七章 強くなるということ
加藤玲菜が誘拐されて一週間後。
宇崎幸太郎は猪口直江と対峙していた。
場所は、星ノ宮大学社会心理学部のある郊外の小山キャンパスだ。
宇崎はここで客員教授をしている。
本職は心理カウンセラーだが国家資格は持っていない。
「宇崎さん」
対峙していた猪口が口を開いた。
「ドラマのようにまどろっこしいことは省きますが、あなたが街にいるチンピラを使って加藤茂さんを殺したんですね?」
「何を証拠にそんなことをいうのです?」
「証拠も何もチンピラどもが自白したんですよ」
宇崎は心の中で舌打ちをした。
――根性のない奴らだ
しかし、顔色は変えない。
「それはあなた方警察お得意の強要じゃないですか?」
猪口は口を閉じだ。
「そもそも、あなた方警察や国家権力は私たちを色眼鏡で見過ぎている……」
「では、そのようにしましょう」
宇崎は顔を上げた。
「そんなに国家権力や警察に固執をするのなら我々は思う存分、その権力を使いましょう」
静かな怒りだった。
「あなた方が自らを『平和の使者』というのなら自分は『地獄からの使者』です。自分は、いや、我々はいつ、いかなる時も修羅になる覚悟はできています」
息を飲む。
宇崎は三十になるまで暴走族で
多少の喧嘩も経験した。
だが、目の前にいる男の背後には鬼を伏せる修羅がいた。
その気迫、怒り。
自分の負けを悟った。
もしも、ここで意地を張っても全ては時間の問題だ。
「……借金の依頼をしに行ったときに左翼活動を注意されて、カッとなって……気が付いたら街のチンピラに大枚はたいて……」
宇崎はうなだれながら猪口に罪の告白をした。
暗い部屋と違い、空はとても晴れやかであった。
平野平春平と正行は大学構内の庭のペンチに座っていた。
万が一、宇崎が逃げた場合捕まえるためだ。
ただ、その様子は今のところない。
お互い黙ったまま、ベンチに座った。
誘拐事件以来、正行の口数は減った。
「この大学の飯、美味いな。お前、大学生になったらここに入るのもいいじゃないのか?」
春平は明るく声をかけたが正行は黙ったままだ。
昼休みが終わり、二人の周りには誰もいない。
「俺は……」
正行は重い口を自らこじ開けるように言葉を吐いた。
「俺は、諦めようとした」
「諦める? 何を?」
「全部……強くなることも生きることも、全部」
正行は言葉を選びつつ話す。
「暴力を振るわれたとき怖くなって……心の中が真っ暗になりそうで……」
声に涙が加わる。
「俺、もう、強くなる資格ないのかな?」
春平はそんな孫の小さい肩を抱いた。
「それでいいんだよ」
「え?」
「俺だって怖いさ、本音を言えばね。だから、お前の考えなら俺だって強くなる資格はない……それでもお前は彼女を守ろうとした」
「……」
「お前が自分をどう評価しているかは知らないが、お前の勇気は確かに彼女に声を取り戻した」
正行の口角が少し上がる。
「芯を持つことはとても大切だ。ただ、それに固執、そればかりに気がいっていれば逆に弱くなることもある。それらを少しずつ呑み込んでいけばいい」
「はい」
「芯を持ちつつしなやかな心があるといいな」
正行は、頷いた。
「お前は強くなるよ」
春平は言った。
正行の心が少しずつ氷解していていく。
だが、もう一つ心配なことがあった。
「玲菜ちゃん、大丈夫かな?」
ここに来る前に加藤玲奈は養父母に引き取られた。
猪口の情報網を使い素性のはっきりした清廉潔白な一般家庭を探した。
実際、会った家族は非常に優しく温かい夫婦だった。
玲菜も最初戸惑い気味だったが、口数は少ないが、すぐに夫婦を「お父さん」「お母さん」と呼んだ。
「なぁに、万が一のことがあれば猪口さんがいる」
春平が安心させるように言い聞かせる。
「……うん」
なお、玲菜の書いたヴォイニッチ手稿の訳は全て焼却処分をした。
玲菜自身も声が再び出せたのと同時に手稿の記憶が忘れたようでペンと紙を渡してもヴォイニッチ手稿のことは一切書かなかった。
後日、そのことを聞いて情報屋である古書店店主は惜しがっていたが春平は気にしていなかった。
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