはもちろん、突然の一日休止、そして今日の熱中症講座と、イレギュラーなことが続いてしまった影響か、各部員どこかぼんやりしているようにも見えた。


 そんな中一人異彩を放っていたのは汐莉だ。

 誰よりも大きな声を出し、誰よりも走る。

 練習の中で灯湖相手にワンドリブルで抜き去りストップ&ジャンプシュートを決めた時は、さすがに修も驚きを隠せなかった。

 成長速度が異常だと言える域だ。灯湖をはじめ、他の部員も目を見開いて驚いていた。


 部員たちは皆、汐莉の姿を見て触発されたのか、徐々に動きのキレが戻ってきた。

 汐莉のおかげで弛緩していた部の空気も引き締まってきた。あのまま練習を続けていれば、また怪我人が出ていたかもしれない。


 そしてすべてのメニューが終わり練習が終了した。最後に川畑の話で締めだ。

 部員全員で川畑の元に集まり、川畑が喋り出すのを待った。


「はい、今日もお疲れ様でした。…………えー、実は、市ノ瀬さんのことでお知らせがあります」


 そう話し出した川畑の表情は、とても良い知らせをこれから話す人のそれではない。

 その場にいた全員が川畑の次の言葉を待つことなく内容を理解した。


「非常に言い辛いのですが、昨日市ノ瀬さんから退部届けが提出されました」


 修は受け入れがたい言葉に反射的に川畑から目を逸らした。

 部活開始時に川畑から感じた違和感はこれのことだったのだ。


 予想して、覚悟していたことのはずだった。しかし川畑の口から聴いたことで、それは疑いようのない事実であることが確定してしまったため、やはり相当なショックだった。


 部員の何人かはハッと息を飲み、それぞれ顔を見合わせる。


「それは凪本人が、ということですか?」


 灯湖が手を挙げて発言する。いつものように冷静に振る舞ってはいるが、その表情はやはり他の部員同様曇りを隠せていない。


「昨日、本人がお母様を伴って職員室に来て、僕の目の前で退部届けに記入して行きました。改めて二人と話をしましたが、凪さんも納得をしての退部だそうです」


 もしかしたら親が勝手に、あるいは無理やり提出させられたのかもしれない。そうであればまだ説得すればどうにかなる可能性もある。

 そう思ったが、川畑から発せられた言葉は無慈悲なものだった。


「黙っていてすまない。今日の練習に影響があると良くないと思ってこのタイミングで教えることにしたんだ」


 川畑が申し訳なさそうに言った。

 その判断は妥当だろう。もちろん文句を言う者などいない。

 と言うより、全員そんな余裕はなかった。凪の退部という事実に動揺し、どうしていいのか、何を言えばいいのかわかっていない様子だ。


「理由としては、受験勉強に集中するためということになっている。でも、親御さんとしては顧問である僕の監督能力に疑問がある、というのもあるだろう。僕はそれを深く受け止めて、君たちが同じように部活中に倒れたりすることがないよう、しっかり努めていきます。話は以上です。何か質問はあるかな」


 川畑が全員の顔をゆっくり見回すが、誰も発言の意思を示さない。


「では今日はここまで。暑いから、自主練習などはせず速やかに帰りなさい」





 川畑の指示に従い、全員私物を持って更衣室へと向かった。

 皆沈んだ表情で、誰も言葉を発しようとしない。

 しかし更衣室前へとやって来たところで、灯湖がその沈黙を破った。


「みんな少し聴いてほしい」


 皆一瞬驚いたが、すぐに自然と灯湖の周りに集まって耳を傾けた。


「凪が突然退部ということになってしまって、皆動揺していると思う。私も二年と数ヶ月一緒にやってきた仲間がこんなことになって、すごく残念だ。でも、それで私達がぐずぐずしていても仕方がないよ。切り替えて、明日から残りのメンバーだけで頑張っていこう」


 皆を諭すように語る灯湖の姿は、本当に二歳しか違わないのかと修が疑いたくなるほど落ち着いていた。

 こういう時に灯湖はキャプテンとしてしっかりとした振る舞いができる。それはとても素晴らしいことだが、欲を言えばもっと普段から細かいことに気を配れば良いのにと思ってしまった。


「あの」


 するとよく通る声を上げる者がいた。皆の視線が集まった先にいたのは汐莉だ。

 物怖じせずに毅然とした態度で灯湖を見つめている。


「どうした汐莉?」

「皆はこのまま凪先輩の退部を受け入れるんですか? 皆で説得してみれば、もしかしたら考え直してくれるかもしれません?」


 汐莉の言葉に灯湖は少しだけ目を見開いた。

 他の部員たちも探り合うかのように顔を見合わせる。


 修も驚いたが、確かに汐莉の言うことも一理ある。簡単に受け入れずに、足掻いてみてもいいのではないか。

 先輩たちはどういう返答をするのだろうか。


「……いや、それはやめておいた方がいい。凪には凪の事情がある。他人が首を突っ込むべきではない」

「あたしもそう思うよ。凪んちってけっこう厳しいし……。それに凪もけっこうプライド高いから、一度決めたことは曲げないと思う」


 灯湖と晶は汐莉の意見に否定的だった。

 汐莉が今度は二年の先輩の方へ意見を求めるように視線を向けた。


「私は……同学年の二人がそう言うなら、そうするべきだと思います」


 菜々美が床に視線を落としながら自信無さげに言った。

 隣の涼はそれを肯定するようにゆっくりと縦に一度首を振った。


「先輩たちがそういう考えなら、私たちもそうするしかないっす……」

「しおちゃん、残念だけど、諦めよう」


 星羅と優理も先輩たちの意見にながされている。

 残念だが、汐莉が望んでいた結果にはならなそうだ。


「さぁ、早く着替えて帰ろう」


 灯湖に促され、部員たちは更衣室へと入っていった。

 しかし汐莉だけはその場から動かずじっとしている。

 皆が自分の意見に乗ってくれなかったことに落ち込んでいるのかと思い、修は何か言葉をかけようとした。


 するとその前に汐莉がくるりと振り返り、修の目をじっと見つめてきた。


「永瀬くんはどう思う?」

「……そりゃ、先輩たちの言うことは正しいと思うよ。それに今回は、市ノ瀬先輩だけじゃなくて市ノ瀬先輩の家の事情によるところが大きいと思う。それならなおさら俺たちが首を突っ込むべきじゃない。……というのは建前」


 修が最後に付け加えた言葉に、汐莉がきょとんとした顔になった。


「俺は市ノ瀬先輩が本気で納得して退部を受け入れたなんて、到底思えないんだ」


 凪とバスケについて語り合った日のことを思い出す。

 その時の凪は心底楽しそうで、修や汐莉に負けないくらいバスケが好きなのだということがありありと伝わってきた。


「宮井さんが市ノ瀬先輩のところに説得に行くなら、俺も一緒に行く。このまま何もせず放っておくなんて、できない」


 修の答えに汐莉は満足そうな満面の笑みを浮かべる。


「そうこなくっちゃ! そうと決まれば早速……」


 汐莉はスマートフォンを取り出し少し操作をしたあと、自分の右耳に押し当てた。


「えっ、誰に電話してるの?」

「そりゃ凪先輩だよ! この後行ってもいいか訊いてみる!」

「えぇっ!?」


 確かに決めたら即行動するというのは良いことだが、まさかすぐに行くつもりだとは思わなかったため、修はあっけにとられてしまった。

 しかし日が空いてしまうと凪の気持ちも固まってしまうかもしれない。そう考えると汐莉の選択は正しいのかもしれない。


 汐莉のスマートフォンから漏れ聞こえてくる呼び出し音が四回目になった。

 もしかしたら電話がとれない状態なのか、あるいは意図的に無視しているのか。

 駄目かもしれないと修は諦めかけた。しかし五回目の呼び出し音が途中で途切れる。


『……もしもし』


 凪が電話をとったようだ。

 電話口のため声からは感情を判断仕切れないが、少し戸惑っているような声に聴こえた。


「もしもし宮井です! 突然電話してすみません。凪先輩、調子はどうですか?」

『どうって……まぁ、昨日はまだちょっとだけ気だるさみたいなのが残ってたけど、今日はもう全然大丈夫よ』

「ご飯も食べられてますか?」

『そうね。普段と同じくらい食べられたわ』

「そうなんですね! よかったです! 今日はこの後は何して過ごすんですか?」

『別に……予備校に行こうと思ってたけど、お母さんが家にいろって言うから、家で勉強してるわよ』

「わかりました! じゃあ、午後に永瀬くんと一緒にお見舞いに行きますね!」

『はっ!? えっ、ちょっと……』

「二時くらいに行くので、待っててくださいね!」

『いや待ちなさい宮井! お見舞いなんて』


 完全に凪の言葉が途中だったが、汐莉は容赦なく通話を切った。


「そういうことだから!」


 汐莉がいたずらっ子のようにニカッと笑った。

 修は汐莉のあまりに勢い任せの行動に唖然としていたが、次第につられて笑ってしまった。


(宮井さんの行動力は、さすがだ)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る