一章 鬼の棲む街へようこそ

 今から十三年前。

 春浅い、まだ桜のつぼみが初々しい季節。

 深海地方、豊原県星ノ宮にある平野山に一人の少女が登っていた。

 平野山は休日には初心者ハイカーも登る道が整備された山である。

 その山頂に『平野寺』と呼ばれる小さな寺があった。

 少女はそこを目指した。


 豊原県星ノ宮市には、まことしやかにささやかれ、伝わる言い伝えがある。

【かつて、西の国に人食い鬼がいた。

 森の中で容赦なく誰も彼も食べていた。

 そんな鬼をある僧侶が説法した。

 最初は食べようとしていた鬼だが僧侶の説法に心を入れ替え、彼の弟子になった。

 鬼は僧侶と東へ旅をした。

 旅の途中、僧侶は亡くなってしまう。

 泣きながら、鬼は旅をつづけた。

 僧侶の衣装に身を包み、鬼は東へ東へ向かった。

 だが、鬼は平野山の頂上から海を見たとき絶望する。

 海には水平線しかなく、陸地がないからだ。

 鬼は嘆き悲しんだ。

 大声で泣いた。

 それを見た村の心優しい乙女が鬼を慰め、彼らは夫婦になった。

 鬼は人として生きることを選び、周りの人たちから感謝された。

 優しい村人に囲まれて鬼は心穏やかに死を迎えた。

 だが、唯一心残りがあった。

 子を生さなかった。

 鬼は最後に願った。

――すべての人とは言わない。どうか、星ノ宮に住まう全ての子供たちを未来永劫守る力を与えたまえ。

 仏はその願いを聞き届けた。

 鬼は輪廻転生を繰り返す。

 そして、願い通りに星ノ宮に住まう子を守る存在になった】


 今、彼女はその鬼に会いたかった。

 ある児童書を読んで知った鬼の存在。

 普通の子は一蹴するだろうが、彼女は信じた。

 いや、信じるしか道がなかった。

 寺は思いのほか小さかった。

 手入れこそされているが、苔むした岩や柱の色から歴史を感じさせる佇まいだ。

 彼女は願いを書いた紙とお小遣い全額を包んだ紙を賽銭箱に投げ入れた。

 それから、手を合わせた。

――どうか、鬼に会えますように……

 と、茂みが鳴った。

――鬼?

 あれだけ会いたいと願っていたのに本当に現れると想像した瞬間、彼女には恐怖しかなかった。

【星ノ宮の鬼は怒ると元の人食い鬼に戻る】

 こんなことも書かれていた。

 彼女は背負っていた鞄を前で抱える。

 中にはおやつ用に少量のお菓子が入っている。

 茂みから出てきたのは白髪の老人である。

 鋭い目をしていた。

 獲物を狙う蛇のような眼だ。

 思わず、鞄を抱える手にも力が入る。

 だが、老人の目はすぐに優しくなった。

「どうしたの?」

 この言葉に少女の目から涙が溢れた。


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