第7話 立花志郎は楽観主義とたゆたう



 断魔川にかかっている橋は、意外にも強度的には問題はなさそうだった。

 木製かと思いきや、一部が金属の板などで補強されており、トラックは難しそうだが、普通の乗用車であれば通れるようにはなっていた。

 結局、私は引き返す事ができず、先を行く稲荷原流香の後を追う形で橋を渡っていた。


「この先に何があるんでしょうね?」


 稲荷原流香にそう問いかけつつ、私は川底をのぞき込んだ。

 橋は高い場所にかかっていて、下を流れている急流の断魔川まで意外と遠い。川底まで十メートル以上はありそうな上、川幅も高さと同じくらいまでありそうで落ちたら最後、助かりそうもない。落ち武者か何かがこの地に流れてきて永住するようになったとか叔父が言っていた気がしたが、このような川が流れている先ならば隠れ住むのに適していたと言えるのではないか。

 見続けていると川に吸い込まれそうな気がしてきて、身震いがしてきた。自分自身を抱きしめるようにして震えを収めてから顔を上げた。


「神事が始まらない事には分からないといったところでしょうか?」


 流香は事件が起こることを前提に話をしていた。

 死者が依頼をしてきた時点で珍妙な事が起こってはいる。だが、依頼主が本当に秋津島源蔵であるのかどうかを村田左京に確かめない事には依頼者が死者であるかどうか分からないのではないだろうか。


「依頼主が秋津島源蔵ではあるとは限らないのでは?」


 その事を口にすると、流香は立ち止まり、私の方を振り返った。


「依頼主からそう口にするよう頼まれた村田左京が仕掛けた嘘という線はあり得ます。ですが、何故そのような罠を仕込む必要があるでしょうか? 死者が依頼主であるという事が真実であれ、嘘であれ、そこに何かしらの意図が介在しています。その意図こそが事件への導線なのではと考えられます。ただし、村田左京の勘違いであれば、ただの思い過ごしです」


 ただの思い過ごしであればいい。

 杞憂であればいい。

 何も事件など起こらず、神事が滞りなく行われればいい。

 そして、稲荷原流香の早合点で、変に危機感を抱いてしまったとはバカだな、と思えればいい。


「出迎えの方が来ているようですね」


 稲荷原流香の声で私は我に返った。

 視線を橋の先へと向けると、一台の乗用車が停車していた。秋津島庵が乗っていたのとは異なる黒い国産車であった。

 車の助手席のドアが開き、一人の少女が降りて、私達を見て軽く会釈をしてみせた。


「あれは?」


 私がそう問いかけると、


「私を立会人に推挙した人です」


 外見というべきか、雰囲気というべきものが、どことなく稲荷原流香と似通っていた。違うところがあるのならば、それは見た目の年齢といったところだろうか。流香と比較して、二三歳若いように見受けられる。


「本家の人? それとも分家の人?」


「いえ、今回の神事の主役です」


「主役? どういう意味で?」


神楽翡翠かぐら ひすい……今回の神事で洞窟に閉じ込められる巫女です」


 私はその場で足を止めて黙考した。

 私の叔父を立会人として推挙したのは、伊予定之いよ さだゆきという伊予家の者のはずだ。その伊予家というのはあくまでも分家であり、本家は秋津島家という話であった。そういった本家、分家以外からも立会人を推薦できるものなのだろうか。あるいは、特例か何かで稲荷原流香が立会人として推薦でもされたのだろうか。


「あくまでも推薦人の一人です」


 流香は含みのある言い方をした。

 推薦したのは、神楽翡翠だけではないという事なのだろうか。


「他にも誰かが推薦したというのです?」


「それは言えませんよ。秘守義務です」


 今度は含み笑いをして見せた。


「何か秘密にしないといけない事でもあるのですか?」


 流香は立会人以外の何かしらの依頼でもされてでもいるのだろうか。


「依頼には個人情報や口外してはいけないような事が多々含まれています。個人情報保護の観点やらなんらの関係で口外してはいけないという事です」


「でも、あなたは誰かから依頼を受けているかもしれない可能性を今漏らしてしまった。それはいいのですか?」


「ふふっ、その様子ですと、あなたの背後には誰もいないようですね」


「はい?」


 その言葉の意味を掴みかねた。今回のこの件には何か陰謀めいたものでもあるのだろうか。


「向坂村は近い未来、ダムの底に沈む事になります。その決定が下されるまでの経緯において、多額のお金が動いていたというもっぱらの噂です。欲望のるつぼとなっていた以上、何かしらの策謀が張り巡らされていたとしても不思議ではありません。立会人に選ばれるような人物であれば、その一端を担っていたかもしれませんでしたから」


 流香はこれで分かったでしょうと言いたげに私に背を向けて、再び歩を進めた。

 私は判断を誤ったのだろうか。

 十万円という餌にまんまと釣られて、私のような門外漢が来てはいけないような場所に来てしまったというのだろうか。


「あなたは……どうなのです?」


 私は小走りで流香を追い抜き、彼女に立ちはだかるようにして立ち止まった。

 流香は歩を止めて、私を誰何するような目で見つめてくる。

 そんな流香の右目をじっと見つめ返す。


「……意味が分かりかねます」


「あなたも誰かからお金を受け取ったりするのですか?」


 叔父が稲荷原流香を軽快していた本当の理由が把握できたような気がした。それは、ダム建設が決まるまでの経緯において向坂村の誰かから何かしらの報酬を受け取っていたからではないだろうか。その事を稲荷原流香に勘づかれていたため、彼女に会いかねないこともあって向坂村に行くに行けない状態になっていたのではなかろうか。


「私がもらうのは退魔師、そして、巫女としての報酬のみです。汚い金などには興味は一切ありません。それに、そんなお金を受け取ってしまっては、左目にいる姉が私の事を祟ります」


 そう言うと、何が可笑しいのか流香はからからと快活に笑った。


「いくらお金があろうとも、私が失った物を取り戻す事さえできません。覆水盆に返らずです」


 不意に達観したような表情をするなり歩き出し、私の横を通り過ぎて行った。

 稲荷原流香は潔癖なのではなく、世の中に絶望した事があるのではなかろうか。

 左目を失った時に。

 姉を失った時に。


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