第10話 立花志郎は顔合わせとたゆたう


 向坂神社は、当然の事ながら拝殿と本殿に分かれていた。

 拝殿の前には古い造りの賽銭箱が置かれている。その賽銭箱の背後には五段の階段があり、その階段を登ると拝殿へと上がれる。拝殿と本殿とは襖によって隔てられており、その襖を開けなければ本殿の内部を見ることはできない。

 拝殿の広さはそれなりにあるのだけど、そこに十名、いや、二十人ほどの人々がひしめき合っているせいか、その広さを知る事ができないでいた。

 本殿への襖の前には、さきほどまで車で一緒していた神楽翡翠が立ち塞がるように正座をし、その翡翠を囲むようにして人々が正座をしていた。その中には、車の運転をしていた伊岐伸介もおり、今回の神事に関わっている人達なのだと知れた。


「立会人の稲荷原流香さんと、立花志郎さんです」


 翡翠が私達が来たのを察して、そう紹介をした。

 その言葉に反応するかのように、拝殿で正座していた人々が一斉に賽銭箱の前まで来た私達の方へと振り返るも、人々の表情は一様に無表情であった。


「稲荷原流香です」


 無機質な視線に射すくめられたように私は立ち止まったのだけど、稲荷原流香は意にも介していない様子で、賽銭箱の横を通り、履き物を脱いで階段を上がる。

 拝殿にいた人達の探るような視線などどこ吹く風といった様子で人の間をすいすいと流れるような足取りで神楽翡翠の前まで行くと、そうする事が決定していたかのように彼女と並ぶように正座をした。

 自然と拝殿にいた人々の視線が流香に集中した。

 流香は拝殿にいる人々ではなく、私に視線を投げかけ、


「来ないのですか、立花志郎さん」


 動けないでいる私に来るように流香が促してくると、拝殿にいる人々の視線がさも当然であるかのように私へと向けられる。


「は、はい……」


 得体の知れない視線で胃が縮こまりそうになるのを堪えつつ、私は気を取り直す意味で、深呼吸をしてから前へと一歩踏み出した。

 足取りがいつになく重い。

 神事を立ち会って欲しいとは頼まれたものの、こういう場に参加する事までは想定してはいなかったのだ。

 流香と同じように賽銭箱を横切り、階段の前まで行く。そこで靴を脱いで階段に上がると、場の空気の重苦しさで頭がくらくらとしてきた。

 何故私は十万円程度で神事に立ち会わなくてはならなくなったのだろうか。お金に目がくらんで飛びついてしまったのが運の尽きだったのかもしれない。皆の刺さるような視線では針のむしろのようなもので、流香と翡翠の傍までが凄く遠くに感じてしまう。


「ふぅっ……」


 人と人との合間を縫って、ようやく流香の前まで来た時には疲労困憊していた。

 深呼吸を一度してから流香と並ぶようにして正座をし、


「立会人として呼ばれた立花志郎です。よろしくお願いします」


 私は深々と頭を下げた。


「村田左京さんは神事の直前に来るとの話です。椎原慎太郎さんは辞退……」


 司会を買って出たかのように喋り始めた神楽翡翠が言葉をそこで区切り、とある方に顔を向けた。

 その先にいたのは、おそらくは五十代であろう、きりっと引き締まった眉根の淡泊な顔立ちの女性であった。


「本家が呼んでいた名波静ななみ しずかという女性も立会をする予定だったらしいのよね。けれども、今さっき怒って帰ってしまったので参加しないそうよ。本家の独断専行には困ったものよね。あたし達も振り回されてて困っているのよ」


 まるで他人事であるかのようにそう説明をした。

 私が駅前で見かけた女性は名波静という女性だったようだ。立会人として呼ばれていたのだけど、直前になってもめ事でも起こったのか辞退という事になったらしい。それで揉めていたのならば、駅前でのあのやり取りも合点がいく。


佳枝よしえ母さん、本家の事をそこまで言わなくても……」


 五十代のような女性の隣で正座している、背中をスッと伸ばしているおそらくは二十代に見える端正な顔立ちの女性がたしなめるように言う。


「あやの。でも、事実じゃないの。本家は戻ってきてから好き勝手ばかりしているのよ、あやのも分かっているでしょう?」


「でも、それは秋津島家、いえ、本家であるからであって……」


 あやのと呼ばれた女性は、そこまで言ったところで、母らしき佳枝からキッと睨まれて顔を伏せて口を噤んだ。

 五十代の女性が『秋津島佳枝あきつしま よしえ』で、二十代に見える女性が『秋津島あやの《あきつしま あやの》』なのだろうか。確か、亡くなった秋津島源蔵の妻が秋津島佳枝だと叔父から教えられた記憶がある。そうなると、二人の子が秋津島あやのと秋津島庵という事でいいのだろうか。


「伊岐伸介が声をかけた椎原慎太郎は尻尾を巻いて逃げたと聞いておる。稲荷原流香が怖いとかそんな戯言をほざいていたらしいのう」


 そう切り出したのは、伊岐伸介にどことなく似てはいるものの、腹がだらしなく垂れているのが衣服を着ていても一目瞭然な男であった。

 その男は、チッと舌打ちをして、


「金だけには目がない、使えない男だったな」


 男はニタニタと下品に笑った。


「伊予定之。あんたが呼んだ立花道三は代理人を立てて来てねぇじゃねえか。お前が俗物すぎるから辟易していたんじゃねぇかぁ?」


 あからさまな嘲笑を浮かべて、近くに座っていた伊岐伸介が煽った。

 そんな伸介の横に座っていた、やつれたような表情をした妻らしき四十代と思しき女が光のない目で空に泳がせ始めたと思ったら、ニタッと不気味に微笑んだ。

 さらにその横に正座していたセーラー服を着た少女がその女の笑い方と瓜二つな笑みを浮かべた。


「あんたが……」


 伊予定之が反論しようと口を開いたところを、


「神前です。ご静粛に」


 神楽翡翠が静かな声音を投げかけると、伊予定之は面白くなさそうな顔をして出そうとしていた言葉を飲み込み閉口した。


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