第4話 立花志郎は稲荷原流香とたゆたう
「……眼帯?」
少女の顔に違和感を覚えて、目を細めてじっと見つめると、彼女は左目に眼帯をしていた。ファッションか何かなのだろうか。
「ああ、あいつはね、左目がないんですよ。退魔師が稼業なんですがね、その最中に化け物にえぐり取られたらしいですぜ、左目を」
「は?」
何か今聞き慣れない単語が飛び出してきたような気がする。
「ああ、退魔師ってのは化け物とかを退治するのを生業としている奴らの事ですぜ。臨兵闘者皆陣裂在前って唱えてするアレですわな」
村田はしたり顔をしながら、九字切りを真似るかのように手を左右にでたらめに振った。
「半人前だった頃に左目を化け物に取られてしまいましてね、眼帯をしているんですぜ。あいつはまだ高校生ですぜ。しかし、退魔師としての腕前は超一流と言っても過言ではない」
「何故知っているんです?」
私は当然の疑問を口にした。
「あの女は稲荷原流香っていう名前で、向坂村では立花志郎さんと同じ立場にあるんですぜ。まあ、立会人ですかね」
「ッ!?」
稲荷原流香という名前が村田の口から発せられて、私は思わず稲荷原流香をまじまじと見つめてしまった。
叔父が危険視していた人物の名前であったからだ。眼帯をしている以外、普通の女性に見える。眼帯をしている理由が特殊だからこそ危険なのだろうか。村田に言わせると『化け物にえぐり取られた』という。その経緯については全く分からないが、そこに要因があるのだろうか。
「あれが……稲荷原流香」
私は目を細めて、流香の子細を観察する。
「もう一度忠告するが、あまりお近づきにならない方がいいですぜ」
そう忠告されていたのにも関わらず、私の足が自分の意思と反するように稲荷原流香の方へと向くなり、一歩前へと出ていた。引き寄せられるように歩き続ける。
「やめておいた方がいいですぜ、立花志郎さん」
村田の声が背中に向けられる。
だが、私の足はそんな忠告を無視するように、引き込まれるように流香へと向かって行く。
私が近づいてきている事を察してか、稲荷原流香が私に顔を向ける。何を思ったのか、口持ちにわずかな微笑みを称えた。
手を伸ばせば触れられるのではないかという距離までのところで私の足は制止した。
そんな私の目を流香が見つめる。もちろん、口元の笑みはそのままに。
「あなたは、稲荷原流香さんなのですか?」
挨拶から入るべきかとは思った。だが、私の口から発せられた言葉は確認であった。
「……あなたは聡明な方ですね。そして、憑かれている」
想定していた言葉とは違う、何か意味ありげな言葉を投げ返されて、私は若干戸惑ってしまった。
「何の事を言っているのです?」
「村田左京。彼は何でも屋としては有名な男です。あの人は警戒すべき人物と言っても差し支えはないかもしれません。距離を置くのは適切だと言えます」
流香は笑みを絶やさず、私に声をかけてきた村田についてさらりと批判した。
「どう危険なのです?」
「お金をもらいさえすれば何でもやる男です。旧知の仲ですが、仲良くすることはあまりおすすめしません」
「それについては、お金さえもらえば何でもする仕事をしているのですから仕方の無いかもしれません。しかしですね、村田さんがあまり芳しくはない人物であったとしても、あなたも良い話を聞かないのですよ。それと同じようなものですか?」
「ふふっ、私も人の事を言えないのは自覚しています。今まで何人もの人を見殺しにしてきていますからね。私も業が深いと言えます」
流香は自虐的ではなく、何か含みがあるように微笑んだ。
「助けるべき人を助けなかったというのですか?」
「助けるべき……それは語弊があります。自業自得な人達を放って置いたといったところでしょうか。死んで当然な人を見捨てて何が悪いのでしょうか?」
「誰が決めるんですか、死んで当然だなんて」
段々と私にも分かってきた。叔父や村田が稲荷原流香を危険視していた理由が。人の命を何とも思っていないところがあって、稲荷原流香の生業と言っていた『退魔業』において、屍累々であった事が多々有ったのではないだろうか。それが流香の責任であれ、他者の責任であれ、稲荷原流香が関わると死人が出ていると想像に難くなかった。
「私は正義の味方ではありませんし、誰でも救うような善人でもありません。業が深い人間に巻き込まれてしまえば、私でさえ死にかねない。だから見殺しにすることもあると言っておきましょうか」
人の命を何とも思っていない言い方に私は戦慄すると共に、近寄りがたい人間だという事も悟った。この女にはあまり関わらない方が最善なのかもしれない。
「死んで当然の人がいるとでも言いたいのですか?」
私は義憤に突き動かされてか、語気をいつになく強くしていた。
「人を殺した人や、罪深き人を救うのが当然とでも言いたいのでしょうか? 罪には罪の報いがあるものなのです。そのような報いに巻き込まれるのは、私としては御免被りたいだけです」
「意味が分からない。罪があるのならば、償えばいいのではないか」
「全ての罪は償えるものではありません。いずれはそのことに気づく時が来るかもしれませんね。立花志郎さん」
「ッ!?」
教えてもいない私の名前を呼ばれて、思わず一歩後ずさりをして驚いてしまった。村田左京との話に聞き耳を立てていたのだろうか。それで私の名前を耳にしていたのではないか。
「今回の神事に立会人として呼ばれている方は四名います。私、それと、村田左京、椎原慎太郎、そして、あなたです。椎原慎太郎は今年で六十になる老人です。そのため、消去法であなたの名前を推測することは容易いのです。もう一人来るかもしれないとは窺っていますが、その方は女性という話でしたので」
種明かしをあっさりとして、流香は傍で見ていなければ分からない程度に口元を綻ばせた。
そんな表情の変化を見て、私はさほど警戒する必要はないのではと思い直した。根っからの悪人ではなさそうな笑顔を垣間見たような気がして、警戒心を若干ながら解いた。人の死を何とも思わない人物である点が危険視されていると微かに理解できた事もあって、接し方に繊細さを付随させれば問題ないのかもしれない。
「何故神事の立ち会いに部外者が必要なんですかね」
立ち位置を気づかれないように元に戻して、私は流香に訊ねた。
「……憶測でしかありませんが」
流香はそう前置きをして、真剣な眼差しを私に向けてきた。
「何かが起こるからではないでしょうか?」
予想していなかった返答は、不穏な色を含んでいた。
「え?」
「何でも屋が立会人に選ばれている時点で何かが起こって当然とは言えます。そうですよね、村田左京さん?」
流香の目が動き、私の背後へと向かう。
その視線を追うと、いつのまにか私の背後に立っていた村田左京へと向けられたものだと分かった。
村田の気配さえ察知することができていなかった自分に恥じつつも、
「村田さんが何か起こすとでも?」
村田は頭をボリボリと掻いた後、なんで分かったんだと言いたげに誤魔化し笑いを浮かべ、
「お祭りを盛り上げるために大金を積まれましてね。打ち上げ花火を上げるように盛り上げなくちゃーね。ど~んとね!」
花火を打ち上げる事を指し示すかのように両手を上に掲げた。
「お手柔らかにお願いします」
釘を刺すような言い方であった。
村田左京と稲荷原流香。
この二人、過去に何かがあったような雰囲気がある。男と女という間柄ではなく業務上対立したとかそんな雰囲気が二人の間には流れている。この二人がかち合うような案件などあるのだろうか。何でも屋と退魔師、接点が存在しているのかどうか怪しいというのに。
「数十年に一回の神事ですぜ。それを盛り上げるのが何でも屋の仕事ってもんですぜ」
村田は流香と同じように日差しを浴びないように軒下に入って、自分の仕事に誇りを持っているかのように胸を張った。
「無理に盛り上げなくても結構です」
流香は村田を視界に入れるのさえ厭うようにあさっての方向に身体を向けて、警告を込めるように言う。
「仕事として頼まれているんだからやらざるを得ないってもんですぜ」
「やはり姉の予想は正しいようですね」
「ああ、左目の」
村田はニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて、流香を見やる。村田は流香の姉とやらによからぬ思いでも抱いているのだろうか。
「立会人として私が呼ばれた理由が不明瞭である事を危惧していました。何かよくない事が起こるのではないかと。それを予想して、誰かが私を指名したのではないかと」
「不幸ってのは起きるときには起こるものですぜ。とはいえ、そういう悪い予感ってのは当たるもんですぜ。魂だけになった姉の予感が正しいとは限らないですがね」
「えっ?! 魂だけ?」
村田の言葉に不穏な響きを感じとって、私は二人の会話に割り込むようにして言葉を投げかける。
「説明が足りませんでしたね。姉の魂は削り取られた私の左目があった場所に居座っているのです。ふふっ、おかしいでしょう? 死んでもなお現世に居続けようとする、生に対して貪欲な姉なんですよ」
私はどういった言葉を返していいのか分からず口ごもった。左目に居座る姉とはなんであろうか?
「見せてやるのが一番ですかね。それが分かりやすい」
村田がそう言うと、
「……そうですね。姉も挨拶をしたがっていますし」
流香は顔だけを私に向けて、左目を隠すようにしている眼帯に手をかけ、手慣れた手つきで上へと持ち上げた。
本当に左目がそこには無かった。
あるのは、ゆらゆらと揺らめく闇そのものだった。
目玉を消失したら、その下にある身体の組織などが見えそうなものなのだが、闇が居座っているかのように深淵があるだけだった。
この闇が稲荷原流香の姉なのか。
「この闇が姉の
「……はぁ」
流香が平然と奇怪な事を言うものだから、私は生返事しかできなかった。
左目に居座っているという魂という名の闇を見つめていると、吸い込まれそうであった。そのまま見つめていると、私自身もこの闇のようになってしまうのではないか。
そう感じ始めた矢先、車が停止する音で我に返った。
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