第67話

 永瀬修は重い足取りで病院から学校までの道を歩いていた。

 川畑の車に凪を運んで、そのまま病院に付き添ったので、貴重品以外の持ち物は体育館の更衣室に置いたままだ。


 凪を連れていった病院は栄城高校から徒歩10分もない距離にあったため、凪の母が渡そうとしたタクシー代を断り徒歩で帰ることにした。


 この後川畑と凪の母がどういった話をするのか、大体は想像できる。

 それが修にとって、栄城女子バスケットボール部にとって良いことではないのは明らかだ。


 病室を出る際に見えた凪の顔を思い出す。

 その表情からは様々な感情が見てとれたが、どこか諦めたような表情にも見えた。


(市ノ瀬先輩、辞めちゃうのかな……)


 いくら考えても最悪のシナリオしか想像できない。

 修は深くため息を吐きながらとぼとぼと歩を進めた。


 学校に着くのに思ったよりも時間を食ってしまった。

 明子には連絡を入れてあったが、遅くなればなるほど心配してしまうだろう。

 さっさと更衣室の荷物を持って帰ろう、そう思って体育館の玄関で靴を脱いだ。


「永瀬くん」


 突然名前を呼ばれて驚いた。声がした方を見ると、汐莉が廊下の壁にもたれるように体育座りをしていた。

 こちらを見るその顔には弱々しい微笑みが浮かんでいた。


「宮井さん、もしかして待ってたの?」

「うん……。心配だったし、永瀬くんに付き添い任せちゃったから帰るに帰れなくて……」

「そんなの気にしなくていいのに……」


 汐莉はゆっくりと立ち上がり、両手でお尻をパンパンと叩いて埃を落とした。


「宮井さん、少し話せる?」

「え、うん、大丈夫だよ」

「ありがとう。じゃあ荷物とってくるから……そうだな、例の場所で待ってて」

「わかった」


 修は先程あったことを汐莉に話そうと思った。修一人の中に留めておけるような話ではないし、何より今抱いている不安を誰かと共有したかった。

 それに汐莉なら何か力になってくれる、そういった期待も少なからずあった。


 急いで荷物をまとめて体育館を出る。ぐるりと回って体育館裏に行くと、汐莉が座って待っていた。

 人通りがなくて静かに話せる、汐莉のお気に入りの場所。ここに来るのは久し振りだ。


「ごめん、お待たせ」


 修は汐莉の隣に腰かけた。


「凪先輩は大丈夫だった?」

「うん。目も覚ましたし、症状もそんなに悪くなかったみたいだった。途中で追い出されたから詳しくはわからないけど、多分大丈夫だと思う」

「そっか、それは良かった」


 汐莉がほっと息をついて安堵の笑みを浮かべる。


「でも、追い出されたってどういうこと?」

「うん、そのことなんだけど……」


 修は凪の母親がやって来て、凪を退部させるという話になったということを説明した。


「そっか、そんなことがあったんだね……」

「うん……。市ノ瀬先輩のお母さん、厳しそうな人だった。それにあの口振りからすると、多分前々から先輩とそういうことを話してたんじゃないかって思う」

「だから『いついなくなるかわからない』みたいなこと言ってたのかもしれないね」

「そしてとうとう、今回のことが引き金になってしまった……」


 娘が部活中に倒れた、という事実は、辞めさせるにはうってつけだ。顧問である川畑も、当人である凪も、凪の母に反論するのは難しいだろう。


「ねぇ永瀬くん。その話が出た時、凪先輩は何か言ってた?」

「いいや……。そのまますんなり受け入れてしまいそうな……諦めたような雰囲気だったよ」


 凪の性格からすると強気で反抗するものだと思っていたので、あの弱々しい態度には修も動揺してしまった。


「俺……市ノ瀬先輩の様子がおかしいこと、知ってたんだ。昨日体育館で一人で練習してるところを見かけて……。市ノ瀬先輩、その時も立ちくらみみたいな感じで、ふらついて倒れたんだ。でも、誰にも言うなって言われて……。俺、知ってたのに……! 市ノ瀬先輩が倒れる前に気付いて止められてたかも知れないのに……!」


 修は悔しさや後悔で胸が締め付けられる思いだった。

 拳を強く握り締めているせいで、爪が手のひらにどんどん食い込んでいく。

 するとその拳を包み込むように、汐莉がそっと手を置いた。


「永瀬くんのせいじゃないよ。落ち着いて。大丈夫だから」


 汐莉の手は温かく、その心地よさが心まで届く。

 暴れだしそうになっていた修の感情が落ち着きを取り戻していった。


「市ノ瀬先輩、辞めることになるのかな……。俺嫌だよ。せっかく仲良くなれてきたとこなのに……」

「そうだね。私も嫌だよ……。もっと色んなこと教わりたいもん」


 部員が辞める辞めないという問題は、どの部においても珍しいことではないだろう。実際修も中学時代、先輩から後輩まで途中退部をした人はそれなりにいた。


 そして修はその度に心を痛めた。皆辞めていく理由は様々だったが、少しでも同じ時間を共有した仲間が居なくなるのはとても辛かったからだ。


 久し振りに胸を締め付ける感覚に懐かしさを覚える余裕もなく、修は奥歯を噛み締めて気持ちを押さえつける。


「でもまだそうと決まったわけじゃないよ。私たちが勝手に不安になっても仕方ない。先生と凪先輩を信じて待とう」


 修は顔を上げて汐莉を見た。汐莉も不安だろうに、力強い表情で修を見つめていた。

 汐莉は心が強いんだなと改めて感じた。以前修がボロボロになってしまった時に見せてくれた時と同じように、限界を知らない頼もしい表情。


「そうだよな」


 修は鼻をすすって顔を上げた。

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