第15話 神事『岩戸献』 三十分前 其の二
「あれが……入り口ですよね?」
石畳の道が終わると、ゴツゴツとした岩盤が所々顔を見せている粘土質の道へと繋がる。
岩盤層に粘土質の土が絶えず流れ込み、岩盤層を覆い隠そうとしているのだろうか。
いや、そうではなさそうだった。
その道はさほど長くはなく、岩場で行き止まりとなっているも、その岩場は山というべきか大地の一部と化していた。ぽっかりと口を開けている洞窟だけがかろうじて。そこが岩盤層である事を明示していた。
その外観は確かに聖地たり得るだけの神秘さがある。
神社を建ててまで敬うだけの存在感が確かにある。
「来たようですね」
その洞窟の前には、拝殿に集っていた面々が待っていて、私達が来たのを見て、安堵の表情を浮かべた。
「それでは、洞窟内の検証をお願いします」
巫女装束に身を包んだ神楽翡翠がそう言うと、皆を導くように洞窟の中へと入っていった。
私と流香がまだ洞窟の前に辿り着いてもいないのに、である。
「急ぎましょう」
何故か、洞窟のすぐ横に巨大な丸岩があり、さらに誰も乗っていないブルドーザーが停車していた。このブルドーザーは何をするためにここにあるのだろうか。
そんな疑問を抱くもようやく洞窟の前に辿り着いて、置かれている丸岩の高さが洞窟の出入り口の高さと等しい事が分かってようやく合点した。
この丸岩で洞窟の出入り口を塞ぐのではないか、と。
その丸岩を動かすのが停車しているブルドーザーではないか、と。
興味を覚えながら、丸岩を横目に洞窟に一歩踏み入れた時、温泉の匂いを嗅覚が感じ取った。その温泉の香りから察するに、どうやら地下河川と温泉とが混ざりあったのが、洞窟の先にある地底湖ではなかろうか。
「意外と暗いですね」
洞窟の中は真っ暗ではないものの、光が射し込まないためか、当然のように闇が深い。
地面に置かれた電池式のランタンが等間隔で置かれており、洞窟内がほのかに明るく照らし出されていた。その光で鍾乳洞ではなく、岩場の岩が削り取られた洞窟だというのが理解できた。
足下と周囲とがランタンでかろうじて照らし出しているので、歩けないほどではない。しかし、岩盤層であるからか、突起のような岩が所々突き出しており、気を付けなければ転倒してしそうになる。
私は足下を見ながらおっかなびっくり歩いて奥へと進んでいるが、流香は平時と代わらぬ足取りのように前だけを見て、すいすい進んで行く。流香はこのように足場が悪い場所に慣れているかのようで、まるで修験僧のようだ。
しかも、進むほどに温泉の匂いが濃くなっていく。
流香を見ると、眉間に皺を寄せて不愉快そうな表情をしていた。
「流香さん、どうかしましたか?」
「あなたは、おかしくは思わないのですか?」
流香は私の事を見ずに、そう返してきた。
「おかしいとは……何を、です?」
「……いえ、何でもありません」
流香は何を奇怪に感じているのだろうか。
この洞窟内の神秘さに怪訝を抱いてでもいるのだろうか。
「ふぅ……」
どれほどの時間が経ったのだろうか。
しばらく進むと、先に入った人々の姿がようやく見えた。
伊岐伸介やら秋津島庵やら村田左京やら全員がいるも、皆、生真面目な顔をして口を閉ざして、周囲を観察するように見やっていた。
どうしてここで立ち止まっているのか。
「……これが地底湖?」
人々が立ち止まっているところに辿り着くと、ランタンの光に照らし出された地底湖が視界にパッと広がった。
地底湖と言っても、広さはさほどではなかった。農業用水の人工池程度の広さしかないように見える。
深さは水が濁っているのと、ランタンの光がさほど強くない事もあいまって判然としない。底が見えない以上、それなりの深さがあるのかもしれない。対岸がどこにあるのかは、ランタンの光では照らすことができず、闇が広がるばかりで見る事ができない。もし対岸があったとしても、十メートル以上であろう。
「冷たい」
地底湖の傍まで行き、水温を確かめるように手を伸ばして、人差し指を湖の中につけると、底冷えするかのような冷気が指から全身へと伝わってきたものだから私は思わず手を引っ込めた。
この水温では、泳いだりする事は不可能ではなかろうか。人が長時間活動できるような水温ではない。そうなると、この洞窟を泳いで出る事は不可能だと推測される。
「洞窟はここまでしか進めません」
声音の主は神楽翡翠なのだろう。
私は声がした方を見ると、神楽翡翠が立っていた。その足下には、ビニールがかかった荷物があるのが見えた。
二リットルのペットボトルの水らしきものが数本、それと、有名メーカーの携帯食、それと、寝袋らしきものがあるのがランタンのライトで照らし出されていた。どうやらこの洞窟に二日間こもるための食料などのようだ。
「神楽さん、足下の荷物は食料などなんですか?」
「二日間断食をする訳ではありませんから水や食料なども用意しています」
「寝袋のようなものがありますが、神事の途中で寝たりするのですか?」
「はい。神事の合間に休憩を取ることも予定の内に入っていますので当然眠ります。他にも、スマートフォン、モバイルバッテリー、もしもの時のための救命道具なども用意してあります」
「準備は万全という事ですね」
「当然です。助けが誰も来ない空間に二日間こもるのですから、何かがあった時の準備はしています」
「そこまで準備しなければならない神事なのですね」
私は納得して、神楽から視線を外して、再び地底湖を見やった。
「……この感覚は……何?」
神楽翡翠達がいる場所に辿り着いた時、私は何かに圧迫されているような気分になってきた。
息苦しくなってくる。
何かに空間を圧迫されていて、自分の身体がその圧迫感で浸食されてきているような気さえしてくる。
じわりじわりと私が犯されていく。
何に……?
何に、私は浸食されている?
さらに息苦しくなってくる。
何故だ?
何故、ここまで浸食されている?
私は何かに蝕まれていようとしているのだろうか?
この感覚は何だろうか?
洞窟と言うこともあり、空気が薄いからか?
いや、違う。
ここが聖地だからか。
ここが祭神とさえなっているからなのか。
人を圧迫する何か『神聖』な何かがあるとでもいうのだろうか。
「顔が青ざめてきています。大丈夫ですか? 息も荒くなっていますし」
私の変化に気づいてか、流香が心配そうに声をかけてくる。
「……いや、大丈夫です」
ここは聖地たり得るのだろう。
私のような一般人が入り込んではいけない場所なのだろうか。
もしかしたら、この洞窟に漂う神気にやられて、こうも簡単に精神が切り刻まれてしまっているのかもしれない。
「洞窟の出入り口を塞げば、確かに密室になりますぜ。どこかに秘密の出入り口があったりしない限りは。神事の時以外は解放さらないらしいんで、秘密の出入り口を見つけるのは至難の業ですぜ」
そういったのは、村田左京だろう。
「この洞窟は神事の時以外は封鎖されているのですか?」
「はい。神聖な場所ですので、普段は出入り口にあった丸岩ではなく、壁を作り動物さえ出入りできなようにしています。その証拠にこういった洞窟に生息していそうなコウモリなどはいません」
「……確かにコウモリはいないですね」
洞窟と言えば、コウモリだ。
どこかに隙間があれば、そこからコウモリが入って生息する。つまり、普段は、コウモリさえ入る事ができない密閉空間になってしまっているということなのか。
「僕が思うに、抜け道を作らない事はないと思うんです。しかし、これでは探しようがない」
今のは秋津島庵だろう。どうやら、ここの洞窟そのものに何か仕掛けがあると思っている口ぶりだ。
「そのようなものはありませんし、作る必要もありません。神隠しには、手品のようなトリックは存在していません」
と、翡翠が反論をすると、
「百パーセントの確率で神隠しが起こるというのは眉唾物ですね。何かしらのトリックがあるからこそ、百パーセントたり得るのではないかと」
秋津島庵はこの神事の謎を解き明かして仕方がないようだ。
「本家。そのような事は神事が終わった後でもよろしいのではありませんか? 神事の直前に発言すべき事だとは、わたしは思いませんけどね」
女の棘のある言い方だった。
「佳枝母さん、ですが……」
秋津島庵の所在なさげな声が洞窟に響いた。本家といえども、どうやら母親には逆らえないようだ。
「だまらっしゃい」
佳枝がピシャリと言ったからなのか、庵は口を噤んだようだった。
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