第27話

 約束の土曜日になった。


 修は市立体育館の最寄り駅まで電車で向かい、そこから徒歩で目的地まで向かっていた。


 少し緊張しているのか、先程から水を定期的に口に含んでいるものの、喉の渇きは改善されない。


 歩いていると、大きな建物が近づいてきた。

 一年生大会が行われている市立体育館だ。


 時間は11時04分。

 電車内で汐莉から受け取ったメッセージによると、前の試合が少し押しているようなので、汐莉の試合開始までまだ一時間以上あるだろう。


(早く来すぎたな……。駅前で時間潰してこれば良かった)


 修としては、試合開始直前に入って余計なものを見ずに、汐莉の試合だけ見るのがベストだと思っていた。


 しかし余裕がなかったのか、そんなことも忘れて駅に着くなりまっすぐ体育館へと向かってしまっていたのだ。


(いや、弱気になるな! この日のために対策はしてきたんだ!)


 修は汐莉に試合に行くと告げてから今日まで、出来る限り発作が起きないように、あるいは起きたとしても我慢できるように訓練をしてきた。


 最初は雑誌から始めて徐々に慣らしていき、昨日の夜には男子バスケの動画を少し見れるまでになった。

 もちろん見れると言ってもその間は症状が出ているのだが。


 苦しいことは変わりないが、少なくとも二週間前よりはマシになったはずだ。


 修は手に持っていたペットボトルの水で喉を潤し、鼻でゆっくりと深呼吸をし息を整える。


(よし……行くぞ)


 市立体育館というだけあって立派な建物だ。剣道場や柔道場も隣接されており、敷地はかなり広い。

 ただ古い建物なようであり、老朽化や修理の跡が見られ時代を感じる。


 広いエントランスで靴を脱ぎ、持参した体育館シューズに履き替える。

 周りには学生がたくさんいた。

 揃いのジャージを着て談笑しているグループも多数。ここにいるほとんどの者がバスケットプレイヤーであることは間違いない。


 修は外で整えてきた呼吸が少し荒くなっていくのを感じて立ち止まった。


(大丈夫……。大丈夫だ、落ち着け……)


 みぞおちに手を当てて、心中で自らを鼓舞しながら再び深呼吸をする。


 修は汐莉に体育館に着いたとメッセージを送ったが返事は来ない。

 まずは汐莉を探そうと思い、スタンド席へと続く階段を登った。


 待機している選手のほとんどはスタンド席にいる。

 自分の試合の一つ前の試合のハーフタイムにはコートでのアップができるため、もしかしたらコート脇にいるかもしれない。


 どちらにせよスタンドから見渡すのが手っ取り早い。


 だがスタンドに出れば二面あるコートがどちらも目に入ってくることになる。

 その片方は男子が試合をしているのだ。


 修は覚悟を決めてゆっくりとスタンドへの扉を開けた。


 瞬間耳に飛び込んできたのはスタンドから響く応援の声、バッシュと床の摩擦音、ボールが跳ねる音。


 修にとってとても懐かしい音だった。

 スタンドの最前列までゆっくりと歩を進める。


 ゴクリと唾を飲み込んで奥の方へと視線を向けた。


 どうやら奥側がAコートのようだ。白と紺のユニフォームを着た女子チームが試合を行っている。


 修は自分の体に異常がないことを確認した。

 やはり女子の試合なら問題なく見れそうだ。


 今度はゆっくり視線を手前に持っていく。当然そこで試合をしているのは男子だ。

 修の視界には完全に男子チームの試合の様子が映し出された。


 その瞬間得体の知れない気持ち悪さが腹からこみ上がってきた。

 視界がふらつき心臓が早鐘を打つ。


(大丈夫……! 落ち着け……。落ち着け……!)


 修は一旦目を閉じ気持ちを鎮めようと自身に言い聞かせた。

 身体は言うことを聞いてくれないが、心の方はなんとか落ち着いてきた、ような気がする。


 修はまぶたを恐る恐る開いた。


 男子の試合風景が修の目に飛び込んできた。

 思わずまた目を閉じそうになったが、無理矢理見開く。


 心臓は依然速いテンポで修の胸を叩く。腹の中では胃液が渦巻いているかのような気持ちの悪さを感じるが、それが喉の先に出てくる気配はない。


(見れる…!)


 対策の賜物だろうか、快適には程遠いが見られないことはない。

 修は自分の症状が改善しつつあることを嬉しく思った。


 来て良かったかもしれない。この時点で修はそれまでの不安がなくなったかのようにポジティブな思考になっていた。


 試合は黒いユニフォームのチームがボールをコントロールしている。

 白のユニフォームのチームがディフェンスだ。陣形的にそれぞれが決まったエリアを守る「ゾーンディフェンス」であることがわかる。


(ん? なんか変わったことしてるな……)


 修がそう感じたのは長身の選手がトップの位置で守っていることだ。

 セオリーなら長身の選手はよりゴールに近い位置につく。

 もちろんその限りではないので何らかの作戦かチーム事情なのだろう。


 黒チームのシュートが外れ白チームがリバウンドをとった。攻守交代だ。


 相手コートに攻め入った白チームは、先程トップを守っていた長身の選手にパスを回した。

 即座にドリブルで攻めていき、自分をマークしていたディフェンスを抜き去る。

 カバーにきたもう一人のディフェンスも鋭いロールターンでかわして一人でシュートに持っていった。


(あいつ上手いな……)


 もし自分がマッチアップしていたら今のロールターンを止められるだろうか。

 修はそんなことを考えながら、その選手に注目していた。


(ん? あいつどこかで……)


 修はその選手をどこかで見たことがあるような気がした。

 なんとなく記憶を掘り起こして疑問を解消しようとした。その時だった。


 修と同じくらいの身長。鋭いロールターン。背番号6。


(いや、まさかな……)


 修はその選手の顔をよく見ようと目を凝らした。

 チームメイトとハイタッチをする際に正面からの顔が見える。


(!!!)


 修に強い衝撃が走った。

 かなりマシになっていた心臓の鼓動がまたもや速くなっていく。


(嘘だろ……)


 息がどんどんと荒くなっていく。たくさん吸っているはずなのに肺に酸素が届いていないように苦しい。


(なんでお前がここにいるんだよ……!)


 その選手はまさしく中学最後の試合で修に無茶な接触をし、修に怪我を負わせた張本人だった。


 その確信を得た瞬間、修の胃が激しく痙攣し出した。


 すぐに口を手で押さえ、スタンド席を離れようとした。

 しかし足が思うように動かない。よろめきながらも壁や手すりを頼りに歩を進めて行く。


 ここで嘔吐してしまえば多くの人に注目されてしまう。

 修は込み上げてくる吐き気を必死に抑えながら、人のいない方へいない方へと向かっていった。

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