第6話

 教室から出た修はまずトイレに向かった。

 用を足したかったわけではないが、すぐに体育館に向かっても汐莉がまだ行っていない可能性があるため、少し時間を空けようと考えたのだ。


 また、勢いで動き出したもののやはり少し心の準備が必要だと思ったのもある。

 洗面台でゆっくり手を洗った後、正面の鏡を見ると口を結んで緊張の面持ちの自分がいた。


 体育館に行く、ということを決意して飛び出したが、行ってどうするのかまではまったく考えていなかった。


(ぐだぐだ考えても答えなんか出ない。というか、そういうところがダメなんだ!以来そうだ。なんにでもビビって、一歩を踏み出せない。そんなんだから未だに過去に囚われて不様にゲロ吐いてんだろ!)


 修は両手で勢いよく顔を叩いた。鏡にの中の自分は頬が赤くなっていたが、先程の表情とは違い不安の色は見られない。

 修は体育館に向かって歩き出した。以前に通ったルートを進み2階の入口から体育館に入っていく。

 コートの扉を開ける前に立ち止まり、耳を澄ませてみたがボールの音は聞こえなかった。


(いないのか……?)


 そう思いながら引き戸に手をかけ、ゆっくりと開けてみた。




 そこにはボールをお腹の前で抱えゴールを見上げて佇んでいる宮井汐莉がいた。




 何かを考えているのだろうか。

 汐莉はそのまま動かない。こちらにも気づいていないようだ。


(大丈夫、普通に声をかければいい)


 心臓の鼓動が少し早くなるのを感じたが、意を決して修は口を開いた。


「おっす」


 少し声が裏返ったような気がした。咳払いから入ればよかったと修は後悔したが、できるだけ態度に出さぬよう努めた。

 汐莉は突然声をかけられてビクッと跳ねるように驚き、すぐさま振り返ってきた。


 汐莉は修を確認した瞬間目を見開いたが、すぐに体ごとそっぽを向いてしまう。

 一瞬見えた表情は嬉しそうであったようにも感じたが思い違いだろうか。


「来てくれたんだね」


 汐莉はこちらを向かずにそう言った。その言葉は、以前に修にかけた言葉に「修にまた来てほしい」という意味があったことを裏付けた。

 そのことに修はとても安堵した。勝手に押し入ったのと招かれて入ったのでは話しやすさが段違いだ。


「まぁ……ちょっと気になったから」

「でも、昨日と一昨日は来てくれなかった」


 汐莉はようやく修の方に向き直ったが、口を尖らせて上目遣いで修を睨んでいた。明らかに不満顔だ。


「ご、ごめん。ちょっと用事があってさ……」


 修は目を逸らして慌てて言い訳をした。

 ビビって来れなかったなどとは恥ずかしくて、口が裂けても言えなかった。

 すると汐莉はふふっと笑った。


「冗談だよ。別に約束したわけじゃないし、初対面の人からあんなこと言われても、普通来ようと思わないよ」


 汐莉の笑った顔はやはりかわいい、と修は思った。

 あまり目を見ていると照れてしまいそうなので、修はできるだけ汐莉の鼻の頭辺りを見ることにした。


「だから今日来てくれて嬉しい」


 そう言って汐莉はゴールの方に向くと、ボールを構えてシュートを撃った。

 やはりとても美しいジャンプシュートだ。

 ボールはゴールネットに綺麗に吸い込まれていった。


「前見たときも思ったけど、凄く綺麗なシュートだね」

「ホントに!?」


 汐莉はボールを拾いに行く足を止め、勢いよく修の方を見た。


「うん。しっかり全身を使ってるし、ジャンプもまっすぐ、腕や手首の使い方も完璧に近い。撃った瞬間入るって確信するようなフォームだよ」


 修は思ったままのことを汐莉に告げた。


「うわぁ……。うわぁ……! 嬉しい! ありがとう!」


 汐莉は両手で口元を隠しながら全身を小刻みに揺らした。

 本人の言葉通りとても嬉しそうだ。


 自分なんかに褒められて何故こんなに喜んでいるのだろうかと修は疑問に思った。よほど普段から褒められることがないのだろうか。

 だが修はそれとは別に気になっていることを尋ねることにした。


「なぁ、なんで俺を自主練習に誘うようなことを言ったんだ?」

「えっ!?」


 汐莉が素っ頓狂な声を上げたので修も思わず驚いてしまった。


「えっとぉ~……ほら! この前初めて会ったとき、パス出してくれたよね? その時、あっ、この人経験者なんだ! って思って、しかもパス出してくれた位置とかも凄く良くて、あっ、あの時私シュート外しちゃったんだけど……えっとそれは今関係なくて、こうやってパス出ししてくれる人がいたらもっと練習が身になるんだろうなぁ~って思って、このチャンスを逃したらダメだ! って本能的に感じて~」


 言い訳をする子供のようにものすごい早口で捲し立てるものだから、修は半歩後退りしてしまった。

 それに気づいた汐莉は顔を真っ赤に染めて段々と俯いていった。


「だから、あんな風なことを、言ってしまった、の、です……」


 最後はガクッと頭ごと肩を落としてしまった。

 修は汐莉のそんな姿を微笑ましいと思った。

 汐莉の言い分には少し疑問が残るものの、そこまでおかしな理由でもない。


 バスケは一人で練習するより誰かと練習した方が効率的なことが多いし、何より一人より複数の方が楽しい。

 そう思ったからたまたま訪れた修にとっさに声をかけたのだろう。修はそう理解し頷いた。


「なるほど、そうだよな。一人でやるのって最初はいいけど結構すぐに飽きてきちゃうもんだもんな」

「そう! そうなの!」


 汐莉は修の言葉に首を何度も縦に激しく振って肯定した。


「宮井さんてバスケ部……なんだよね? 部活仲間で一緒に自主練してくれる人はいなかったの?」

「うん……。同級生は私を入れて三人なんだけど、一人は放送部と掛け持ちで昼休みはそっちの活動があるし、ウリちゃんはご飯食べた後は動けないよって……」


 汐莉は残念そうに笑って言った。


「そっか、三人て結構少ないんだな……。って、えっ? 伊藤さんてバスケ部なの?」

「そうだよ。同じクラスなのに知らなかったの?」


 汐莉は何気なく言ったのだろうが、修は少し責められたような気がしてダメージを受けた。


「い、伊藤さんとは少し話す程度だから、部活のこととかは知らなかった……」


 あのほわほわした伊藤優理がまさか運動部員だとは思ってもみなくて正直驚いた。

 優理がバスケをしている姿は修には到底イメージできなかった。


(いやいや、人を見かけで判断するのは最低だ。ごめん、伊藤さん……)


 修は心の中で優理に深く頭を下げた。


「そういうことだから、私はひとりぼっちで寂しくシュートを撃っていたのです」

「そっか……」

「永瀬くん、ここに来たってことは、私の練習手伝ってくれるの?」


 修はハッとした。そうだ、ここに来て汐莉と話せたのはいいが、この後どうするのか考えていなかった。

 汐莉は真っ直ぐに修を見つめていた。その表情はどういう感情が込められているのか修には計り知れなかった。


(宮井さんと少しバスケをしたとき、それは苦しいものではなかった。宮井さんとバスケをすることで、何かが掴めるかもしれない。何かが変わるかもしれない。そういう期待を持ってここに来たんだ。だったら答えは決まってる)


 修は真剣な表情で汐莉を見つめ返した。


「ああ。君の自主練を手伝わせて欲しい」

「やったぁ! ありがとう!」


 汐莉は修に近づき右手を差し出してきた。握手を求めている

 ようだ。

 修も右手を出し汐莉の右手に重ねた。汐莉はさらに左手を重ね、修の右手を両手で包んで勢いよく縦にブンブンと振った。


「よろしくね、永瀬くん!」


 汐莉はにっこり笑って言った。

 修は久しぶりに触れる女子の手の柔らかさにどぎまぎしつつも、汐莉の笑顔につられて笑った。


「うん、よろしく」




 その夜、修はベッドで横になりながら今日のことを考えていた。

 あの後汐莉のシュート練習に付き合い、ボール拾いとパス出しをしてあげた。


 あんなにボールに触れたのは久しぶりだった。昼休みの残りが少なく、すぐに予鈴がなってしまったので時間にしてみれば10分もなかっただろう。

 それでもそう思ってしまう程、最近はめっきりボールに触れることがなかったのだ。


(楽しかったな……)


 体がぽかぽか温かいのは風呂上がりだからというだけではないだろう。

 バスケをして楽しい、と感じたのは本当に遠い昔以来のような気がした。


(これはリハビリだ。なんでかはわからないけど、宮井さんとやるバスケは苦しくならない。これを続けていけば、いつか普通にバスケと接することができるようになるかもしれない)


 そう考えていると傍らに置いてあったスマホの画面が光ったのに気づいた。

 見てみるとメッセージが一件届いていた。送信者は汐莉だ。

 まるで修の頭の中が伝わったのではないかと思う程のタイミングの良さに修はドキッとしたが、恐る恐る開いてみた。



『今日はありがとう(*^^*)

 今後もし都合が悪い日があれば無理しなくてもいいので、来れる日だけ来て下さい!

 練習中気づいたことがあればどんどん指摘してね!

 明日からもよろしくお願いします(^^ゞ』



 修はなんと返信するか少し悩んだが、気の利いた言葉が思い浮かばなかったので『うん、よろしく!』とだけ打って送信した。


(こんなんでいいよな……? 変に長文にするとキモいと思われるかもしれないし)


 修がスマホを持つようになったのは高校に上がってからなので、実はこれが同年代の女子とする初めてのメッセージのやりとりだった。

 今の自分の返信が正解か不正解かまったくわからなかったが、間違ってはいないと自分に言い聞かせてスマホを置いた。


 明日から昼休みは汐莉と練習だ。それが修に楽しみだという感情を抱かせた。


(こんな気持ちはいつぶりだろうか……)


 修はその感情に心地よくなると同時にまぶたが重くなっていくのを感じた。

 修は電気を消すと、その感覚に逆らわずにまぶたを閉じた。

 程なくして修は深い眠りに落ちた。

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