四章 核心へ

 翌日。

 正行は早朝の鍛錬を終えると小学校へ向かった。

 玲菜が二階の空き部屋で目を覚ましたのは、正行が学校に行ってからすぐだ。

 

 昨日の夜は、鍋焼き饂飩を食べた。

 玲菜にとっては久々に食べる熱々の料理だった。

 猪口が車で去ると春平は二階に案内した。

――家出した息子が使っていた部屋

 そう説明して二階にある三つの部屋の一つを開けた。

 その部屋は質素だった。

 本棚には難しい本がぎっしり詰まっていたが、勉強机も電灯も余計なものはない。

「布団を出してあげよう」

 春平は押し入れを開けて布団を出した。

【どうして、いえでしたの?】

 玲菜はスケッチブックにマーカーで書いて老人に見せた。

 この質問に春平は苦笑した。

「俺の……そうだなぁ……考え方というのかな? いや、俺のわがままが許せなかったんだろうね」

【わがまま?】

 玲菜は首を傾げた。

 出会ったときは驚いたが、春平はいい老人である。

 だから、首を振った。

 その意図を汲んだのか、老人は玲菜の頭を撫でた。

「玲菜ちゃん。俺は君が思っているほど立派じゃない」

 その言葉は優しくも悲しげであった。

 その後は、一緒に布団を敷いて風呂に入った。

 この時、初めて玲菜は『五右衛門風呂』に入るのだが、春平と正行の心配をよそに普通に湯船に浸かり、出た。

 着替えは一応リュックサックに数日分持ってきた。

 パジャマもある。

 二階に戻り布団に入る。

 かび臭くも汗臭くなく心地いい。

――俺のわがままが許せなかったんだろうね

――俺は君が思っているほど立派じゃない

 春平の言った言葉が気になる。

 だが、睡魔に負けて玲菜はすぐに眠った。


 着替えて階段から降りると食卓には朝食が残っていた。

「おはよう、昨日は眠れた?」

 庭先から春平がやって来た。

 玲菜は深々とお辞儀をした。

「眠れたようだね……じゃあ、飯にしようか?」

 正行はいないことに玲菜は不安になった。

「?……ああ、正行だね。あいつは学校に行ったよ」

 とりあえず、卓の前に座る。

 卓には、コロッケを卵でとじたもの、肉じゃが、漬物数点、鮭の塩焼き。

「はい、おまちどう」

 春平が運んできたのは温かいご飯と煮麺だ。

【ありがとうございます】

 玲菜はスケッチブックに書いてお礼を示す。

「いただきます」

 春平にならい、玲菜も手を合わせて箸を取った。

 小さい体に似合わず、速度は遅いが玲菜はよく食べた。

「ごちそうさまでした」

 一緒に片づけをして春平は隣の書斎へ玲菜を招いた。

 書斎兼春平自身の寝室でもある、その部屋は本や原稿などが山積みになっている。

 いくらかは整理されているが、手付かずのところある。

 来客用のためなのかローテーブルの前に座らせると書き損じの原稿用紙の山を少女に渡した。

「俺は、今日締め切りの原稿があるから、この紙の裏側に好きなものを書くといい」

 それから、しばらく、万年筆で紙を書く音だけが響いた。

 春平の本職は、星ノ宮を中心とする郷土歴史家だ。

 時々、歴史の専門雑誌などに研究の成果を発表している。

 時計の針が正午を指す少し前。

 何とか原稿が書けた。

 下準備を入念にしておいたので書くこと自体はいいが流石に一気に書くと辛い。

――そろそろ、本当に隠居爺になろうかな?

 そんなことを考える。

 後ろを見ると玲菜が何かを書いている。

「何描いているの?」

 春平は一枚を手に取った。

 そこには、普通の子供の描くような花や人の絵はない。

 いや、あるにはあるのだ。

 だが、その描写が、子供のではない。

 まるで中世の絵画のようである。

 春平の脳裏に一人の人物が思い浮かんだ。

 今は、というか、大抵は暇な店を切り盛りしている友人である。

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