第10話
翌日の昼休み。
修はいつものように昼食を急いで食べ終え、体育館に向かっていた。
しかし昨日優理が変なことを言うから、汐莉に会うのが少し恥ずかしく思えてしまい、歩くスピードは少し遅めだ。
またそれだけでなく、幼少期に出会った少女が汐莉だったのか、という疑問も修を悩ませていた。
昨日の夕食中、明子にも一応尋ねてみたが、そういう少女がいたことは覚えていたものの、名前までは覚えていなかった。
まだまだ元気だとはいえ明子は高齢だ。当事者の修が覚えていないことを覚えていないのは無理もない。
汐莉の名前も出してみたが、「うーん、そんな名前だったような気もするけど……」と腕を組んでうんうん唸っているだけで、答えは出なかった。
(直接訊けばわかる話なんだけど……)
修は話の切り出しかたがわからなかった。「俺たちって昔会ったことがある?」と訊くのはまるでナンパのように思えてしまう。それにもし違ったらかなり恥ずかしい。
そんなことを考えている間に体育館に着いてしまった。
修は練習の方に頭を切り替え、フロアへの引き戸をゆっくりと開けた。
「オーライオーライ! よっ!」
「ちょっ低いってぇ~!」
「あ~ヘタクソ!」
「今のはあいつだろ!」
そこには体操服を着た男子数人がバレーボールで楽しそうに遊んでいた。
修は反射的に引き戸を閉めた。いつものように汐莉がいるものだと思っていたから、まったく違う光景が広がっていたことに驚いてしまった。
「永瀬くん」
側から聞き慣れた声がしたのでそちらの方を向くと、そこには汐莉が立っていた。
「宮井さん」
「多分五限目に体育で体育館を使う生徒たちだよ。メッセージ送ったんだけど、気づいてなかったみたいだね」
「えっマジで?」
修は慌ててスマホを取り出し画面を見た。汐莉の言うとおりメッセージが届いており、開いてみると『体育館、先客がいるみたい。今日は中止かなぁ(T-T)』と表示された。
おそらく汐莉は修の返信がなかったから、律儀にここで待っていてくれたのだろう。
「ごめん、気づかなかったよ……」
「ううん、それは全然気にしてないよ。それより、どうしよっか……? やっぱり、あの中でやるのは……」
「……そうだね。すぐに他の生徒も集まってくるだろうし……」
「だよねぇ……残念です」
汐莉は天井を仰いで肩を落とした。本当に残念そうだ。
修は昨日優理に言われたことを思い出して気まずくなってしまった。二人の間に沈黙が流れる。
「じゃあさ! せっかくだし、お話しない?」
「良いとこがあるんだ」と汐莉に連れられて向かったのは体育館裏。建造の都合でできたと思われる段差に腰かけることができ、また人通りもなさそうなので、静かに話すにはもってこいの場所だ。
「お気に入りの場所でね、一人になりたいときはたまに来るんだ~! 教えたのは君が初めてだよ」
笑って話す汐莉に修はドキッとした。なんだか汐莉の部屋にお呼ばれしたような感覚になってしまう。
「ほら、座って!」
汐莉はいつも自分が座っている定位置と思われる場所に躊躇なく腰かけ、隣を手で指し示した。
「お邪魔します……」
「どうぞどうぞ」
修はどぎまぎしながらその場所に座った。
こんな場所で女子と二人で話す機会は、修の人生でもそうそうなかった。
修は緊張で心臓がドキドキしていたし、こんなところで女子と二人きりでいるのを、誰かに見られたらまずいという不安もある。
「先週はいなかったのになぁ。梅雨だから6月の体育って基本的に室内になっちゃうのかな? そうなるとどっかのクラスが五限目体育だと、昼休みの練習できなくなっちゃうね」
「そうだね。ああやって体育の前の昼休みに早く体育館に行って遊ぶっての、俺も中学のとき経験あるよ」
体育はおそらく各学年毎週二コマある。栄城高校は各学年八クラスあり、体育は二クラス合同でやるということを考えても、五限目に体育が入っている可能性は低くない。
それに大抵昼過ぎにはどこかのクラスがグラウンドで体育をやっているのが見えた気がする。
「てか、明日うちのクラス五限目体育だ」
修はふと思い出した。もちろん修は体育館に早入りしようなどとは考えないが。
「そっか……。じゃあ明日もできないね」
「うん、場所と内容は聞いてないけど、多分」
「そういうのって、体育の先生に訊いたら教えてくれるのかな?」
「……そういうのって?」
汐莉が閃いたように言ったが、修はすぐには意味がわからなかった。
「今月の体育のスケジュールとか! 五限目に体育館を使うのが何曜日かわかれば、いつ練習できるのかわかるよね!」
「あぁ、なるほど。名案だね」
「でしょ! 後で訊きに行ってみよう!」
「後でって、今行けばいいんじゃない?」
「や、せっかくここまで来たんだし、もうちょっとお話していかない? 私たち、もはや師匠と弟子って関係だけど、自主練習以外の時間ってまっっったく関わりないでしょ? だからもっと仲良くなりたいんだ!」
汐莉は修の目を真っ直ぐ見つめてきた。その言葉には裏や他意などは感じられず、言葉通り本気で言っているのがわかる。
「た、確かに、スポーツにおいても円滑なコミュニケーションで良いパフォーマンスを発揮するには、お互いのことをよく知ることも大事になってくるって言うしな!」
汐莉の姿勢にたじろいでしまい、誤魔化すために理屈っぽくなってしまったが、汐莉のことをもっと知りたいというのは本音だった。
「でしょでしょ! じゃあちょっと永瀬くんのこと聞いていい?」
「どうぞ」
「うーんと、それじゃあ……永瀬くんていつからバスケやり始めたの? 動機は?」
「始めたのは小三の秋頃かな。そのときは別に興味なかったんだけど、親が何かスポーツやってみようって言ってきて。それで野球、サッカー、テニスと体験したんだけどどうにもしっくりこなくてさ。でもその後バスケに行ったんだけど、そこのクラブにいた六年生がめちゃくちゃ上手かったんだ。その先輩がかっこよくて、俺もあんな風になりたいって思ったのがきっかけ」
話ながら修は当時のことを思い出した。その六年生の先輩は本当に上手くて、クラブ全員の憧れだった。
「へぇ~そうなんだ……。誰かに憧れてっていうのは私と同じだね」
「宮井さんの憧れってどんな人?」
「私の憧れは……名前も知らない、同世代のプレイヤーだよ。偶然その人のプレーを見ることがあって……。上手なのはもちろん、何よりもプレーをしているときの表情が忘れられないんだ。すごく楽しそうで、バスケが本当に好きなんだなぁっていうのが伝わってくるの。それに触発されて、高校ではバスケがやりたいって思ったんだ」
汐莉はゆっくりと思い出すように語った。その顔は修にはなんだか切なそうに見えたが、その人に何かがあったのだろうか。
「その人は今どこで何を?」
「……さぁ。他県の人だし、そこまでは。プレーを見たのも一回きりだし」
「そうなんだ……」
一度プレーを見せただけで他人を魅了してしまうなんて、よほど凄いプレイヤーなのだろう。
自分も高校ではそんなプレイヤーになりたかったが、今となってはもう遅いと、修も少し切なくなった。
「また会えるといいね」
「……そうだね」
汐莉は複雑そうな顔で笑ったが、修にはその意味を計り知ることはできなかった。
「そうだ、これはずっと訊きたかったことなんだけど。永瀬くんてどうして高校ではバスケやってないの?」
一瞬息が止まった。
いつかは訊かれるだろうと思ってはいたが、いざその場面となるとやはりすんなりとはいかなかった。
「……まぁ、ただの心変わりというか……。中学で楽しんだからもういいかなって。高校は勉強も大変だし、いい大学行っときたいしね」
修は用意しておいた言葉を返したつもりだったか、かなりたどたどしくなってしまった気がした。
「バスケはもう好きじゃなくなったの?」
修はドキッとした。汗が背中をゆっくり伝うのを感じながら、恐る恐る汐莉を見た。
汐莉はひどく悲しそうな表情でこちらをじっと見つめてきていた。
「……わからない」
修は目を逸らして俯き、答えた。
それは本当だった。バスケのことを思うたび、見るたびに苦しくなり、もうバスケなんか嫌いだと考えたこともある。
しかし今、バスケとの繋がりを求めて汐莉と共に練習している。その時間は楽しいものだ。
修は自分がどう思っているのかわからなかった。
「ごめん、変なこと訊いちゃったね……」
「いや、別に……こっちこそごめん」
事情を知らない汐莉には修がこのような態度をとっている理由がわからないだろう。修は汐莉に困惑させてしまったことを詫びた。
お互い気まずい沈黙が続く。
自分のせいでこうなってしまったのだから、何か空気を変える話題を提供しなくては、と修は考えた。だがそんな話題はすぐに思い付かない。こういうときに次から次へと多様な話ができる平田が羨ましいと思った。
「そうだ、宮井さんて、昔に俺と会ったことある?」
と質問してから修はしまったと思った。
何か話さなくてはと焦ってずっと気になっていたことが自然に口から漏れ出てしまったのだ。
汐莉は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに不思議そうに首を傾げた。
「会ったことはないよ? 直接話したのはこの前体育館で会ったときが初めて。どうして?」
違った。汐莉は小四の頃公園で出会った子ではなかったのだ。
「あ、いや、なんというか、宮井さんと話してると懐かしい気がして……もしかしたら、会ったことがあったのかなぁって思ったんだけど……」
勘違いが恥ずかしく、修は自分の頬が熱くなるのを感じた。
「へぇ~そうなんだ! それって親しみやすさを感じてるってこと? だとしたら嬉しいなぁ」
しかし汐莉はまったく気にしておらず、ニコニコと笑っていた。
「でも、永瀬くんだってそうだよ。会ったばっかりなのに、親身に練習付き合ってくれてるし、すごく話しやすいよ」
「そ、そんなことないと思うけど……」
「そんなことあるよ! 私、男子の友達ってそんなにいないけど、その中でも一番話しやすい!」
汐莉のようなかわいい女の子にそんなことを言われるのはとても嬉しかった。
修は今度は耳まで熱くなるのを感じた。
「……ありがと」
「う、うん!」
汐莉の返事が少し歯切れの悪いものだったので、どうしたのかと顔をちらりと見てみると、汐莉も顔を赤くしていた。
修があまりにも照れているから、つられて恥ずかしくなってしまったのだろうか。
「あー! もう! 変な空気になっちまった! 職員室に行こう! 体育教師に時間割について訊くんだろ!」
修はいたたまれなくなって立ち上がり、もときた道を歩き出した。
「あっ、待ってよ!」
汐莉が後ろから慌てて付いてくるのを感じたが、修はしばらく振り返れなかった。
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