第6話 立花志郎は予感とたゆたう


「そこから先は秘守義務でしてね。さて、やらなければいけない事があるんで、ここで一旦お別れですかね」


 村田左京はそう言って、バスが来る前にどこかへと行ってしまった。

 どうやら車で来ているようで、バスを待つ必要などなかったのかもしれない。

 車があるのだとしたら、私に話しかけてきたのは立会人かどうかを確認するためだったのだろうか。それとも、向坂村に向かう人がいれば声をかけるようにでもしていたのだろうか。

 村田の思惑について、それとなく考えているうちにバスが到着した。

 バスに乗ったのは、私と稲荷原流香だけであった。過疎のせいなのか、乗客が滅多にいないか、ほとんどの人が自家用車を持っていてバスを必要とはしていないのかもしれない。

 稲荷原流香は私よりも先にバスに乗り込み、私を避けるようにして、一番後ろの席に腰掛けた。誰も寄せ付けないかのようなオーラを放ちながら、何やら浮かない顔をして物思いにふけっているようだった。


『依頼人の息子』


 村田がその言葉を口にしてから流香の様子があからさまにおかしなっていったように見えた。

 その言葉のどこに疑問を挟む余地があるというのだろうか。

 そんな事をとりとめも無く考えていると、バスが目的地である『断魔川前』停車した。断魔川にかかる橋の手前にバス停があって、そこで降ろされた形だ。

 バス停は自然しかないような場所であった。よくある田舎にあるようなバス停で、待ち合わせスペースを兼ねた三人くらいが座ることができそうな古びた小屋がすぐ傍にあった。小屋の中と外に色あせたどこかのお店の看板が貼ってあるが、経年のせいかもう店名さえ読む事ができない。

 そこ小屋の横に細い道がのびていた。どうやらその道を進むと、断魔川があり、その川にかかっている橋を渡ると、向坂村に入れるようだ。

 流香はバスから降りると、その道を進むのが当然といった足取りで向坂村へと向かっていった。

 私は周囲をキョロキョロと確認した後、流香を追った。

 叔父も村田も危険視していた。私的にはそういった意見は何かの間違いであるかのように思えてならなかった。死んで当然の人間がいるという意見は受け入れがたい。それ以上の『何か』があるように思えてならないのだ、稲荷原流香には。


「待ってください」


 流香に追いつき、並んで歩き始めた。

 目だけを動かして、私をちらりと見た後、何事もなかったかのように視線を元に戻した。


「何か気がかりな事でもあったんですか?」


 私は思った事をそのままぶつけてみた。

 流香の様子の変化は、本人に直接訊いてみるのが一番だと考えたからだ。


「死者が蘇る事はありません」


 恐ろしい事が起きたという言い方ではなく、否定するような物言いであった。


「……死者?」


 その単語が正しいかどうか確かめるように私は反芻した。


「私を立会人に推挙した方は、事前に本家分家の全ての人間の写真を渡してきています。その写真の中にさきほど車から降りてきた男の写真がありました」


「……それで?」


「あの男の名は、秋津島庵あきつしま いおりのはずです」


「秋津島……庵?」


 秋津島という名前にどこか聞き覚えがあるものの、どこで誰から聞いたのか思い出せなかった。


「あなたは立会人として推挙された立花道三たちばな どうざんの親戚でしたね」


「え、ええ」


 叔父の名前は立花道三であったのどうかあまりよく記憶してはいない。流香がその名前を出したのだから、その通りなのだろう。なにせ、私は『叔父』としか聞いておらず、名前を本人はもとより両親などから聞いてはいなかったのだ。


「立花道三は民俗学の……いえ、土着信仰の研究者として一部の者達から有名だったりします。そのため、立会人として推薦されたのだと推測されます。しかし、本人は来ない上、代理人を寄こしてきた。この意味が分かりますか?」


「いえ、まったく……」


 叔父は土着信仰の研究者であったのか。衝撃の事実であったものの、何かを研究していると誰かに聞かされたような記憶があるので、納得してしまったところもあった。


「何か良くない事が起こる事を予見したからではないでしょうか? 私が立会人として呼ばれた事も予見の材料になったのかもしれません」


「何かが起こるというのですか? 今回の神事では」


「必ずとは断言できませんが、おそらくは起こるのでしょう」


 流香は深刻そうな顔を見せずに、さらりと述べた。


「一体何が?」


「村田左京の依頼人は、先ほど見かけた秋津島庵の父親なのでしょう」


「それが何か問題でも?」


 秋津島という名前をようやく私は思い出した。

 叔父とのメールでのやりとりの中で何度か出て来た名前だ。たしか秋津島源蔵という男が亡くなった事で、私が立ち会いすることとなった神事が執り行われる事となったのだとか。


「秋津島庵の父親は、秋津島源蔵あきつしま げんぞうです。つまりは、死者が村田左京に何かしらの依頼をした事になるのです。この意味が分かりますか?」


「……へ?」


 私はその場で立ち止まってしまった。

 頭の中で流香の言葉を整理する。

 秋津島源蔵はもうすでに死亡している。

 村田左京の依頼主は、秋津島庵の父親だというのは想像に難くはない。

 つまりは、死者が村田左京に何かしらの依頼をした事になるのではないか。


「村田左京の存在は確定要素ではなかったのですが、死者が動いている以上は、確実に何かが起こると断言してもいいでしょう。神事に関連した何かであるのか、それとも、神事を阻止するための策略であるのか、予想さえできません。ですが、何かしらの事件が起こるのは必至でしょうね」


 私が立ち止まったことに気づいた流香が立ち止まり、後ろを顧みながらそう口にした。

 表情を読み取ろうとするも、私からは眼帯しか見えず、右目がどう動いているのかさえ掴めず、何を思っているのかが計れなかった。


「防ぐ事はできないのですか?」


「ふふっ、おかしな事を言いますね。誰がどのような思惑で動いているのか不明瞭である以上、防ぐ事は不可能です。事件が起こった時に初めて誰がどのような思慮で行動していたのかが明らかになります。事件が起こるのは、必然という名の運命でしょう」


 口元に笑みが浮かんでいた。

 その笑みはまるでこれから起こるであろう事件を楽しんでいるかのように私には思えてはならなかった。


「……そんな……」


 私は流香から視線を逸らして、前方を見やる。

 車が一台通れるくらいの幅がある木製の橋が見えた。

 あの橋は断魔川にかかっている橋なのだろう。

 橋を渡れば、向坂村へと入る。

 村に入ってしまえば、これから起こるであろう何かしらの事件に巻き込まれる可能性が出てくるのだ。

 迷いが生じていた。

 叔父の依頼をこの場でドタキャンして、このまま帰るか。

 事件に巻き込まれるのを覚悟の上で、向坂村に逗留するのかを……。

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