ポップスター
隅田 天美
序章 永遠の歌姫と文通と
その夜は夜桜が映える満月だった。
『星ノ宮大学教育学部 春の定期音楽祭』
豊原県星ノ宮市を代表する音楽センターに、このような立て看板が掛けられてある。
そこに大勢の人が少々着飾ってやってくる。
毎年、教育学部の関係者や保護者などだが、今年は少し違う。
遠方からも来客があるのだ。
お目当てはポスターの中で微笑んでいるドレスを着た一人の若い女性である。
まだ、少女のあどけなさも感じさせつつ気品ある大人の自信にあふれた美女。
薄い化粧が彼女の美貌を際立出せる。
彼女の名前は加藤玲菜。
その透き通ったソプラノに与えられた名は『永遠の歌姫』
現在売り出し中にして世界中からオファーのくるオペラ歌手界期待のポープである。
元々は音楽教師を目指していたが、その才能を見抜いた教授が海外留学を勧めた。
その海外の大学で才能を一気に開花させた彼女は飛び級をして十八歳で国際大会にプロとして鮮烈なデビューをした。
今回は世界中を飛び回る合間をぬって母校の星ノ宮大学のイベントに特別ゲストとして登壇することになったのだ。
しかも、無料である。
彼女のファンが押し掛けるのも頷ける。
会場は早くも満員御礼で立ち見客も出てきた。
皆、舞台が上がるのを今か今かと待ちわびている。
観客席のもっとも舞台から遠い音響室に最も近い廊下に目立つ三人組がいた。
一人は筋骨隆々の大男でスーツこそ着ているがネクタイを外し、シャツの第二ボタンまで外して厚い胸板を出している。
購買で買ったさきイカを口の中でもごもごさせている。
喫煙できない場所のため煙草の代わりだ。
だが、顔は意外にも不思議と威圧感がない。
二人目は黒のスリーピースをきっちり着こなしている男性だ。
大男が二メートル越えなのに対してやや見劣りがするがそれでも百八十センチはある。
スーツと同じように顔立ちも四十とは思えないほど若々しく凛々しい。
本当は四十なのだが三十代前半と嘘を言っても信じるだろう。
彼は素直に舞台が上がるのを待っている。
最後の一人は、スーツがいささかぎこちない。
二人の間、ちょうど百九十センチだが顔は大男に似ている。
ただ、目じりが下がっているので『お人好し』の印象は拭えない。
「だからさぁ、早く家を出ようって言ったのに……親父」
三人目が一人目を睨むように見る。
「いいじゃねぇか? どうせ、俺が席に座っても窮屈なんだから、立ち見でよかったじゃねぇか、石動君」
黙っていた『石動』と呼ばれた男は溜息を吐いた。
「駐車場だってめっちゃ混んでいただろ? それに変なにおいもする」
三人目、平野平正行に一人目の大男、平野平秋水が口にさきイカを投げ入れる。
思わず、正行はもごもごとさきイカを食べる。
「黙っていろ。それに香水を変なにおいとかいうな」
父である秋水もさきイカを口に入れて隣の石動肇にも無言で勧めるが彼は無言で否定した。
この三人。
普通ならばかなり目立つ存在だが、実のところ、あまり目立っていない。
彼らは上手に周りの風景や空気に溶け込める術を持っている。
せいぜい、彼らを通り過ぎる子供が秋水の身長に驚いて見上げる程度だ。
「そういえば、正行。加藤玲菜とどんな関係なんだ?」
石動の問いに正行は首を傾げた。
「外じゃあ当日券やダブ屋が出るまでの大騒ぎだ。なのに、お前は人数分の入場券を持っていた……普段、オペラなんて聞かないお前がどうして……」
正行はさきイカと唾液を飲み込んで言った。
「彼女と俺、前から文通していましてね……『ぜひ』って……」
「は? 文通ってのはあれか? 便箋と封筒を使うあれか?」
流石の秋水も驚いた。
「それ以外になるがあるんだよ? じいちゃんが死ぬ前に『俺たちの仕事はどこから情報が洩れるか分からない。ツイッターやラインなんて盗まれたら一貫の終わりだ。だから、大切な人とは文通でお付き合いしなさい』」
「……」
あまりのことに秋水と石動は驚いた。
「さすがに大学に入ったら、色々面倒になってSNS始めたけど……」
「で、彼女……加藤玲菜とはどこで知り合った?」
秋水の言葉に正行は一瞬腕にはめた時計を見た。
「ちょっと長い話になるけど暇つぶしにはいいかな?」
正行はそういうと、語りだした。
文通で知りえた加藤玲菜と今は亡き祖父の平野平春平の思い出話の視線とも交えながら……
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