第17話
次の土曜日の午後二時。
修は自宅から二キロ程離れたコンビニのイートインコーナーで、紙パックのオレンジジュースを飲んでいた。
汐莉に待ち合わせ場所として指定されたこのコンビニに、修が十五分程早く着いてしまったのは、初めて来る場所だったため時間に余裕を持って動こうと思ったから……というだけではない。
修は自分で気づいてはいないが、この後に待っている出来事への期待で気が逸ってしまったという側面もあった。
運動できる服と靴で来て、と言われたので、修はTシャツに長ジャージという出で立ちだ。
中学時代に使用していたバスケットウェアはすべて捨ててしまったため、今着ているものは休日に家でいるときや、近くのコンビニに行くときに着用している安物のジャージだ。
それなりにダサいが修はあまり服装を気にしないタイプの人間なのである。
修は少なくなったオレンジジュースをストローで吸い上げながら、スマートフォンの画面を開き時間を確認した。午後二時二分。そろそろ汐莉がやってくるだろう。
そう思って駐車場の方を見ると、噂をすれば、制服姿の汐莉が自転車で近づいて来るのが見えたため、修はゴミ箱に空になった紙パックを押し入れて外に出た。
「ごめんね! 遅くなっちゃった!」
汐莉は修に会うなり手を合わせて頭を下げる。
「いや、ほぼ時間通りだから大丈夫。はい、これあげる」
修はコンビニで買っておいたスポーツドリンクを差し出した。店内は冷房で涼しかったし、ぬるくはなっていないだろう。
「わ! ありがとう! いくら?」
汐莉はオレンジ色のエナメルバッグから財布を取り出した。
「いや、いいよ。さっきまで部活だったんでしょ? 差し入れ」
「で、でも、待たせた上に差し入れまで貰うなんて……」
「気にしないで。さっきも言ったけど、大して待ってないし。迷惑だってんなら控えるけど……」
「ううん、迷惑なんかじゃないよ! じゃあ、もらおうかな……。ありがとう」
汐莉はようやくペットボトルを受け取ってくれた。
「それで? これからどこに行くの?」
「うん。申し訳ないんだけど、一旦私の家に寄っていい?」
「え? 宮井さんの家?」
一旦ということは、今日の目的地は汐莉の自宅ではないということか。これで修がいくつか考えていた候補の一つが消えた。
「うん、ほんとは先に帰って支度してからここで合流するつもりだったんだけど、思ったより練習が長引いちゃって……」
「そうなんだ……」
修は汐莉の言葉を意外に思ってしまった。あのなんだか淡々としているようにも見えたバスケ部の練習が、想定よりも長い時間やる、なんてことがあるのか。
「今日はキャプテンが気合い入ってたのかな?」
「うん。と言っても、向こうのキャプテンがだけど」
「
修は汐莉の言っている意味がわからず眉を寄せた。
「あ、言ってなかったっけ? 最近から土日はだいたい合同練習が入ってるんだ。
「へぇ、そうなのか」
確かに八人だと
「さ、そろそろ行こっか! 付いてきて!」
時間がもったいないと感じたのか、汐莉は話を強引に切り上げ自転車のスタンドを上げた。
修も自分の自転車に跨がり、走り出した汐莉の後に続く。
同学年の女子と一緒に自転車で走るのは小学生以来だ。
修はなんだか新鮮さを感じて顔を綻ばせた。頬を撫でる六月のじめっとした空気でさえも爽快に感じる。
(相当浮かれてるな、俺……)
中学時代はバスケ一筋であった修にとって、休日に女子と二人きりで会うというのは初めてだった。
修は自分の胸に宿る未知の感情に困惑しながらも、それを心地良いと感じていた。
汐莉を追いかけて五分程ペダルを漕いだところで汐莉がスピードを緩める。最初の目的地に到着したようだ。
「着いたよ。ここが私の家」
汐莉の家は二階建ての一軒家だった。豪邸でもなければ質素な感じでもない。少し新しそうだということを除けばいわゆる
「自転車はその辺に置いていいよ」
修は汐莉の指示した場所に自転車を置き、その傍らに佇んだ。
「何してるの? 行こ?」
「えっ? いや、俺はここで待ってるよ」
「準備にちょっとだけ時間かかると思うから、中で待ってて。外だと暑いでしょ?」
確かに既に修の肌は汗で薄く湿っており、少しずつTシャツを侵略していた。
だがだからと言って女子の家に入るのはかなり
「いや、外で大丈夫だから!」
「どうして? 良いからおいでよ!」
「いやいや外で……」
「え~……?」
何故そこまで拒否するのか理解できないといった表情の汐莉であったが、急に何かを思い付いたような顔を見せた。
「じゃあさっきの差し入れのお礼に冷たいお茶を出すよ。迷惑なら控えるけど?」
先程コンビニで修が汐莉に言った言葉を返されてしまった。
「……わかった、負けたよ。お邪魔させてもらいます」
「えへへ。わかればよいのです」
両手を上げて降参の意を表する修に、汐莉は朗らかに笑った。
汐莉に付いて玄関の扉をくぐり、靴を脱いで玄関ホールに上がらせてもらう。
「ちょっと待ってて」
汐莉はそう言うと一人で奥へと進み、いくつかある扉の一つを開けて入って行った。
「ただいま~」
「おかえり~」
姿は見えないが、開けっ放しの扉の中から汐莉ともう一人の女性のやりとりが聞こえてきた。汐莉の母親だろうか。
「昼ごはんはもう食べたんだよね?」
「うん。それより友達連れてきたからここに通してもいい? 着替えたらまたすぐ出ていくから」
「おーけー」
(軽っ!?)
汐莉と母親(恐らく)のあまりにも軽いやりとりに修は面食らってしまった。
(……てかちょっと待て! 俺リビングに通されるのか!?)
確かに汐莉は今から着替えるわけであるから、汐莉の部屋に一緒に入ることはできない。だがそれなら客間などの他の部屋、なんなら今いる玄関ホールで待つので充分だ。
初対面の母親がいるリビングで待つのはとても気まずい。
そんなことを考えていると汐莉が扉から顔だけを覗かせてきた。
「永瀬くん、こっち来て」
「いや、宮井さん!」
声をかけようとしたが、汐莉は顔を引いてすぐにリビングに戻ってしまった。
(マジか……)
仕方がないので修はおずおずと汐莉の後を追った。
「お、お邪魔しま~す……?」
「あら! 友達って男の子!?」
リビングのソファーに座っていた女性は修の姿を見るなり驚いた声を上げて立ち上がった。
「こ、こんにちは」
「ママ、友達の永瀬くん。こっちは私のお母さん。お母さんのことは気にしないで、こっちに座って待ってて」
汐莉は食卓の椅子を引いて修に着席を促した。修はそれに従う。
「今冷たい飲み物出すから……」
「しおちゃん、そんなのママがやるから着替えておいで!」
「ほんとに? ありがとうママ! じゃあよろしく! 永瀬くんにちょっかい出しちゃダメだよ!」
そう言って汐莉はリビングから出て行った。階段を上る振動音が聞こえてきたので、汐莉の自室は二階にあるようだ。
汐莉がいなくなったことで汐莉の母と二人きりになってしまった。より一層気まずさが増すが、表に出さぬよう努める。
修は気を紛らわすためになんとなくリビングを目線だけで見渡した。
少し大きめのテレビに柔らかそうなソファー。壁際には本棚があり、文庫本が所狭しと並べられている。部屋の隅には観葉植物が飾ってあった。全体的に綺麗に整頓されていて、暖かみを感じるリビングだった。
「お待たせ~。麦茶しかなくてごめんね」
「あっ、いえ、すみません! ありがとうございます!」
汐莉の母は修の前にたっぷりの氷と麦茶が入ったグラスを置いてくれた。
「外、暑かったでしょ。ちょい待ってね」
汐莉の母は更に、先程まで自分が座っていた場所に風を送り続けていた扇風機を持ってきて、修の足元に向けてくれた。
「あ、ありがとうございます。でも、お構い無く……」
至れり尽くせりで申し訳がなかった。
すると汐莉の母は修の向かい側に座り、頬杖をついてニコニコと修の顔を見つめてきた。
「あ、あの……」
修はどうしていいかわからずしどろもどろになってしまった。
女性の年齢を想像するのは失礼な話だが、汐莉の母は見た目では何歳くらいなのかよくわからない。全体的にかわいらしい雰囲気を纏った女性だ。
「永瀬くん、しおちゃんと付き合ってるの?」
「えっ!?」
突然の話題提供に修は素っ頓狂な声を上げてしまった。
だが確かに娘が男を連れてきたら、それは彼氏だと思うのは自然な流れだろう。
「いやいや! 付き合ってないです! みや……汐莉さんも言ってましたが、ただの友達です!」
「え~? ほんとに~?」
汐莉の母は疑いの目を向けてきたが、修は嘘は言っていない。
「本当です!」
修ははっきりとした口調で言い放った。何をそんなに必死になっているのか自分でもよくわからなかったが、しっかり否定しておかないと後々めんどくさくなりそうな予感がした。
「そっか~残念」
汐莉の母は体を後ろに仰け反らせた。戻ってきた顔は本当に残念そうな顔をしている。
「しおちゃんが男の子の友達を一人だけで連れてきたのは初めてだったからね~。しかもけっこうイケメンだし。ちょっと期待しちゃったんだけどなぁ」
容姿のことを誉められて気恥ずかしくなった修は視線をテーブル上のグラスに逃がした。
「あ、ごめんね変なこと訊いちゃって。お茶、飲んで飲んで」
「……はい。いただきます……」
修は麦茶を一口ごくりと飲んだ。キンキンに冷えた液体が喉を通って行くのが心地良い。火照った頬も幾分かマシになったように感じる。
「それで永瀬くんは、しおちゃんのことどう思ってるの?」
汐莉の母はさらに追及してきた。それは母親がどこの馬の骨かわからない男を品定めしている、という感じではなく、純粋な興味から来ているもののようだ。ニヤニヤ笑う顔はいたずら好きの子供のようだった。
「どうって……。だから、友達ですよ」
汐莉との関係を端的に表すなら「友達」が適切だろう。あるいは同級生だろうか。
だが「どう思っているのか」と訊かれると、修も自分ではよくわからなかった。
(俺は宮井さんのこと、どう思っているんだろうか……)
「ふ~ん。永瀬くん、良いこと教えてあげよっか」
「……なんでしょうか」
「しおちゃん、君のことか~な~り信用してるよ。一瞬だったけど、君を見る目がそういう感じだったもん」
汐莉の母はニィッと口角を上げて笑った。
「そう、なんですか……?」
「うん。だから、チャンスかなりあると思うよ~?」
「いや、本当にそういうんじゃないですから」
汐莉が修を信用してくれていると言うなら、それはバスケにおいてであろう。
男女の仲とか、友情とか、そういうものではないと修は思った。
「そう? まぁ別にいいけど。ただ、一コだけいい?」
「なんですか?」
汐莉の母はテーブルに身を乗り出し、顔をズイッと近付けて言った。
「汐莉を傷つけたら許さないからね」
修は背筋がゾクッとするのを感じた。顔は笑っているが声は迫真であったからだ。
修はこの人に逆らうのは危険だと本能的に察知した。
「そんな真似しませんから安心してください」
冷や汗を垂らしながら修ははっきりゆっくりと答えた。
「そう? じゃあよろしくね」
汐莉の母はそう言うとスッと立ち上がった。
「洗い物してるから、ゆっくりしててね」
そして数分後、支度を済ませた汐莉が二階から降りてきた。
制服姿がバスケットウェアになっている。
「ごめん、お待たせ! じゃあ行こっか!」
「え~これからデートじゃないの~?」
汐莉の母が汐莉の姿を見て残念そうな声を出した。
「違うよ! これから練習! ママ、永瀬くんに変なこと言ってないよね?」
「言ってない言ってない行ってらっしゃい」
汐莉の母は適当な返事で汐莉をあしらった。汐莉は軽く頬を膨らませて不満顔だ。
「もう……。行こう、永瀬くん」
「う、うん。お邪魔しました」
二人はリビングを後にし外に出た。
「遅くなってごめんね。次がほんとの目的地だから」
「今から行くとこって、結局どこなの?」
「えへへ、着いてからのお楽しみ!」
イタズラっぽく笑う汐莉の笑みは、母親のそれとそっくりなことに修は気づいた。
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