第30話
修はゆっくりと思い出すように語った。
「それからリハビリも歩行ができるようになった段階でやめた。バスケのことなんか見たくもなくなって、部屋にあった関連のものは全部捨てた。……バスケは全部……捨てたんだ」
バッシュもボールも、好きな選手のサインが入ったポスターもすべて捨てた。
大切だったはずのものが、見るだけで苦痛を伴うものに一瞬で変わってしまったのだ。
「これでわかったろ。俺がどれだけ弱い奴か……。さっきはあいつにあんなこといったけど……。俺が今バスケができないのは俺の心が弱いからだ」
修は自嘲するように鼻で笑った。
話していて自分が惨めな存在だと再確認してしまい泣けてくる。
「諦めちまったんだよ俺は……! ブランクがあるとは言え、入学後数ヶ月で復帰はできたんだ……! でもそれじゃあ無理だって思ったんだ! 俺が休んでる間、あんなにもハイレベルな練習をしてる同学年の奴等に、戦っても勝てないってビビっちまった! あんなに大好きだったバスケが…………! やりたくない……やるのが怖いって…………!」
修の目にまた涙が溢れそうになる。こぼれる前に肩口の袖で乱暴に拭った。
汐莉はずっと黙って修の話を聴いていた。今も反応がない。
汐莉はどんな顔で、どんな気持ちで話を聴いていたのだろうか。修は怖くて汐莉の方を見ることができなかった。
「失望しただろ? 俺は宮井さんが期待しているような人間じゃないんだ。宮井さんにバスケを教える資格も……」
「失望なんてしないよ」
汐莉が突然修の言葉を遮った。
修は驚きながら、恐る恐る汐莉の方を見る。
汐莉は笑ってもいないが同情しているような顔でもなく、どういった感情なのか測りかねる表情だ。
しかし目だけは真っ直ぐ修を見据えていた。
「永瀬くんの気持ち、少しならわかるよ。私も陸上部時代に似たような経験あるから。私も諦めかけた。でも私はその時ある人に教えてもらったんだ」
汐莉の表情がだんだんと柔らかくなっていく。
当時のことを思い出しているのだろうか。
「自分さえ『できる』って思えば、可能性は広がるんだ。逆に自分で『できない』って思ってしまえば、本当に不可能になってしまう」
「…………」
「だからそれ以来私は何事にも『できる』って気持ちで臨むようにしてるんだ」
「俺には宮井さんみたいには考えられないよ……。現実を知って、完全に心が折れちまった」
汐莉はなんとか修を励まそうとしてくれているのだろう。しかし情けないことに、修はそれに応えられない。
「心なんてその時その時で変わるものだよ。折れちゃったなら、立て直せばいい」
「そんな簡単な話じゃないよ……」
修の口からはうじうじした言葉ばかりが溢れてくる。
中学時代はもっと溌剌とした性格だったのに。
現役時代の修の心を支えていたのはバスケに対する揺るぎない「自信」だった。
だがそれも現実に打ちのめされてしまった。
今の修には折れた心を支える支柱がない。
「最近少しずつ意識が変わってきたのかもと思ってたけど……、今回のことでわかった。やっぱりもう俺にはバスケはできない……」
「じゃあ、永瀬くんはどうしてここに来たの?」
「え……?」
汐莉を見ると優しく微笑みながら首をかしげていた。
「過去に辛いことがあって、バスケのすべてを断って……。今も苦しい思いをする可能性があるってわかってたのに、バスケの試合をやってる場所に来たのは何故? 私にしつこく誘われたから?」
「それは……もちろんそれもある……。宮井さんが誘うから……でも……」
「でも……?」
「……自分でもわからない」
「それは永瀬くんがバスケが好きだからだよ。どんなに無理矢理押し殺しても、本当の気持ちは抑えられない。永瀬くんはまたバスケがやりたいと思ってるんじゃないの? だから私の練習にも付き合ってくれたし、試合も見に来てくれたんじゃないの?」
汐莉がゆっくり諭すように質問を重ねる。
しかし修はそれらに答えを出す余裕がなかった。
「わからないんだよ! 自分がどう思ってるのか! 何がしたいのか! なんにもわからない……! 自分自身に本当にうんざりする……!」
涙が頬を伝う。
汐莉にこんな風に喚いても意味がないとわかっているのに、感情が抑えきれずに無様な姿を晒してしまう。
修は恥ずかしさでここから消えてしまいたいとさえ思った。
「ねぇ永瀬くん。前の練習の時、私3Pまったく入らなかったよね。そんな私が今日の試合で3Pを何本も決めるのって、できると思う?」
「……は?」
急に突拍子もない質問が汐莉の口から飛び出し、修は困惑した。
汐莉は真剣な眼差しで修の答えを待っているようだ。
修は一週間前の練習を思い出す。
あの時の汐莉は結局一本も3Pを決められなかった。
確かに汐莉の基本的なシュートフォームは綺麗で、明らかに素人のそれではない。
だが長距離になると話は別だ。ミドルと違って練習不足でまったくモノになっていない。
しかも試合となれば相手のディフェンスがいるのはもちろん、緊張感で練習以上のパフォーマンスを発揮するのは難しく、シュートを撃ちやすいパスが回ってくるとも限らない。
「そりゃ無理だ……。一週間でどうこうなるものじゃない」
修は正直な感想を口にした。
それに対して「うん、そう思うよね」と汐莉は頷く。
「永瀬くん、この前の約束覚えてる? 私が試合でシュート五本決めたらバスケ部に入ってってやつ」
「……まぁ、覚えてるけど……」
正確には約束を承服したわけではなく、汐莉から一方的に言われただけだが。
それよりも修は汐莉が何を話したいのかさっぱりわからず眉をひそめてしまう。
「あの約束取り消し。その代わり、違う約束をしてほしい」
「違う約束?」
「うん。私が試合で3Pシュートを三本連続、ノーミスで決められたら、永瀬くんはバスケにプレイヤーとして復帰して。『できない』なんて思わないで、もう一度挑戦するって約束して」
修は驚いた。
「バスケ部に入って」という話なら、汐莉も教えて貰えるというメリットがあったが、「プレイヤーとして復帰」なら汐莉にメリットがない。
修は更に困惑してしまい言葉を返せなかった。汐莉の意図するところがまったくわからない。
そんな修をよそに汐莉はすくっと立ち上がり、修に手を差し伸べた。
「『できない』なんてことはない。自分が『できる』と思いさえすれば、不可能も可能になるんだってことを永瀬くんに見せてあげる!」
そう言って笑う汐莉の表情はとても輝いて見えた。
その姿に中学時代の自分の姿が重なった。あの時の自分も、こんな風に自信満々に笑っていた。
修は思わず汐莉の右手に自分の右手を近付けた。
しかし本当にこの手をとっていいのか、修は躊躇してしまい手を引っ込めかけてしまった。
だがすかさず汐莉が手を伸ばし、修の手を強く握る。
「行こう!」
汐莉の声は、手は、表情は、修をその気にさせる力があった。
それに最近わかったことだが、汐莉はなかなか強引なところがある。
この約束だって正直わからないことだらけだが、汐莉に乗ってみる価値はあるんじゃないか。
修にはそんな風に思えた。
そして修は応えるように手を握り返し、ベンチから立ち上がった。
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