第16話 神事『岩戸献』 三十分前 其の三

「神事が始まる午後五時まで後数分あります。もし、この神事に疑念があるのであれば、その数分のうちに調べてもらっても結構です。私は手品のような小細工をこの洞窟にはしてはいません」


 神楽が身の潔白ならぬ、トリックの精査を求めると、


「照明が足りませんよ。暗すぎて抜け道を探す事さえできそうもないですよ」


 庵が不服そうにそうぼやくのが聞こえた。


「照明があったとしても、トリックなどないのですから見つけようがありません」


「あるはずなんですよ、絶対に」


「何故、そう言い切れるのでしょうか?」


 当然の疑問を神楽が口にした。


「僕が本家だからですよ」


 それが証拠だと言いたげな物言いに、私は呆れたのだけど、神楽は違ったようだ。


「本家ならば、口伝でそのような事を教えられていても不思議ではありません。しかし、私の知る限りでは、そのようなものはありません」


「合点がいきましたよ。神楽家には知らされていない、本家にのみの伝承があったかもしれないのですね」


 庵は満足そうに頷いた。


「……おそらくは」


「ふふっ、ならば、探しても無駄かも知れませんし、探さない方がいいかもしれませんね」


 庵は満足したようで抜け道とやらを探そうともしなかった。

 もちろん私も調べる気などさらさらなかった。

 私としては、一秒でも早くこの洞窟から出たい欲求に駆られていた。

 この洞窟にいると、周囲の空気密度が増して、自分が圧迫されているような感覚が続くのだ。洞窟の空間が狭まっているようで、閉塞感に似た焦燥まで生まれてくる。ここはやはり聖地なのだ。私のような小市民が来てはいけない場所でもあるのだ。

 一刻も早く出よう。

 誰よりも早く出よう。

 この神聖な洞窟から。


「そろそろ時間です。神事を始めましょう。全員、出入り口まで戻ってください」


 神楽翡翠が先導するように洞窟の出入り口の方へと歩み始めた。ランタンの光を頼りに進んでいるのではなく、歩き慣れた様子で流れるような足の動きであった。

 私はそのような所作は真似できないので、足下に細心の注意を払いながら、おっかなびっくり歩くしかなかった。

 出入り口に向かうほどに空気の密度が薄まってくからなのか、息苦しさを伴うようなプレッシャーがなくなってきた。身体が自由を謳歌していくような解放もあって、この洞窟が神域なのだと思い知る事となった。


「洞窟内に残っている人は当然いませんよね?」


 入ってきた時とは違い、歩き慣れたからなのか、さほど苦労はせずに出入り口まで戻れたのだが、私が洞窟を出た最後の一人であったようで、神楽翡翠が私に確認するように言った。


「ええ、おそらくは」


 私は洞窟の方を振り返って答える。


「いないようですね」


 ランタンの光で照らされている洞内には、人の姿はないし、動いている影もない。


「ふぅ……」


 私は洞窟から目を反らした後、空を仰ぎ見て深呼吸をした。肺の空気を入れ替えることで気分転換を図ろうとしたのだ。


「……はぁ」


 空気が入れ替わったからなのか、肩の荷が下りたかのような安堵感が全身に広がった。


「それでは、これより神事『岩戸献』を執り行います。とはいえ、私一人がこの洞窟にこもるだけの至極地味な神事ではありますが」


 神楽翡翠が私の横を通り過ぎて、洞窟の中へと向かって行き、私達に背中を見せてそう言葉を紡ぐ。恐れだとかそういった感情が一切存在しない、余裕を含んだ声音だった。


「私の姿が見えなくなったら、この入り口を岩でふさいでください。その後、皆で人が出入りできるような隙間があるかどうか確認してください。空気の通り道は必要ですが、人が通れるほどの隙間があればその辺りにある岩などでふさいでください。そうして、私が簡単に出入りできないようにしておいてください」


 誰も何も発言をしなかった。

 それを合図と受け取ったのか、


「もう出入り口を塞いでも大丈夫です。始めてください」


 かろうじて姿が見える位置が分かっているのか、神楽翡翠が洞窟内で立ち止まって身体を私達へと向けた。覚悟を決めているからなのか、優美な笑みさえ浮かべている。これから神事に臨むのだというのに余裕が感じられる。


「そんじゃやるとするかのう」


 伊予定之が颯爽とブルドーザーに乗り込み、


「危ないからのう。全員下がってろ。ひき殺されたい奴はそのままでもいいがな」


 手慣れた手つきでブルドーザーのエンジンをかけた。


「重機などが存在していない昔は、神事の時だけは人力で岩を動かし、出入り口をふさいだのかもしれません」


 流香が冷静に観察をした後、ブルドーザーと出入り口から距離を結構取った。

 私も流香に倣って距離を取りながらも、地面へと目をやる。元々この丸岩が洞窟を塞いでいたのか、地面には何か重い物を引きずったかのような跡があり、地表に出ていた岩などが砕けたり、削れていたりした。


「さて、やるかのう」


 全員が十分な距離を取ったのを見計らって、伊予定之はブルドーザーを稼働させた。

 ブルドーザーの排土板を丸岩の地面と接している箇所にぐっと当てるなり、ゆっくりとブルドーザーを前へと進ませる。何かコツでもあるのか、これまで何度も練習をしてきたからなのか、結構な重さがありそうな丸岩がゆっくりと洞窟の出入り口の方へと押される形で移動を開始した。移動とは言っても、無理矢理に動かされているようなものだった。転がるワケでもないが。


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