最終章 そして、物語は続く

 現在。

 二十三歳になった正行は父である平野平秋水、兄貴分の石動肇に事の顛末を語り終えた。

 開演数分前である。

「なるほど、加藤玲菜にとって正行と老師は『命の恩人』というわけか」

 石動が納得したように一つ頷く。

 半年前に亡くなった春平を石動は『老師』と呼ぶ。

 自分の格闘技などは秋水から学んだものだが源流は彼に当たるからだ。

「いや、そんな大層なことしてないんですけど……」

 正行が謙遜する。

「ちゃんと『デビュー』したのは親父が家に帰ってきて石動さんと出会った時だから、十六歳の頃ですよ」

「あれ? 正行と出会ったのは、そんな昔になるか?」

「そうですよ」

 驚く石動に正行が笑う。

 開演のブザーが鳴る。

 その直後だ。

 それまで黙っていた秋水が石動の体を抱えた。

「お、おやっさん⁉」

「石動君、今からニャンニャンしよう」

「は?」

「おい、親父!」

「お前は邪魔だから、そこで教養を身につけなさい」

 呆然とする正行を背に秋水は石動を背負って会場から出てしまった。

 追いかけようとするが会場が暗くなった。

 正行は『まあ、石動さんも簡単に親父の悪ふざけに振り回されないだろう』と諦念ていねんして舞台を見た。


 

 約十分後。

 石動肇は、駐車場の外れにあるナディアにいた。

 会場が緑地公園の中にあり周りには車などはまばらだ。

 ナディアは激しく揺れていた。


「やめてください‼ おやっさん‼」

 座席のシートを全部倒され、石動は手首を掴まれて秋水に迫られていた。

 流石にブラウスなどを引き裂くような真似はしないが秋水は石動の反抗を楽しむ余裕があった。

 石動の足は秋水の足が組まれて出来ることは体を上下に動かすことしかできない。

「はいはい、静かにしようね」

 そう言いながら石動の首筋に顔を近づける。

「本当に、やめてください……」

「大丈夫だって。奥さんにばれないようにキスマークはつけないよ」

「そういう意味では……」

 石動が必死で抵抗する。

 と、石動の動きが止まった。

「どったの?」

 不思議そうに首をかしげる秋水。

「おやっさん、ハメましたね?」

 石動は不敵に笑った。

「うん? まだ、お前さんのパンツどころかズボンの中に手すら入れてねぇぜ」

「気配と足音からしてスネークヘッドの末端の奴らですね。人数は十五ぐらい」

「……及第点だな」

 秋水は顔と手を放して石動を解放した。

 ドアを開けると車の周りには如何にもガラの悪い奴らが鉄パイプやスタンガンを持っていた。

 外に降りる二人。

「お前さんたち、どんな理由があるか分からねぇが喧嘩は売る相手を選べ」

 秋水が指の関節を鳴らしながら警告する。

 変化はない。

「無理みたいですよ」

 石動が右袖を直角に曲げる。

 すると特殊警棒が現れ、彼の手に納まった。

 実はスーツの中にバトンが飛び出す仕組みがあるのだが、何も知らなければ驚くだろう。

 だが、スネークヘッドたちはひるまなかった。

 末端とはいえ、流石は中国マフィアの一員というところか。

 緊張感に耐え切れなかった、若い構成員が石動たちめがけて鉄パイプを振りかざして突進してきた。

 振り上げ、秋水の頭上めがけて鉄パイプが襲い掛かる。

 当たれば無傷では済まない。

 だが、秋水は鉄パイプを片手で受け止めた。

 相手は必死に力で押し切ろうとするが、秋水は余裕であった。

「こんなこともできるよ」

 そういうと鉄パイプを垂直に持つ。

 鉄パイプの長さは二メートル以上ある。

 さすがにスネークヘッドでも驚きの声を上げる。

 秋水は水滴を払うように先端にしがみついた男を振り払った。

 勢いで茂みまで吹っ飛び、何かが木に当たる音がして声がしない。

 死んではいないだろうが、気絶をしているかもしれない。

 呆然とする他のスネークヘッドと石動を無視するように秋水は自分の身長以上ある鉄パイプをペン回しの様に回す。

 気が済むと鉄パイプを叩いた。

 バーンッと音がする。

「これなら、何とかなるかな?」

 秋水は鉄パイプを担ぎ手のひらを上にして指を曲げた。

 挑発しているのだ。

「石動君、俺が七人やるから君が八人ね」

 石動の耳元で秋水がささやくように命令する。

「はぁ? 嫌ですよ! 俺が七人です」

「俺だって嫌だよ」

 ちょっとした小競り合いになった。

「俺たちを無視するな!」

 そこにスネークヘッドが襲い掛かってきた。


 二十分後。

 石動は再びナディアの前に立った。

 だが、衣服は汚れが目立つ。

「よう、お疲れさん」

 そこに秋水も合流する。

 彼も衣類がよれている。

 持っている鉄パイプも所々凹んでいる。

「おつかれ様です」

 その直後だ。

 秋水は鋭い目になった。

 石動の頬を鉄パイプがかすめる。

 背後から襲い掛かってきた男が額を突かれ後ろに倒れた。

「駄目だよぉ、石動君。油断しちゃあ……」

 次の瞬間。

 石動は胸に隠しておいたシャープペンシルの先を素早く秋水めがけて投げた。

 当たれば失明だ。

 だが、秋水は顔を最低限静かに傾けるだけであった。

 秋水の背後には同じく鉄パイプを持った男がいたが、シャープペンシルは男の手に見事に刺さった。

「くっそーー!」

 男は鉄パイプを落とし、林の中に逃げて行った。

「さっきの言葉、のし付けてそっくりそのまま返しますよ」

 秋水がクスクス笑う。

 思い出しているのだ。

 戦場で出会い、石動に生きる術を教えていたころを。

 それは秋水にとっても最高の出会いであった。

 初めて、『最高の相棒』と呼び『大切な弟子』と言える男に出会えたのだ。

 何より『唯一無二の親友』と呼べる存在。

 それが石動本人にとって幸せかどうかは分からない。

 と、その石動が秋水の胸ポケットに何か入っているのを見つけた。

 つまんでみる。

 二つに折りたたまれた紙のようだ。

「クリーニング屋が捨て忘れたんじゃねぇ?」

 だが、月の光に照らされた文字は違っていた。

「『秋水へ 石動さんに迷惑をかけないこと。 綾子』」

 この文言を見たとき、石動の中で何かが氷解した。

――こう見えて時間を守る秋水がなぜ、待ち合わせ会場に遅れてきたのか?

――気になるといえば普段かけていない香水を何故かけているのか?

 そこから導き出された答えに今度は石動がにやにやと笑った。

「いやあ、おやっさん。本当は今でも綾子さんを愛しているんでしょ?」

 綾子とは正行の母であり、秋水の元妻の名前である。

 仕事の関係で石動自身も面識はある。

「な、なに言っているんだよ?」

 顔を赤くして反論する秋水。

「首筋に薄くキスマークありますよ」

 慌てて確認する秋水。

「嘘ですよ」

 石動はにやにや笑いが止まらない。

「石動君、僕を冷やかして楽しい?」

 困った顔を真っ赤にしながら秋水は問うた。

「ええ、楽しいですよ」

 秋水は頭を抱えた。

「君だってなぁ……」

「俺は、妻を、ナターシャを愛していますよ」

 石動の言葉に秋水は言葉を失った。

 言い返したい。

 けど、言い返せないもどかしさ。

 普段、石動を冷やかしている秋水。

 今は、秋水を石動が冷やかしている。

「親父、石動さん」

 そこに正行がやって来た。

「お、正行。いいところに……」

 石動が現状の説明をする前に半ば叫ぶように秋水が聞いた。

「お前さ、加藤玲菜に会ったんだろ? どうだった?」

 慌てる父親に首を傾げつつ正行は答えた。

「うん、控室に呼ばれて行ったら彼女がいたよ」

 と、正行の顔が一瞬だけ曇った。

「どうした?」

 弟分の表情に石動が気付いた。

「そこに、男の人がいて『婚約者』だって」

「あらら、加藤玲菜は結婚するのか」

 秋水の言葉に正行は頷いた。

 そして、いっそ明るい声で言った。

「俺のことを『私のカッコいいお兄さん』って紹介したよ」

 自覚していなかった初恋の相手が結婚することに正行は『初恋』が終わったことを知ったようだ。

「お前さ、黙っていれば俺に似て、いい男なのに何でモテないのかねぇ。今度、いいネェちゃんのいる店で紹介しようか?」

 秋水が嘆息する。

「おやっさんが言えた口じゃないでしょ?」

 石動が意地悪く横やりを言える。

「え?」

 正行が反応する。

「あのな、正行……」

 わざとらしく石動は正行に耳打ちをしようとする。

 と、その表情が急に引き締まる。

「あのさ、俺も言わなきゃいけないことがあるんですけど……」

 正行が告げる。

 周囲から嫌でも感じる殺気。

 秋水、正行、石動は背中合わせになる。

「猪口さんから電話があって、玲菜ちゃんの婚約者。政財界だと結構有名な人で彼を狙っている組織がいると……」

 猪口は、その後、白髪頭になり公安部の課長になった。

 正行は今でも、猪口を尊敬している。

 ただし、今の正行はお互いの関係が『ギブ・アンド・テイク』だということも知っているぶん、複雑な感情もある。

「会場に入る前からこそこそしていて気にはなっていたが、そういうことか」

 秋水が苦く笑う。

「しかも、今さっき逃げている奴に問いただしたらダース単位で増員だって……」

「チョコレートじゃないんだから……」

 正行の追加情報に石動が頭を抱える。

 たぶん、石動のシャープペンで手を怪我した輩だろう。

 すでに周りには外灯の光に材木やナイフを持った者たちが隙間なくいた。

「あー、あ。これでまた『朝帰り』なんて言われちゃう……」

 秋水は独り言を言った。

「誰に?」

 正行に答えるものはいなかった。

 その前に緊張に耐えられなかった男が正行たちに襲い掛かってきたからだ。

 戦闘開始である。


 それから、数か月後。

 加藤玲菜は結婚した。

 その中にバウンサー(用心棒)としてこっそり正行たちも紛れていたのだが、それは別の話。


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ポップスター 隅田 天美 @sumida-amami

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