第9話 立花志郎は向坂神社の由来とたゆたう



『正確な年月は不明だが、蛭子神が乗っていたであろう小舟が、洪水や大雨があった訳ではないのにこの場所に流れ着いてきた事から、その小舟をご神体として祀る事がなったのが、向坂神社の起源とされている。祭神は当然その小舟に乗ってきたであろう蛭子神である。

 千五百七十八年(天正六年)に秋津島某が向坂村が戦火に巻き込まれないようにと祈願するために、私財をなげうって神社を建立したのが、向坂神社の起源とされている。以前は『ヒルコ様』と呼ばれるだけの社であった。祭神の名をそのまま呼ぶのは失礼ではないかと秋津島某が言いだした事もあり、村の名前をとって『向坂神社』と名付けたという。

 現在の向坂神社は、千九百二十七年(昭和二年)に秋津島五丈が火事により焼失したのを再建したものである』



 丁寧にも、朱色の社をくぐった先に向坂神社の由来が記された看板があった。

 私はさっと流し読みをして、


「ご神体が小舟? しかも、ここに流れ着いた?」


 と、疑問を思わず口にしていた。

 洪水も大雨もなかったのに関わらず、小舟がこの地に流れてくるものなのだろうか。

 私はその疑問を払拭するように辺りを見回した。

 視界にあるのは、山ばかりで小舟を運んできそうな川などどこにもない。唯一この向坂村に入る時に渡った断魔川が私が知る唯一の川なのだが、断魔川が氾濫して小舟を運んだとは到底想像できない。断魔川は谷底を流れているかのような川で氾濫するとしたら、相当の大雨でなければならないのではないか。谷底にあるかのような、あの川が氾濫するような大雨が降ったとしたのならば、この村が沈んでいてもおかしくはない。ならば、何故小舟がこの場所へと流れ着いたのだろうか。

 私が思うに、何者かが闇夜に紛れて小舟をこの場所に置いたのではないだろうか。

 そうすることで古事記や日本書紀にあるような神話に似たような状況を構築して、神秘的な演出を作り出したのではなかろうか。誰がそのような行為を行ったのかは分からない。だが、そうすることで、何者かがそれなりの権力を手に入れたのではなかろうか。何者も何も、秋津島某が演出したのではなかろうか。だからこそ、本家などと呼ばれているのではなかろうか。


「空から降ってきたとも考えられませんか?」


 私は想像力を数瞬働かせた後、この伝承についての回答を流香に披露してみせた。正解しているとは思えないが、当たらずといえども遠からずではなかろうか。


「空?」


 流香は私が口した空へと目線を向かわせる。

 そこには当然青空がある。

 当然の事ながらそこに舟が降ってきそうな地形などはない。


「天空の城があると主張しているのではありません」


「それはアニメの見過ぎではなさそうですね。空から降ってくるとするのならば、台風かそのクラスの強風で舟が飛ばされてきたとも考えているのですか?」


 流香は私の言葉を冗談だと受け取ったようではあった。されど、それを否定する気にもなれずに受け流した。


「大雨などはなかったと記載してありますし、突風とかそういった類いの風ですか?」


「はい、そういった類いのもので舟がここに飛ばされてきたのではないかと想像しました」


「ふふっ」


 私の浅はかさを嘲笑するような音色だった。


「それはあり得ません」


 流香は空から私へと再び視線を移した。


「何故、そう言い切れるのです?」


「風で飛ばされてきたのであれば、舟は地面に強く打ち付けられたりして損傷していてもおかしくはありません。ですが、あの舟には破断したような形跡が一切ない、流れ着いたとしか思えない外見を保って、今も保管されているので、空から落下してきたという事はあり得ません」


「流れついたというその舟はまだあるのですか?」


 私はその事実を知って驚かされた。

 千五百七十八年よりも前、つまりは、今から四百年以上も前にどこからともなく現れた舟が現存しているというのか。それは本当にオリジナルなのだろうか。そうでない可能性が高いのではなかろうか。


「鑑定によれば室町時代中期の舟という事でしたので、おそらくは本物でしょう。そのため、ミステリーとも言えます」


 私の思考回路は流香には見透かされているようであった。


「……ミステリーですか」


 私は苦笑いしながら、頭を掻いた。


「ですが、解く必要のないミステリーとも言えます。解いたとしても、誰も得はしません。何故舟がそこに突如現れたのか、その神秘性のベールを剥がす必要性は皆無なのですから」


「それもそうですね。寓話は寓話であるべきですね」


「今のところは寓話のままでいいのでしょう」


「その寓話という名のミステリーを解かなければいけない時が来るとでも?」


 その時が迫っているとでも予言しているかのような物言いに引っかかるものを私は感じ取った。


「……さて」


 流香ははぐらかすように微笑み、身体の向きを私から社の方へと向ける。


「向かいましょうか。待ちくたびれている方々がいると思いますので」


 神楽翡翠と伊岐伸介は、私が看板を読んでいる間に、この先にある社の方に向かっているようで、視界からいなくなっていた。


「何があるのです?」


 私はここに来るように言われただけで子細は聞いてはいなかった。


「顔合わせです。元々、あなたは顔合わせには招かれてはいませんでしたので知らなくて当然です」


「私……いや、叔父は嫌われていたと?」


 私が招待されていなかった理由はそれとなく察する事ができた。叔父の行いのせいなのだろう、と。


「嫌われていたワケではありません」


「ならば、何故顔合わせに呼ばれていないのですか?」


「憎んでいるからです。この向坂村をダムに沈める事に加担した人間を憎悪して当然でしょう」


 私はその言葉で呆然と立ち尽くすしかなかった。

 叔父はお金のためにこの村をダムに沈める事に加担したという事実。その事実は向坂村の人々の周知の事実なのだろうか。


「神楽翡翠や伊岐伸介もそうでしたが、あなたを忌避している人は今のところいませんので安心してください。あなたが立花道三のような俗物であれば、話は別でしょうが」


 流香は立ち尽くしている私の事を顧みて、含み笑いをしてみせた。

 私が稲荷原流香という人物をまだ見極め切れていないので、冗談であるのか、忠告の類いであるのか判別しづらかった。


「実際のところ、叔父は何をしでかしたのですか?」


 と、私は訊ねると、


「向坂の地にダムの建設計画が持ち上がった際、有識者会議というものが開かれました。その時に発言した有識者の一人が立花道三だったとだけ言っておきます」


 それ以上は本人から直接訊いてくださいと言いたげに冷たい目を私ではない、何かに向けた後、正面へと顔を戻し、社へとすっと歩き出した。


「有識者としてこの地にダムを建設するのが正当だと主張したのですか?」


 流香は私の問いには答えてはくれなかった。

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