第18話

 また自転車に乗って移動だ。汐莉の家の時点で既に人通りや車通りは少なかったが、進んでいくにつれてそれがさらに顕著になっていく。


「着いたよ」


 三分程漕いだだろうか。先を進む汐莉が振り返って修に告げ、スピードを緩めていく。

 修が首を伸ばして進行方向の先を覗くと、そこには驚くべき光景が広がっていた。


「すげぇ……」


 自転車を降りた修は改めて感嘆の声をあげた。

 そこにあったのはバスケットコートだった。ハーフコートの広さに一つのバスケットゴール。所々消えかかってはいたが、ラインも引かれている。

 周りは二メートル以上はありそうなフェンスで囲まれており、「私有地」と書かれたパネルが貼りつけてあった。


「えっ、ここ宮井さんちのものなの!?」

「ううん、違うよ。私のお父さんの友達の私有地」

「へぇ~……すげぇ……」


 修は間の抜けた顔で同じ言葉を繰り返した。


(世の中にはお金持ちというのがいるものなんだなぁ)


 口をあんぐりと開いて呆けている修を尻目に、汐莉は部活にも使っているオレンジのエナメルバッグから一本の鍵を取り出した。

 それを使ってフェンスの扉の南京錠を外し扉を開く。


「どうぞ」

「お邪魔します……」


 汐莉に促されて修はコートへと足を踏み入れ、まず右足でトントンと軽く蹴ってみた。地面は硬い。しかしそんな中でも少しの柔らかさを感じる素材でできている。


「ゴムチップ? っていうので作ってるんだって」


 汐莉はコートサイドにあるベンチに荷物を置きながら言った。

 なるほど、それならある程度衝撃を吸収してくれるから、膝などへの負担も軽くなっているはずだ。もちろん体育館のフロア程ではないだろうが。


「ここ、自由に使ってもいいの?」

「一応、おじさんたちもそう言ってはくれてるんだけど……。高校に入学してからは控えるようにしてたんだ。維持費とか、修理費もかかるから、私が荒らしちゃうのは申し訳ないし……」


 恐らくそのおじさんたちはそんなこと気にしていないだろう。しかし確かに、あくまで他人の、しかもこんなに立派なものを好きに使うのは修も気が引けると思った。


「で、わざわざここまで連れてきたのは、ここで自主練に付き合って欲しいってわけだね」

「そう! さんざん引っ張ってごめんね」

「まぁ話の流れ的に練習するんだろうなってことはわかってたよ。宮井さんもそれがわかってたから言わなかったんでしょ?」

「うん……。あと、ここを見せたら永瀬くんも驚くかなぁって思って」

「いやぁ、驚いたよ。高架下とかにストリートバスケのコートがあったり、公園の一角にあったりするのは見たことはあったけど、個人の持ち物としてこんなに立派なものを見るのは初めてだ」


 修は改めてまじまじとこの場所を見回した。こんなものが自分の家の庭にあれば、休みの日でも毎日練習しただろう。チームメイトたちの溜まり場になっていたかもしれない。

 しかしそれも中学時代までだ。今の自分にとってはこの素晴らしい場所も宝の持ち腐れである。


「驚いてくれて良かった。じゃあ私、ちょっとだけアップするね」


 そう言って汐莉は修にボールを下手で放り投げた。汐莉は「これで時間潰してて」というつもりで渡してきたのだろう。しかし修は受け取ったボールを見つめるだけだった。


「ゴール使ってもいいよ?」

「ん……、いや、大丈夫」


 手元にボールがあって、目の前にはゴールがある。そして他にやることがないならバスケットプレイヤーならシュートを撃つのが当然だろう。

 しかし修はシュートを撃たなかった。修はシュートを撃ちたくなかった。


「……そっか。じゃあちょっと待っててね」


 汐莉はコートの外側をランニングし始めた。

 修がシュートを撃つことを拒否したのはかなり不自然だっただろう。しかし汐莉は何故かそのことについて追及してこなかったため、修は安堵した。


(あれからシュートは撃ってない……。今の俺のシュートがどんなに無様なのか……知るのが怖い)


 修は体育館での汐莉との練習でも、自分でシュートを撃ったことは一度もなかった。

 自分のシュートを見たら、もしかしたら汐莉が失望してしまうのではないかという不安もあった。


 だがそれ以上に、点を取り合うスポーツであるバスケにおいて、シュートりょくの劣化こそが、修が最も自覚したくないことであった。

 修はボールを足元に置いてストレッチを始めた。軽く運動する時でもストレッチは怠らない方がいいだろう。運動不足の修ならなおさらだ。


「ねぇ永瀬くん、ちょっといい?」


 数分後、ランニングとストレッチを終えた汐莉が話しかけてきた。


「何?」


 修が返事をすると汐莉は目を閉じゆっくりと一回だけ深呼吸をした。


「私、もっと上手くなりたい。成し遂げたい目標があるから。その為には、どんな努力もするって覚悟は決めてある」


 汐莉は強い意思のこもった瞳で見つめてきた。汐莉はさらに続ける。


「だから、どんなに厳しくしてくれてもいい。部活に来てくれなくてもいい。たまにだけでもいい。筋トレだって、ラントレだって、必要なら言われた通りやります……!だから、私にバスケを教えて下さい!」


 汐莉は言葉が終わると同時に勢いよく、そして深々と頭を下げた。

 汐莉は何故こんなにも自分を頼ってくれるのだろうか。修は確かに中学時代は名プレイヤーだった。しかし汐莉はそのことは知らないはずだ。少し一緒に練習しただけで、そこまで信頼されるようなことはしていない。周りに頼れる人があまりにもいなさすぎて、藁にもすがる気持ちということなのだろうか。


 修は一瞬そんな風にも考えたが、それ以上に別の感情が沸々と沸き上がってきた。

 汐莉の表情と声から凄まじく熱い想いが伝わってくる。汐莉は「本気」なのだ。本気でただ前を向き、自身のレベルアップを望んでいるのだ。


(助けてあげたい……!)


 そんな気持ちに当てられて、あの時から眠り続けていた修のバスケットプレイヤーとしての血も目覚めずにはいられなかったようだ。この想いに自分も本気で応えなければならない。


(格好いいよ宮井さん……)


 修は心の中で呟き微笑んだ。そして緩んだ口元をきつく結び直し、汐莉の頭を見据えて声をかけた。


「宮井さん、顔を上げて」


 汐莉が恐る恐る頭を元の位置に戻した。真剣な表情はそのままだが、少し不安も混じっているようにも見える。


「俺さ……ちょっと事情があって、バスケをやめてからもう一年になる。前にも言ったように、今バスケが好きなのかどうかも自分でわからない、中途半端野郎だ。それでも……」


 修は一度言葉を止め、ごくりと唾を呑み込んだ。


「それでも、俺を信じてくれる?」

「信じるよ」


 即答だった。修は少し驚いたが、真剣な汐莉の返事に胸が熱くなった。


「ありがとう……。なら俺も宮井さんを信じる。とりあえず、こういう場でだけになるけど、宮井さんの力になれるように全力で頑張るよ」


 修の言葉に汐莉はぱぁっと顔を綻ばせた。


「ありがとう永瀬くん! じゃあ、改めて……」


 汐莉は修に近づき右手を差し出してきた。修もそれに応える。


「「よろしく!」お願いします!」


 握り合う右手がとて暖かかった。汐莉の体温に触れ、さらに気持ちが昂る。

 そしてどちらからともなく手を離した。


「よぉ~し! 頑張るぞ~!」


 すると突然汐莉が走り出した。地面に置いてあったボールを拾い上げ、数回ドリブルをつきながら修から離れる。


「行くよ! 第一投!」


 汐莉は修へとチェストパスを送ってきた。と同時に修に向かって走り出す。


「はい!」


 要求通り修は汐莉にリターンパスをした。ボールミートの瞬間に膝を曲げ、ボールを受け取ったと同時に右足、左足とステップを踏み、次の瞬間には跳び上がりジャンプシュートを放った。

 汐莉の右手から撃ち出されたボールは美しい弧を描き、ゴールへと吸い込まれていった。


「よし! どう!?」


 汐莉は両手でガッツポーズしたあとにっこり笑って修を見た。


「どうって……完璧だよ……」


 修はとても驚いていた。修が教えた通りの動きで、かつスピードも申し分ない。汐莉にストライドストップからのジャンプシュートを教えてから一週間程しか経っていないのに、もうここまで上達したのか。


「ほんとに!? やった!」と汐莉は喜びの声を上げる。


「部活中も隙あらば練習してたんだ」


 汐莉は親指を立てて不敵に笑った。

 しかしそれにしたって早すぎる。もしかしたら汐莉は天才なのかもしれない、と修は思った。


「ほんとに教えがいがあるよ……」


 汐莉の想定外の才能に修は自分の背筋が震えるのを感じた。

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