第16話

 翌日。今日も昼休みの時間がやってきた。


 昼食を食べ終えた修は急ぎ足で体育館に向かう。

 昨日の練習を見て、また汐莉の暗い表情を見てから、修は少し落ち込んでいた。汐莉のためになんとかしてあげたいのに、できない。自分の弱い心に、もう何度目かわからないうんざりした気持ちになった。


 修の最近はテンションが上がったと思えばすぐ下がる、を繰り返すかなり不安定な心情になっている。ただ、以前のことを思えば多少上がる時間もある分まだマシな方だな、とも思えた。


 ただ、自分が汐莉の力になってやれる唯一の時間であるこの昼休みの間は、できるだけ明るい気持ちで行こうと心に決めていた。

 フロアに入ると今日もシュートを撃つ汐莉がいた。


「おっす! 今日も良いシュートだ!」

「永瀬くん! 待ってたよ!」


 汐莉が笑って振り向いた。


「今日も張り切っていこう!」


 修は昨日の気まずさを思い出させないように虚勢を張って見せた。汐莉は少し面食らっているようだったが、気付かないふりをする。

 制服のシャツの長袖を捲り、軽くストレッチをしてからボールを受け取った。


「じゃあとりあえずいつもの感じで何本か撃ってみよう!」


 修がいつもよりも張り切っているからか、汐莉は少し不思議そうな表情を見せたが、いつものようにパスを貰うスタンスをとったので、修はパスを出そうと構えた。その時だった。


「こら! 何やってるの!」


 突然の怒鳴り声に驚いた修と汐莉はまったく同時に声がした方に視線を投げた。

 そこに立っていたのは若い大人の女性だった。


「あなたたち一年生? 休み時間の体育館の使用は禁止されているのよ。知らなかった?」


 その女性は汐莉を一瞥してから、第一声とは違い諭すように尋ねてきた。


 修の知らない人物だったが、口ぶりからするに教師で間違いないだろう。二人を一年生だと判断したのは汐莉の制服のリボンの色からだろうか。栄城の女子制服は冬はブレザー、夏はセーラーなのだが、どちらもリボンの色は学年によって赤、緑、青に分けられている。今の一年生は赤色のリボンだ。今青色のリボンを付けている三年生が卒業すれば、次の新入生が青色のリボンを着ける、というローテーションだ。


「そ、そうなんですか……! すみません、知りませんでした!」


 汐莉が慌てて頭を下げた。それを見た修も汐莉に続く。


「すみません、僕も今初めて知りました!」

「まぁ一年生なら知らなくても無理ないか……。顔上げていいわよ。設備へのいたずらとか、先生の見てない所での怪我とかを防ぐために、授業と部活以外での生徒の体育館利用は禁止になっているのよ」


 ゆっくりと顔を上げた二人に教師は優しく説明してくれた。


「そうなんですね……」

「ええ。最近体育の授業前にも早入りして遊んでいる生徒がいるって噂を聞いてたからね。様子を見に来てみたの。楽しそうな時間を邪魔して悪いけど、ルールだから守ってちょうだいね」


 教師の言葉に二人は顔を見合わせた。残念だがルールである以上従わなくてはならない。


「……わかりました」





 二人は居場所がなくなってしまい、体育館裏の例の場所に移動した。


「前もちらっと話してたけど、やっぱり体育館、使っちゃダメだったんだね……」

「うん……」


 教師にはっきりと禁止だと告げられてしまっては、もう使用することは不可能だ。

 修は元来真面目な性格で、ルールを破るという行為には後ろめたさを感じてしまう。汐莉も恐らく同様だろう。それに、ルール違反を繰り返せば部活の方に支障をきたす可能性もある。


 栄城がどの程度なのかはわからないが、厳しい学校なら連帯責任で部そのものが活動禁止になるところもあると聞いたことがある。

 修は改めて汐莉の顔を横目で見てみた。とても残念そうで、どんよりとした暗いオーラが周囲に漂っているように錯覚する。


「あ~あ……。せっかく永瀬くんに教えてもらえるようになって、これからどんどん上手くなるぞ! ってやる気まんまんだったのにな……」

「そうだね……」


 修もかなりショックだった。

 部活で手助けできないなら、せめて昼休みの時間だけでも……と意気込んでいた矢先であったのに。


 しかも汐莉との自主練習ができなくなれば、修とバスケの繋がりは再び断たれてしまう。

 汐莉と出会って、一緒に練習を始めて、まだほんの少ししか時間は経っていないが、そのことは修をかつての姿に徐々に戻しつつあった。


 それがなくなれば、またあの暗い生活に戻ってしまうのではないか。

 修の頭の中ではネガティブな思考がぐるぐると回る。同時に段々と目線も地面へ地面へと落ちていった。


「永瀬くん、大丈夫?」


 かけられた声にハッとして修は汐莉の方を見た。さっきまで自分が落ち込んでいたのに、修の姿を見てとても心配そうな顔をしていた。


「ごめん、俺もちょっと、ショックでさ……」

「うん……。すごく残念だけど、仕方がないよね……。でも嬉しいよ」

「……嬉しい?」


 この状況に似つかわしくない言葉に修は怪訝な表情になる。


「うん。だって、永瀬くんがすごく残念そうな顔してくれてるから。実はね。昼休みの練習、もしかしたら私の独りよがりのわがままで、永瀬くんは全然楽しくないんじゃないか、とか、私が強引に誘ったから、仕方なく嫌々付き合ってくれてるんじゃないか、とか思ってたんだ」


 ゆっくりと語る汐莉の言葉は、修にとって意外なものだった。


(そんな風に思ってたのか……)


「でもそんな顔してくれるってことは、永瀬くんもあの時間は悪いものじゃないって思ってくれてたんだよね。それが、すっごく嬉しい」


 汐莉は修ににっこり笑いかけた。いつもの笑顔だが今回は翳りが見える。


「……当たり前だよ。悪いものなんかとんでもない。俺も宮井さんとの練習はすごく楽しかった。宮井さん、少し教えただけでどんどん上手くなるから、次は何を教えようかって、普段から考えたりして、昼休み以外にも楽しい時間が増えてさ……。独りよがりでもわがままでもない。俺にとってもあの時間は、確かに大事なものだった……。できるなら、もっと宮井さんと一緒に練習したいよ」


 これは心の底からの修の本音だった。


(それに、宮井さんが俺とバスケを繋げてくれる、とか、宮井さんとの練習が心のリハビリになる、とか、邪な考えもあったしな……。俺は俺の都合で練習に付き合ってた部分もあった)


 さすがにそのことについて汐莉に話すことはできない。それにこのままだと、もうそんなことを考えることもなくなってしまいそうだ。


「永瀬くん、それ本当?」

「え?」


 修は汐莉の言っている意味がよくわからず、困惑の声をあげてしまった。

 汐莉は真剣な顔で修のことを見つめる。


「もっと一緒に練習したかったって。それ、本当に言ってる?」


 表情と同じく、真剣で力強い問に修は驚いた。何故そんなことを尋ねるのかわからなかったが、その真剣さは確かに修に伝わったため、修も真剣に答える。


「ああ。本気だよ」


 修も汐莉を見つめ返した。

 修の言葉を聞いた汐莉はすぅっと息を吸って言った。


「次の土曜日の午後、空いてる?」

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