第8話 立花志郎は出迎えとたゆたう


 稲荷原流香を迎えに来た車を運転していたのは、伊岐伸介いき しんすけという今年で六十三歳になる男だった。恰幅が良い男ではあったが、儲け話などには抜け目がなさそうな俗物的な視線を私や流香に向けてきた事もあって、貪欲さが体躯に表れてしまったのではないかと思えてならなかった。

 そんな男と一緒にいる神楽翡翠なる少女は信頼してもいいものなのだろうか。今回の神事の主役と言われた少女に一抹の不安を感じた。


「俺が声をかけた立会人がドタキャンしたからな。今回はあんまりしがらみがないんだよ」


 私の考えが顔に出てしまったのか、私が車に乗り込んで席に座るなり、運転席にどっしりと腰を落として座っていた伊岐伸介が後ろを振り返らずに説明するように気の抜けたような声で言った。


「誰がキャンセルしたのです?」


 私と同じように後部座席に座った稲荷原流香が確認するように訊ねる。そんな流香は伊岐伸介ではなく、助手席に腰掛けている神楽翡翠を観察するように見つめていた。


「椎原慎太郎だよ。あんたとは会いたくないそうでな、『あんな女と会ったら寿命が縮んでしまう!』とか言っていたな、あのじいさん。とっととくたばればいいのに。あんた、嫌われているな。どうしたら、こんなねぇちゃんがこんなに嫌悪されるようになるんだろうな。あなたよぉ、性格が悪いのか? それとも……いいや、終わった事だ」


 最後の方は悪態に近い事を口走っていた。


「秋津島庵が女性と一緒にいるところを駅前で見かけました。あの方は?」


 伊岐伸介の言葉など全くもって耳に入っていないかのように流香は言葉を投げた。


「椎原慎太郎が避けた理由がよく分かるなぁ! 自分の都合しか考えない小娘か! あのじいさんがもっとも苦手にしているタイプだな!」


「女性?」


 伊岐伸介ではなく、神楽翡翠が反応を示して、助手席から身体を動かそうとするもシートベルトをもう締めてしまっていたせいか身体を乗り出すことができず、仕方なく顔だけを横に向けてきた。


「駅前にいたんですよ」


 私がそう横から言葉を向けると、神楽翡翠が眉間に皺を寄せて怪訝そうな顔をしてみせて、


「……旅行者の方です? 本家が招いていたという話でした」


 名前までは訊いていないのかそのように答えた。


「あぁ、本家が呼んだ立会人らしき若い女がいるって話だったしよぉ、そいつかもしれんなぁ」


 伊岐伸介が補足するように言う。流香に無視された事などけろりと忘れているかのようだ。


「向坂村を訪れた後、何かしらの事情で立会人を断ったというのでしょうか?」


 流香の問いに、


「分からねぇ。本家に訊いてくれ。俺は何も聞いちゃいねぇ」


 と、伊岐伸介が返しながら車を発進させた。


「本家は首肯していました。ですが、秋津島あやのは否定していました。本家の勇み足なのかもしれません」


 本家とは誰の事なのだろうか。

 それと、秋津島あやのとは何者なのだろうか。


「本家は秋津島庵。秋津島あやのは庵の姉という認識で良いのでしょうか?」


 流香が確認を求めるように言う。

 おそらくはあらかじめ渡されていた資料を基に人物を整理しようとしているのだろう。


「はい。本家は前当主である秋津島源蔵が亡くなった後、向坂村に呼び戻されました。本家は自らの存在感を高める意図があって、独自の立会人を擁立しようとして失敗したのかもしれません」


「秋津島庵は向坂村を出ていたのですか?」


「はい。家を出たというよりも、源蔵との軋轢があったので出奔したのが事実です」


 親子間の衝突から出奔。

 よくある話だと私は感じた。

 親が死んですぐ、子が呼び戻されるのもよくある話だ。


「家庭の事情でしょうか?」


「はい。当然の事ですが、秋津島源蔵と本家は仲がよろしくはなかった」


「原因はなんだったのでしょうか?」


「本家と秋津島源蔵では格が違いました。あの二人には埋めようがない溝があったと断言してもあながち間違ってはいません」


「……そうでしたか」


 流香は座席に身体を預けて、思案に暮れるような素振りを見せた。

 現当主であるからこそ秋津島庵を本家と呼び、前当主の秋津島源蔵は呼び捨てにする。この村では、そういった習わしである事が窺えた。現当主こそが至高であり、それ以外は本家と呼ぶには相応しくはないという事なのだろう。

 稲荷原流香が思考の海に沈んだ頃を見計らってか、神楽翡翠が顔を私の方に向けてきて、


「あなたは?」


 と、詰問するかのような口調で言ってきた。


「立花志郎です。立会人として呼ばれまして」


 正直にそう答えると、


「ああ、伊予定之が推挙した奴の親類って話だな」


 翡翠では無く、運転し続けている伊岐伸介が正面を見たまま口を挟んできた。


「はい。叔父が推薦されたようだったのですが、予定があるとかで来られないため、私が代役に」


「まぁ、その叔父とやらは金もらってダム誘致に賛成したからか。来なかったのは賢明な判断だ。あの男も恨んでいる奴は何気に多い」


「……はぁ」


 その言葉で答え合わせができたようなものだった。

 叔父はお金によって誰かに買収されたのだ。その事で恨みを買っている事を理解しながらも、代理として私を立会人に立てたのは、もしかしたら何かしらの意図があるのかもしれない。もし何か意図があるとするのならば、何なのだろうか。


「夜道に気をつける事だな」


「分かりました。気をつけます」


「ジョーダンだよ、ジョーダン。あの男なら襲っただろうが、親戚筋のお前なんか襲う奴はいねえよ」


「……なるほど」


 どうやら身の危険を感じるほどの事件が起こることはなさそうだ。

 そこまで言われるほど、叔父は大変な事をこの向坂村でしてしまったのだろうか。


「立花志郎さん。あなたは流香さんのお知り合いだったのですか?」


 伊岐伸介が運転に集中するためか黙ったタイミングで翡翠が質問してきた。


「いえ、今日初めて会いまして、付いてきただけです」


「流香さんが拒絶していない以上、悪い人ではなさそうですね」


 流香のお眼鏡にかかったというべきなのか、それとも、害がなさそうな人物を判断されたのかは明瞭ではなかった。しかしながら、拒絶されてはいないようなので一安心はした。

 そこで話題が途切れたのと、流香が思案に暮れていたせいもあって、車内を沈黙が支配した。


「神楽翡翠さん、伊岐伸介さん、神事に際して何が起こると思いますか?」


 何かに辿り着いたのか、それとも、何も分からなかったのか、流香が真剣な表情でそう問うた。


「俺にゃ、何もわかんねぇなぁ。思い浮かびもしねぇよ」


 伊岐伸介はお手上げと言いたげにそう言い放つ。


「秋津島源蔵は死にました。次は、神事の前、あるいは、その後に、秋津島佳枝、秋津島あやのではないでしょうか?」


 神楽翡翠が確信しているかのようにそう答えた。


「本家である秋津島庵ではなく?」


「はい。あの二人は神の怒りを買ったと推測できます。ですので……」


 何か言いかけていたのを、流香が手で制した。


「神が人を殺すと?」


「はい。秋津島源蔵の死は、神の意志ではないでしょうか?」


 信心深さから来る予想なのだろうか。それとも、もっと何かそういう考えに行き着く、何かしらの兆候があったというのだろうか。


「その考えは早計です。私は秋津島源蔵の死は、偶然だと考えています。神が人を殺すなど現代社会においてはない事です。神の名の下での殺しはあるかもしれませんが、神が直接手を下す事はありえません」


 流香に即座に否定し、


「人が殺されるのであれば、それは神ではなく、人の手によるものでしょう。何のために、何故そのような凶行に及ぶのかは、犯人でなければ分からないのではないでしょうか」


 と、さらりと続けた。


「その根拠は?」


「左目があった場所にいる姉の魂がそう囁くのです」


 当然でしょう、と言いたげな表情でさらりと口にした。

 その言葉を聞いて、神楽翡翠は神妙な顔をして口を噤んだ。


「話が一段落したところで朗報だなぁ。目的地に到着だ」


 伊岐伸介の言葉と共に、車がすっと止まった。

 窓の外を見ると、眼前には朱色の鳥居が立っていた。

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