第8話

 次の日の昼休み。

 修は4限目の終鈴が鳴り終わるやいなや弁当を取り出し、とてつもない勢いで口の中にかきこんでいた。


「うげっ。その勢いは引くわ~……」


 平田が唖然とした表情で近づいてきた。

 昼休みに用事ができたから、これからは基本的に昼ごはんを一緒に食べられないということは、平田には朝の時点で伝えてある。

 平田は驚いていたが、修の表情をじっと見たあと「用事ならしゃあないな!」と、ニコッと笑って言ってくれた。


「修がそんなやる気出して向かう先はどこなのか……。やっぱ気になるねぇ」


 どこに、誰と、何をしに行くかは教えていない。

 同級生女子と二人でバスケの自主練習をしに行くなどとは、やはり恥ずかしくて言えなかった。

 それに自分が昔バスケをやっていたということも伝えていないので、変に詮索されたくないという気持ちもある。とはいえ、人が不快になるような詮索を平田がしてくるとは修には思えなかったが。


「ホントにごめん……」


 修は口の中のおかずをすべて飲み込んでから、改めて平田に謝罪した。

 元々ひとりぼっちで昼ごはんを食べていた修に、一緒に食べようと誘ってくれたのは平田だ。以降毎日昼休みになると修の席にやって来てくれる。

 そんな平田にこちらの都合で断りを入れた上、その理由も話さないのはとても申し訳ないと修は思っていた。


「いいよ別に。俺、修と違って友達多いからな! 既にE組の席を予約済みだ」


 平田は気にも留めないという感じで笑い、スマホを顔の前でヒラヒラと振ってみせた。


「さすが人気者」


 そんな平田が自分なんかとつるんでくれるのは本当に謎だと修は思った。


「んじゃ俺行くわ。ほれ、気にせず食え食え」


 平田に促され、修は残りわずかとなったおかずと白米をまとめて口に放り込んだ。


「修。なんか知らんけど頑張れよ」


 平田の激励に、口の中がいっぱいの修は親指を立てて返事をした。




 修が体育館に入ると既に汐莉がシュート練習をしていた。

 声をかけるとこちらを振り向いてひまわりのような笑顔を見せる。


「おっす! 永瀬くん!」


「早いな。宮井さん、昼ごはんはどうしてるの?」


 修の問いかけに汐莉は気恥ずかしそうな笑みを作った。


「はしたないって思われちゃうかもだけど……今日は早弁したんだ……。時間割によっては遅弁だったりするけど」

「なるほど……」


 その手があったかと修は感心したが、実際昼休み以外の時間にごはんを食べるのは、周りから好奇の目で見られることは必至であり、なかなか勇気がいる。修は自分には難しそうだと思った。


「そんなことよりさ! 練習しよっ」


 汐莉は誤魔化すようにテンションを上げて言った。


「OK」


 修は軽くストレッチを済ませて汐莉がシュートを撃っていたゴール下へと向かった。


「昨日みたいな感じでボール出しすればいいの?」

「うん! お願いします!」

「よし、いつでもどうぞ」


 汐莉がシュートを放った。当たり前のようにゴールに吸い込まれていく。


「文句なし。ボール拾うのも楽だよ」

「えへへ……」


 修はボールを拾い汐莉にパスを出す。ボールを受け取った汐莉はゆっくりとシュートフォームを作り、またシュートを撃った。

 昨日も汐莉はこういったシュート練習を繰り返し行っていた。


「宮井さん。せっかくだし、ミートからやろうよ」


 ミートとはmeet、つまりボールに会いに行く、受け取る動作のことだ。

 汐莉のシュートは既にかなり完成されたものなので、普通に撃つよりもより実践的な練習をするべきだと修は考えたのだ。


「ミートから……。うんっ、わかった!」


 汐莉は何故か表情を少し強張らせた。


「じゃ、ちょっと強めのパス出すよ」


 修は疑問に思いながらもパスを出そうと構える。しかし汐莉の姿を見てパスを出すのを止めてしまった。


(変わったスタンスだな……)


 汐莉は窮屈そうな前屈みになり、両手をあごの前辺りに開いてこちらに向けてきていた。

 一瞬驚いたが、とりあえずそのままパスを出してみることにした。

 汐莉はボールにミートし、シュートを放つ。しかし


(えっ!?)


 修はかなり驚いてしまった。何故なら汐莉のそのシュートは先程まで見ていた、惚れ惚れするような美しいシュートとはかけ離れた雑なシュートだったからだ。しかも遅い。


「ごめん!」


 ボールはリングに弾かれ、ゴールの右側に跳ねていった。


(いや、一本目だったし、緊張?とかしてたのかもしれない)


 修は慌ててボールを拾いに向かった。


「ドンマイ! もう一本!」


 拾った場所から汐莉にパスを出す。しかしやはりミートからおかしい。

 直前と同じように雑なフォームから放たれたシュートは、今度はリングにかすることもなく床に墜落した。


 今ので修は確信した。汐莉はボールミートからのシュートがまったく身についていない。

 汐莉は恥ずかしさに耐えるように、顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「……ちょっと確認なんだけど、宮井さんっていつからバスケやってるの?」

「ちゃんとやり出したのは高校からだよ……。中学までは陸上部だったから……」

「マジか……」


 あんなに綺麗なシュートを撃つものだから、修はてっきり汐莉が経験者であるとばかり思っていた。

 高校からならまだバスケ歴二ヶ月くらいだ。


「じゃあなんでシュート撃つときはそんなに綺麗なんだ?」


 汐莉のシュートフォームは、明らかにバスケ歴二ヶ月の人間のそれではない。


「中学三年のときに、バスケやってる知り合いからシュートだけ教えてもらって……。それ以来一人でゆっくり撃つのばっかり練習してたから……」


 それでここまで綺麗なシュートフォームを作れるのは、教えてくれた人がよほど教え上手だったか、本人の努力が凄まじかったかだろう。その両方かもしれない。

 修は驚きながらも、汐莉に対する考えを改めなければならないと考えた。


 ある程度はできるものだと思っていたが、この様子だと他のプレーもまともにできるか怪しい。

 修は確認してみることにした。


「普段部活でどんな練習してるの?」

「え~っと、まずアップしてストレッチでしょ。そのあとフットワークして、パス練習、シュート練習、それで一対一、二対二、三対三、ダウンして終わりって感じかな。もちろんたまに違うことやったりもするけど」


 汐莉は指を順番に立てながら答えてくれた。


「部員数って何人? 同級生は三人て言ってたよね」

「うん。あと三年生が三人と二年生が二人の計八人だよ。内三年生の一人は塾があるからって週二日はいないって感じ」

「八人か……。それじゃ試合形式ゲームもできないな。先輩たちは練習中にアドバイスをしてくれたりは?」

「うーん……。基本的に先輩から教えてくれることは滅多にないね……。こっちから訊けば軽くは教えてくれるんだけど、あんまり熱心には……」

「そうなんだ……」


 修は顎に手を当てて唸った。

 何やらこの学校の女子バスケ部には問題がありそうな予感がする。

 練習内容は人数を考えればまぁ普通だ(もちろんやるべきことは他にもたくさんあるが)。


 しかし先輩たちからのアドバイスがないというのはおかしい。

 先輩たちが全員高校から始めた人ばかりだとしても、汐莉より一年、二年長くやっているのだから、軽いアドバイスくらいできるだろう。


 だが汐莉の話と、先程のぎこちないミートの動作から考えると、本当に先輩とのコミュニケーションがあまりとれていないのだとわかる。


「永瀬くんが考えてること大体わかるよ」


 汐莉は少し悲しそうに笑っていた。


「先輩たちの中には上手な人もいるし、みんなすごく優しいよ。でも、バスケのことになると、なんか皆素っ気ないというか……。練習自体は真面目にやってるんだけど、でも……」


 そこまで話した汐莉だったが、その後の言葉を言い淀んでいるようだ。


「でも……?」

「……すごく失礼なこと言うけど、先輩たちには……特に三年生にはこれ以上上手くなるつもりがないんじゃないかって感じてる」


 汐莉が発した言葉は、修にとっては信じがたいものだった。


「向上心がないってこと?」

「うん……。私がそう感じてるだけなんだけど……」


 肩を落とす汐莉の姿が痛々しくて、修はなんとも言えない感情が込み上げてくるのを感じた。

 自分はやる気があるのに、周りはそうではない。

 修には経験したことのない状態だが、そのギャップは苦しいものだということは想像に難くない。


(でも、実際に先輩たちやその練習風景を見た訳じゃないから、これ以上はなんとも言えないな)


 修は自分にできることを考えた。


「よし! この話はもうおしまい! って、俺から振ったんだけど……。先輩たちのことは部外者の俺にはどうしようもない……。けど、宮井さんが上手くなる手伝いならできるよ。それで宮井さんはどんどん上手くなっていく姿を見せて、先輩たちのやる気を引き出してやればいいんじゃない?」


 汐莉を励ますために言った言葉だが、修は自分のやる気も引き出せないようなクセによく言えたものだ、と自嘲の感情が湧いた。


「そう……だよね。うん! よろしくお願いします!」


 汐莉は先程までの暗い表情を一変させ、やる気の表情になった。


「じゃあまずはミートから始めよう。一口にミートと言っても、次の行動によって少し違ってくるから、今回は次の行動をシュートに絞ってやってみようか」


 汐莉は修の言葉に真剣な表情で耳を傾けていた。

 ここまでしっかり聴いてくれているとなると、修もきちんとやらないとな、という気になってくる。


「いくつかポイントがあるんだけど、一つはボールをキャッチする瞬間に膝を曲げること。キャッチしてステップを踏んだ時にはもう跳ぶだけって状態を作るんだ。ちょっとパス出してもらっていい?」


 そう言って修は汐莉にボールを投げた。


「えっ? やって見せてくれるの?」


 ボールを受け取った汐莉は驚いた表情を見せる。


「? その方がわかり易いと思うけど……」


 修は汐莉がそんな顔をする理由がよくわからなかったが、いきなりサービス精神旺盛になった自分に驚いたのだろうと思うことにした。


「そ、そうだよね……」

「うん。まずボールを要求する時は、軽く膝を曲げる程度。当然、常に深く曲げてると疲れるし、動きも遅くなるからだね。パスちょうだい!」


 修の声に反応して汐莉がパスを出した。

 修はボールをキャッチする瞬間に膝をさらに深く曲げ、右足、左足の順番にステップを踏み、ゴールに向かってシュートフォームを作った。


「今みたいな感じで膝を曲げながら1、2でステップ、3でジャンプ。2と3の間には、間髪入れないこと。OK?」

「1、2でステップ、3でジャンプ……。わかった!」

「もう一回やるね」


 汐莉にボールを返し、もう一度同じ事をやって見せた。


「もう一つのポイントは、上体を起こしてミートすること。さっきの宮井さんみたいに前屈みになってしまうと、そこから上体を起こすっていう余計な動作が入っちゃうから、無駄な時間だしフォームもバラけやすい。この二点を意識すれば、さっきみたいに……その、ぎこちないシュートにはならないよ」

「なるほどなるほど……」

「ちなみにこの二歩で止まることをストライドストップって言う。最初はそんなに速さを意識しなくていいから、一つ一つ確認しながらやってみようか」

「はい!」


 汐莉の元気な返事に修はなんだか楽しくなってきた。教える側のモチベーションを上げてくれる、汐莉はかなり優秀な生徒だ。

 汐莉は修のパスから何度もストライドストップの練習を繰り返した。最初はやはりぎこちなかったものの、段々とコツを掴んで行き、シュートも入るようになってきた。


 汐莉の飲み込みの早さに修は少し驚いた。もしかしたらかなりセンスがあるのかもしれない。


「うん、OK! 普通に撃つ時ほどフォームは綺麗じゃないし、本当はもっと速く撃てるのが理想だけど、さっきよりはかなり良くなったよ」

「……永瀬くんて、意外に毒舌なんだね……」

「えっ!? 今のは褒めたつもりだったんだけど……」

「冗談だよ。ありがとう。永瀬くんの教え方が上手だからわかり易いよ」


 笑って言う汐莉に修は照れ臭くなって鼻を掻いた。

 ふと体育館の壁掛け時計を見ると、予鈴の五分前であることに気づいた。


「じゃあ今日はこれくらいにしようか」

「うん。ありがとうございました!」


 汐莉が深々と頭を下げるものだから、修もつられるようにお辞儀をしてしまった。


「次は三日後だね」

「そうだな」


 今日は金曜だから明日明後日は土日だ。今日から本格的に始めたばかりなのに、いきなり二日空くとは水を差された気分だと修は思った。


「じゃあ、また、よろしくね」

「ああ。部活も頑張ってね」


 挨拶を交わし二人は別れた。


(しかし宮井さんがほぼ素人だったとは……。教えることを色々考えてこなきゃな……)


 教室に戻る修の足取りは軽く、口元には笑みを浮かべていた。

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