第62話

「ストライドストップからのジャンプシュートを教えた時は、最初からシュートだけに選択肢を絞って練習してたよね。それで良い場面っていうのは少なからず存在するんだけど、ディフェンスを上手く振り切れないとターンオーバーされるリスクが高い。ならどうすればいいのかっていうのが、この前教えたトリプルスレットだ」


「シュート、ドリブル、パスをどれもスムーズに行える構えだよね」


「あの時はキャッチした瞬間に俺が三つの中から指示を出して、それを聞いてから指示通り動くって練習したよね。本来ならあれはディフェンスの動き、反応を見て三つの中から自分で選択しなくちゃならない。間合いが空いていたらシュート、相手が左に寄っていたら右にドリブルってな具合で。ここまで言ってることわかる?」


「うん、大丈夫」


「OK。で、今宮井さんにできるようになって欲しいのは、ワンドリからのストップ&ジャンプシュートだ」

「トリプルスレットからワンドリブルしてシュート撃つってことだよね」

「そう。ボール貰っていい?」


 汐莉は持っていたボールをチェストパスで修に投げ渡した。


「まずは走り込んでミート、トリプルスレット」


 修はボールを持ったまま軽く跳び、着地をしてトリプルスレットの構えを作る。


「そして斜め前方にドリブル、ステップを踏んでっジャンプシュート!」


 修の放ったジャンプシュートはリングに当たったものの、そのまま外側に弾き出されてしまった。

 修は思わず舌打ちをした。イメージ通りとはいかなかったが、それなりに上手くシュートまで持っていけたと思った。

 しかしブランクのせいで感覚がいまいち戻っておらず、単純な筋力不足も相まってシュートの際に力んでしまった。


(っといけない。宮井さんに教えてる最中だ)


 転々と転がるボールを拾いに行き、平静を装いつつ汐莉の方へ振り返る。


「右足左足でミートした場合、右に抜くなら左足を右前方に踏み込んでクロスステップ。左に抜くなら左前方に開いて踏み込むオープンステップ。左足右足でミートしたならその逆で四パターンだね。普通にシュートするのと合わせればこれで五パターンだ」

「もう一回やってもらってもいい?」

「いいよ。全パターンやって見せるね」


 修は今自分が言った四つのパターンをゆっくりやって見せた。

 汐莉はぶつぶつ一人言を言いながらボールなしで体を動かし、修のプレーを確認する。


「できそう?」

「うん、やってみる!」

「じゃあまずはディフェンスなしで。色んな角度から見たいから、ボール出しはセルフでよろしく」


 そう言って修はボールを汐莉に返してリング下へと移動した。それを確認した汐莉は早速練習を始める。ボールにバックスピンをかけながら山なりに前方へと放り投げる。そうするとボールは自分の方へ返ってくるように跳ねるので、汐莉はそこに走り込みミートする。


 修が最初に見せたように左足を右前方に出すクロスステップを試みたが、ドリブルのタイミングが悪く上手くシュート体勢を作れなかった。


「あ、あれ?」

「今のはドリブルの突き出しが遅いね。左足を踏み込んでからドリブルを突いてしまうと、次のステップが右、左になってしまうでしょ? そうじゃなくて、左足を踏み込むのとドリブルを突くのはほぼ同時にして、左、右とステップを踏む間にボールをキャッチして構えるんだよ」


 修が再び身振りを交えながら汐莉にアドバイスをする。

 それを聞いた汐莉は修のアドバイスを踏まえてもう一度同じ動きをした。

 明らかに先程よりもスムーズにステップを踏めており、シュートを撃つところまでできた。


 しかしシュートフォームはいつもの汐莉のそれとは程遠く、ボールはリングに弾かれてしまう。

 修は自分の付近に落ちてきたボールをキャッチした。


「うん、さっきよりはかなりマシになったね。もう一つ付け加えるなら、ドリブルの突き始めはできるだけトリプルスレットの状態から振り上げずに、そのまま強く押し出すように突き出すと良いよ」


 修はそのままボールを使い、「こうじゃなくて、こう」と今言ったドリブルの違いを実際にやって見せた後、汐莉にボールを返した。


「なるほど……こう? いやこうか!」

「そうそう! それでもう一回やってみて」


 汐莉はもう一度同じように動く。今度はミート、ドリブル、ステップ、そしてシュートまでかなり滑らかにできていた。

 やはり飲み込みが速い。既に慣れた光景とも言えるが、それでも多少は驚いてしまう。


「じゃあリバウンドは俺がとるから連続でやってみよう」

「はい!」


 元気の良い返事で本格的に汐莉の練習が始まった。

 何度も同じ動きを繰り返してシュートを放つ。いくら飲み込みが速いとは言え、慣れないワンドリブルからのストップ&ジャンプシュートだ。シュートフォームが普段と比べると明らかに崩れており、成功率もかなり低い。

 しかしこればかりは反復練習の積み重ねで改善していくしかないだろう。


 時折修がアドバイスを交えながら、汐莉は何度も何度もシュートを繰り返し放つ。

 ずっと同じパターンでやるのも精神的に疲れるので、一定回数行ったら別のパターンに変えてローテーションで行う。

 そしてそれぞれのパターンで、ミートからシュートまでの動きがかなり見映えのいいものになる頃には、既に一時間以上時間が経っていた。


「宮井さん、一旦休憩しよう」

「えっ、まだ大丈夫だよ?」


 恐らく気持ち的にもノっているのであろう。汐莉は休憩せずに続けたいようだ。

 修は汐莉の身の入りように感心したが、このまま続けさせるわけにはいかない。


「もう一時間以上やってる。暑いし、水分補給した方がいい」

「も、もう少しだけ! なんか今良い感じなんだ!」

「ダメ」


 放っておいたら倒れるまでやりかねないので、修は反論は許さないという気持ちでボールを持ったままベンチに向かった。

 横目でちらりと見ると、汐莉も渋々といった様子で付いてきていた。


 荷物からタオルと水筒を取り出し、汗を拭いてから二口程スポーツドリンクを喉に流し入れた。

 今日は程よく曇っているので暑さはかなりマシだが、こういう曇っている時こそ油断して熱中症で倒れることもあるとテレビで見たことがある。


 修の今の肩書きは一応マネージャーだ。部員の体調に気を配るのも自分の役目である。


「練習に集中するのはすごくいいことだけど、それで体壊しちゃったら元も子もないからね。俺がいない時も水分補給は小まめにやりなよ」

「は~い……」


 少し小うるさい感じになってしまったが念押ししておかないと心配だ。このコートは人通りも少ないため、もし倒れてしまってもすぐに助けが来ない可能性が高い。

 それで手遅れになってしまうことだって充分にあり得るだろう。


 汐莉が黙っているので修も声をかけ辛くなってしまった。少しの間気まずい空気が漂う。


「あ~だめだめ!」


 しかしそんな空気を吹き飛ばしたのは汐莉の突然の大声だった。

 汐莉が修の方へ体を向けて頭を下げる。


「ごめん! 不貞腐れた態度とっちゃって……。心配して言ってくれてるの、わかってるから。ありがとう。ちゃんと言うこと聞きます」

「……うん。俺も、上手くなりたくて焦る気持ちは充分わかってるつもりだから」


 きっと今の汐莉は練習したくてしたくてたまらないのだろう。その気持ちは素晴らしいことだ。

 自分の役目はその気持ちをできるだけ上手く放出できるようにサポートすることだと、修は改めて肝に命じた。


「そう言えばこの前、白石先輩と少し話した」


 場の空気を変えようと、修は違う話題を提供する。


「涼先輩と?」

「うん。部の雰囲気についてどう思いますかって」

「け、けっこうストレートに訊いたんだね……」


 汐莉が感心したような、呆れたような苦笑いを見せた。


「いや、いきなり訊いたわけじゃなくて、その前に色々あったんだけど……。まぁそれはいいや。んで、そう訊いたら白石先輩はこう言った。『三年には三年の事情があるんだと思う。でも、何かアクションかけるなら凪さんだ』って」

「凪先輩? どうして?」

「他の二人は前からあんな感じだったらしいけど、市ノ瀬先輩は進級前くらいから精神的に不安定になり始めたらしい。つまり市ノ瀬先輩が抱える事情は他の二人よりも根深くないと踏んだんじゃないかなと思う」

「なるほど……」

「その後意図せず市ノ瀬先輩と話す機会があったんだけど、あの人、バスケ好きで良い人だって感じた。本来なら後輩の指導をほったらかしにするような人じゃないと思うんだ」


 懸命に自主練習する姿や、バスケの話をして楽しそうに笑う姿。そして、修に病院を紹介してくれた時には面倒見の良さも感じられた。


「うん。私もそう思う。絶対何か事情があるんだよ。他に何か言ってなかった?」

「自分には教える資格がないって言ってた。ろくに練習に来ない先輩からあれこれ言われたら私ならムカつくって。あと……」


 そうだ、あの時凪は気になることを言いかけていた。


「『いつこの部を離れることになるかわからない』って」

「それって部活を辞めるかもしれないってこと?」

「そこまでは詳しく話してくれなかった。家庭の事情だって言って……」

「家庭の事情か……。凪先輩の持ち物とか見ると、経済的な話じゃないよね」

「うん。身なりも綺麗だし、お父さんの病院もけっこう人が入ってたよ」


 汐莉が顎に手をやってうーんと考え込む。険しい表情で今にも眉毛と眉毛がくっついてしまいそうだ。


「そして『自分の事情』じゃなくて『家庭の事情』っていうことは……進学について親と揉めてる、とか?」

「進学? でも市ノ瀬先輩て頭良いんでしょ? 進学には困らないんじゃないの?」


 修の疑問に汐莉は首を強く横に振って否定した。


「生半可な頭の良さじゃないんだよ。凪先輩、E組だし」

「えっ、E組なの!?」


 栄城高校には各学年特に学業に優れた生徒が集まる特別進学クラスがある。それがE組だ。

 生徒数も他が40人前後なのに対して30人と少なく、少数精鋭でより勉強に集中しやすいようになっている。


 そんな選ばれしクラスに凪が在籍しているとは知らなかった。

 修は感心と驚きで口が半開きになってしまった。


「それにこれは聞いた話だけど、凪先輩、医学部目指してるらしいし」

「そっか……お父さんも医者だもんな」


 大学進学のことなど考えたこともない修だが、さすがに医学部に入るにはかなり勉強ができないといけないということくらいはわかった。


「でも、もしそうなら俺たちがどうこうできる問題じゃないよな」

「そうだね……。もし仮に凪先輩が部活辞めるってことになったら、二人で凪先輩の両親に直談判にでも行く?」

「いや、それはさすがに……」

「だよね。冗談冗談……」


 えへへ、と汐莉が後頭部を掻きながら笑ったので、修も笑い返した。

 しかしもしかしたら本当に凪が勉強のために部活を辞めることになるかもしれない。それは仕方のないことかもしれないが、それは凪の望むところなのだろうか。


 凪はきっとバスケが大好きだ。そうでなければ受験で忙しくなるこの時期に、まだ部活動を続けていることに説明がつかない。

 バスケが好きなのに、バスケを辞めなければいけない。そんなのはあまりにも辛すぎる。


(いや、よそう。全部想像の話、もしかしたらの話だ。もう少し本人から話を聞き出せないとな)


 修は自身の悪い想像を無理矢理振り払った。


「でもそっか。永瀬くん、色々と動いてくれてるんだね」

「え、あぁ、まぁ一応」

「今度何かやるつもりがあるなら私に一声かけてね。私も一緒に行くから」


 汐莉が優しく微笑んで言った。とても頼もしいと感じる笑顔だ。


「ああ。わかった」

「よし! じゃあ休憩終わり! 練習再開、どんどん行くよ!」


 そう言って突然ボールを持って走り出した汐莉の背中を、修は呆気にとられながらも微笑ましく思いながら見つめた。


 まだまだわからないことも多いが、チームとしても個人としても、少しずつではあるが進んでいるような気がした。

 修も汐莉の後を追う。練習再開だ。




 だがこの時の修は数日後に事件が起こるとは思いもよらなかった。

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