第11話 立花志郎は一騒動とたゆたう
「……?」
場が落ち着いてくるにつれ、私の心も落ち着いてきて冷静になりつつあった。
そんな心情になれたからか、拝殿の中を見回した。
拝殿の前に来た時にはもっと人がいたような感触があったのだが、改めて見回してみると、拝殿の中にいるのは、神楽翡翠、稲荷原流香、秋津島あやの、秋津島佳枝、伊岐伸介、伊岐伸介の妻と子供らしき女性、伊予定之しかいなかった。
この拝殿に人がひしめき合っているのを見て、私は二十人はいるかもしれないと思ったはずなのに、だ。ただ単に気圧された私が錯覚しただけだったのだろうか。それとも、人ではない何かが複数人いるのを私が偶然にも感じ取ってしまったからなのだろうか。
「
おさらいするかのように神楽翡翠がさらりと述べた。
「彼の場所とは?」
私は単語の意味が分からず、無意識のうちにそう問いかけていた。
「立花志郎さん、あなたは岩戸献という儀式の内容をどこまで存じているのですか?」
神楽が私に顔を向けずにそう問いかけてきた。
神楽、それと、流香以外の人々が私に鋭い視線を送ってきた。
「選ばれた巫女が向坂村にある向坂神社の先にある洞窟に籠もる神事だという事。それと、出入り口をふさいで誰も出入りできないようにして二日間巫女が祈祷する。そして、その祈祷が終わった頃合いにその巫女が必ず神隠しにあう……そんな内容だと聞いています」
そんな説明を叔父から受けており、私はその内容を脳内で整理した後に反芻するよう尻込みをせずに言った。
「ならば話が早いですね。選ばれた巫女……すなわち私が籠もるのが『彼の場所』です」
「向坂神社の先にある……本殿の先にあるのが、彼の場所というワケなのですね」
「はい。その先に洞窟を含めた場所が彼の場所です。午後五時にそこに集まり、その洞窟の出入り口を塞げば、誰も出入りできない事を確認してもらう事になります」
「推理物であれば『密室状態』になるかどうかを確かめる……そんなところですか?」
密室というべきか、誰も出入りできない状況を作り出し、そこから抜け出す事も、入る事もできないのをここにいる私達に確認してもらうといったところなのだろう。その密室状態から忽然と巫女、すなわち神楽翡翠が消失するまでが岩戸献という神事であるというのならば、密室状態の確認は必須となる。
「神事はミステリーものではありませんのでその表現はいかがなものかと思いますが、その通りでもありますね」
密閉状態の場所に籠もり、神隠しに遭うことも受け入れているのか、神楽は私の選んだ単語が不服だったのか、声音に怒気が若干含まれていた。
「すいません。他に言葉が思い浮かばなくて」
日本人が好きだという『シュレーディンガーの猫』が一瞬だけ脳裏に浮かんだが、それでは二日後に巫女がいる可能性も捨てきれない事となり、口には出さなかった。
「今回は本当に消えるのでしょうかね。僕は消えないと思っているんですよ」
拝殿の向こう側から澄んでいるも、どこか悪意のある声が飛んできた。
拝殿の中にいた多くの人達がその声で賽銭箱の方へと身体を乗り出すように向けた。
「……本家……」
伊予定之が厳かにそう呟いたのを聞き逃しはしなかった。
「本家がそんな事を言うかね?」
伊岐伸介が抗議の意を示すように言う。
「……本家。そんな事を言葉にするものじゃ……」
おずおずと秋津島佳枝が身体を縮こませながら言う。
「断言します。私は消えます。消えるのがこの神事である以上、必ず消えます」
神楽翡翠はキリッとした表情で、拝殿の中に入ろうとはしていない秋津島庵を睨め付けた。
「つまりトリックがあると?」
秋津島庵はニヤリと不敵に口角を上げて微笑んだ。まるでその言葉を待っていたとばかりに。
「トリックなどではありません。神の思し召しです」
神楽翡翠が動揺など全くしてはいない様子で言う。
「神の思し召し? まるでキリスト教のような言い回しですね」
秋津島庵が我が意を得たりとさらに微笑む。
「神にキリスト教も神道も関係はありません。神の思し召しという言い回しは、神の存在を肯定する宗教においては普遍的な使われ方ではないでしょうか」
「神が存在するのならば、ですね。幸か不幸か、僕はね、この向坂神社に祀られている神様を信じていないのですよ。だから、ここの神様の思し召しなどを信じてはいないのですよ」
「ならば、この神事の後でこの神社の祭神を信じてください。私は必ず消えます」
自分が神隠しに遭うという事を確信しているかのように神楽翡翠が言う。
私は若干の違和感を覚えた。
何故神隠しが起こる事を信じているのか。何故、神隠しに遭うことを恐怖していないのかを。
「ならば、僕が神を信じさせるような奇跡を起こしてください」
「奇跡ではありません。神隠しです」
「神隠しでも、奇跡でも、僕としてはどっちでもいいんですよ。僕が信じてしまうような事実を期待しているんですからね」
神楽と庵の問答に、私は何かひっかかるものを全身で感じ取っていた。
その引っかかりが何で有るのか。
私には分かりかねて考えを整理しようと思い始めた矢先、
「本家、口を慎みなさい!」
佳枝の全てをねじ伏せるかのような一言で、何か言おうと口を開きかけていた神楽と庵とが渋々といった面持ちで口を閉じた。
「凶事が起こったため、この神事が行われる事になったのだから本家は言葉を慎みなさい。凶事を凶事のまま放置するのは向坂にとっては最善とは言えないのよ」
「凶事? 向坂にとって? ははっ、いずれダムの底に沈む村だというのに、まだそんな事を戯れ言を口にしているのですか?」
小馬鹿にするような口調で庵はそう反論をしてみせた。
「本家。言って良いことと悪いことがあるのは分かって?」
目元をキリッと引き締めて、佳枝がそう問うた。
「お二方、口を慎んでください。ここは神前です」
佳枝と庵のやり合いが目に余ったのか、憤りを表情に出しながらも静かながらも深い声でいさめた。
「午後五時から岩戸献を始めます。トリックだと断じるのならば、必ず来てください。そして、そのトリックとやらを曝いてください」
神楽はそう言って立ち上がるも、庵をじっと睨め付け、
「曝けるのであれば」
そうする事が不可能だと主張したげな余裕のある笑みを浮かべながら、庵達に背中を向けた。
「私は準備がありますので失礼します」
そう言い、優美な足取りで本殿の方へと向かっていった。
「僕は曝く自信がありますけどね」
受けて立つと言いたげに庵はほくそ笑むなり、私達に背中を向けて、拝殿には入ろうともせずにそのままどこかへと行ってしまった。
「見ものだなぁ」
伊岐伸介が顎に手を当てて、事の成り行きを楽しんでいたかのようににやついていた。
「庵が勝つか、神が勝つかってところなのかのう?」
伊予定之も、伊岐伸介同様、成り行きを楽しむようであった。
「本家も困ったものね」
佳枝が抑えきれない憤慨を目に宿して、そう吐き捨てるように言った。
「佳枝母さん、本家にも考えあっての事じゃないかしら」
あやのがたしなめるように言うも、佳枝が返事の代わりとばかりにギロリを睨み付けてきたので、口を閉ざして俯いてしまった。
「どうでもいいわよ、神事なんて」
そうのたまったのは、伊岐伸介の娘らしき少女だった。付き合うのが馬鹿らしいのか、正座を解いて衆目など気にせずに大きく足を開いて床に横になった。
「
母親らしき女性がぴしゃりと明栖奈と呼んだ少女の太ももを平手で叩いた。
「
明栖奈が抗議の意を示すと、香と呼ばれた女性がまたピシャリと太ももを平手で叩いた。
「痛いって言っているじゃないの」
また叩かれるのが嫌なようで、明栖奈は起き上がって再び正座をした。
「……あっ」
明栖奈と呼ばれた少女が私の視線に気づいてか、私の方に気だるそうに顔を向けた。
私は軽く会釈をすると、
「……ぁよゃおぁお……」
と、耳元で男がでそう囁かれたような気がした。
明栖奈から視線を逸らすのは失礼だとは感じながらも、目だけで声がした方を確認するも、流香がいるだけで他には誰もいない。何か囁かれたと感じたのは、この雰囲気から来る気のせいだったのだろうか。
再び明栖奈に視線を戻ると、彼女はパッと顔を輝かせた。
「……あたしを知らない男だ。好みかも。子宮が締め付けてくる……」
そんな事を呟いたのが聞こえたが、
「神事の前の顔合わせは終わりのようですね」
私は隣にいて、静観を決め込んでいた流香がそう口にした。
「……そのようですね。ですが、流香さんは、何か気になる事でもあるのですか?」
と、視線を流香に合わせてそう返した。
流香ならば、何か口出ししそうだったのだけれども、そうしないのには理由があったのではなかろうか。
「……特には」
何か分かってはいるものの、それを今は口にする必要がないといった配慮でもあるのだろうか。そんな雰囲気を流香はまとっていた。
「神事が始まるまでに支度をしなければ」
流香がすっと立ち上がる。
「ならば、私も」
流香に倣うように私も立ち上がる。
「ああ、二人とも。車で宿まで送る」
私達が立ち上がったのを見て、伊岐伸介も立ち上がると、軽快な足取りで先導するかのように拝殿を出て行く。
私も流香も、そんな伊岐伸介を追うようにして拝殿を後にした。
その日の午後五時から『岩戸献』という名の神事が執り行われた。
神楽翡翠が本殿のさらに奥にあった岩場にぽっかりと開いたような洞窟の中に閉じ込められるために入った。
入ったのを見届けてから洞窟の入り口を大きな岩で塞いだのである。
そして、その次の日の午前八時。
向坂神社の本殿に、首、手、足を切り取られて胴体だけになっている女性の全裸死体が置かれているのが発見されたのであった……。
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