第13話 神事『岩戸献』の二時間前 其の二




 露天風呂を十分に堪能した私は脱衣所を後にして短い廊下へ出たのだけど、


「……はて?」


 玄関に一人の巫女が立っていて面食らってしまい、歩を進める事ができなくなった。

 巫女装束の白さにまずは目を奪われ、続いて、袴の赤さに圧倒された。

 宿に巫女などいるはずはない。

 私は異世界か何かに迷い込んでしまったのだろうか。


「立花志郎さんは温泉に入るほどの余裕があるのですね」


 私の存在に気づいた、その巫女が優美な仕草で私に顔を向ける。


「稲荷原……流香さん」


 左目を相変わらず眼帯で隠しているので彼女だと気づかされた。巫女装束の白さと負けず劣らずの白い肌が目にとまる。何故彼女が巫女装束などを身にまとっているのだろうか。


「こう見えても、東京の北区にある賀茂美稲荷神社で巫女をしていますので」


 私の心を見透かしたかのように流香が言う。


「巫女……ですか」


 ただのアルバイトなのだろうか。そうだとは思えないだけに多少の好奇心が芽生えた。


「行く行くは宮司を務めるとは思いますが、私はまだまだ若輩者ですので」


 随分と謙虚な態度な物言いであった。神道が深いが故にそういった態度なのだろうか。それとももっと別の理由でもあるのだろうか。それとも、村田左京が言っていた『退魔師が流香の』という事と何かしらの関係があるのだろうか。そもそも退魔師とはどのような生業なのだろうか。


「宮司を目指しているのですか?」


「いえ、宮司はあくまでも通過点だと思ってはいます。その先にあるものを私は目指してはいます」


「先とは?」


「人と怪異の狭間で生きて行ければとは思っています」


「は?」


 流香が真顔で意味不明な事を述べたものだから、私は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、素っ頓狂な声を上げてしまった。


「左目に居座っている亡くなった姉は怪異に近いですし、そういった者達の橋渡し役になれれば、とは思っています」


 絵空事を述べている様子は微塵もなかった。

 流香には妄言癖でもあるのかと疑わざるを得なかった。しかしながら、削り取られたとと言っていた左目があった場所には深遠な闇が存在していた。魂の揺らめきとでも表現すべきような『ゆらぎ』が確かにそこにはあった。あれが魂だと証明されるのであれば、幽霊、強いていえば怪異の存在なども夢幻夢想家の戯言などとは思われないのではなかろうか。


「小学生の頃でした」


 流香の右目がふと遠くを見るかのように虚ろになった。


「姉のようになりたいと背伸びしていた私は退魔師の真似事の末、左目を怪異にえぐり取られただけではなく、退魔業もろくに達成できずに自分の未熟さを痛感する結果に終わってしまいました」


「小学生の頃に左目を失ったのですか……」


 その時、どんな思いを抱いたというのだろうか、流香は。身体の一部を失うという経験をした事のない私には想像のできない心境なのだろうか。


「その事件の後、私は悟りました。私に足りないものは怪異だと」


「何故、そのような結論に?」


 どういう思考回路をしていれば、そのような結論に至るのだろうか。やはり、その事件のせいで頭のネジでも外れてしまったのだろうか。


「姉の瑠羽は狐憑きでした。それが私と姉との差です」


 それは、理論としては破綻しているような結論ではないのか。言葉では十分には説明できないが、確実に理論的に齟齬が生じているように思えてならない。


「そして、今となってはその差はありません。今の私は姉憑きですから……」


 今のは冗談ですとも言いたげに、流香はえくぼを作った。


「そろそろ迎えが来ます。そのような服装で立ち会うのですか?」


 急に話題を変えられて、私は戸惑いを隠しきれなかったものの、荷物などを部屋に置いたままだったのを思い出して、早足で取りに行き、スーツに即座に着替え、迎えに来た伊岐伸介の車に乗って流香と共に向坂神社へと向かった。


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