第3話 立花志郎は何でも屋とたゆたう



 私は五月二十日の朝六時に家を出た。

 数日前に金券ショップで購入した期日間際の新幹線の格安チケットで新幹線に乗り、二時間ほどでN県へと入った。そこから在来線に乗り継ぎ、山間部にある無人駅に近いような閑散とした三間駅さんまえきで降りた。

 三間駅前から出ている市営バスに乗り込み、一時間ほど揺られて、終点まで行く。終点で降りて、すぐに近くにあるという断魔川たつまがわにかかっている橋を渡ってから一時間ほど歩くと、向坂村に入れるという事であった。

 私は改札を抜けて外へと出ると、そこは駅前広場であった。

 とはいうものの、ある猫の額ほどの広場でしかなく、よく停車しているはずのタクシーは一台もなく、どうやら向坂村へはバスで行くしかないようであった。

 その広場の端の方にバス停があった。次のバスは何時だろうかと調べるために私はそのバス停に近づいて、掲示されていた時刻表をなんのきなしに見て、私は事前に調査していた事を呪いたかった。

 三時間に一本しかバスがなかったのだ。


「今は十一時十七分だから……」


 時計をしていなので、私はスマートフォンを取り出して時間を確認する。

 時刻表に記載されている次のバスの時刻は『十二時三十分』とある。


「しまったな、一時間後……か」


 次のバス停まで歩いていくのも手としてはある。だが、次のバス停にたどり着く前に、バスが通過していってしまっては元も子もないし、バスが来るまで駅前辺りをぶらぶらするのが最善のような気がした。


「向坂村に行くのですかね?」


 バスが来るまでの一時間をどうすごすべきかという思考が、背後から飛んできた渋い男の声で中断してしまった。

 私が向坂村へと向かおうとしていると、何故分かったのだろうか。

 私はそんな疑問を抱きながら、声がした方へと身体を向けた。


「はぁ」


 生返事をして、声をかけてきた男を見た。

 見てくれは三十代中盤といったところの、これまでそれなりに苦労してきたのではないかと思える皺が顔に何本も刻まれている優男だった。優男と感じたのは、その笑顔のせいだろうか。陰りの片鱗さえない、屈託のない笑みを私へと向けている。それに加え、白のオックスフォードシャツに、チノパンという出で立ちが、第一印象を悪くはないと思わせていた。


「突然声をかけて、すいませんね。向坂村には僕も行くんですよ。あなたもでしょう?」


 私の警戒心を解きほぐすような笑みを向け続けてくる。

 どうやら悪い男ではなさそうだ。


「……ええ、まあ」


 しかし、声をかけてきた目的があるのではないかと勘ぐり、私は曖昧にはぐらかせた。


「警戒させちゃいましたかね。ええと、僕は……」


 男はそう言ってチノパンのポケットに手を入れて、小汚い黒い革製の名刺入れを取り出すなり、名刺を一枚抜いて、私の方へと差し出してきて、


「こういう者でしてね」


 私の警戒心を解くように人なつっこい笑みで言ってきた。


「ええと……」


 男が差し出している名刺に一瞥をくれる。

『何でも屋』という文字が見えたので、思わずその名刺を食い入るように見てしまった。


『何でも屋 村田左京』


 名刺の中央に分かるようにそう記載されていた。


「名刺に書いてある通り、僕は何でも屋なんですよ。自称『何でも屋』とは違って、お金さえ払ってくれるのならば、何だってやる本当の何でも屋でしてね。以後お見知りおきを」


「便利屋とは違うのですか?」


「似て非なるものですかね。便利屋は所謂『御用聞き』ですかね。ですが、何でも屋は違う。報酬さえあれば何でもやるってところですかね」


「非合法な事でも?」


 言い方が引っかかったため、そう訊ねると、


「内容によりますかね。殺人とかはさすがにできませんかね。その一歩手前なら金額次第ならやらないことはないですぜ」


 さも当然のように答えた。

 冗談なのか、それとも、営業トークなのか判然とせず、私はその件について触れない方が最善の策のように思えて、


「……だから、何でも屋、と」


「その通りですぜ」


 村田左京と営業スマイルだとようやく分かった笑みを私に向けて、恥ずかしそうに頭を掻いた。


「それでですね、向坂村へは立会人で行くんですかね?」


 口元には微笑が刻まれているが、目は笑ってはいなかった。私の事を品定めするかのような視線が瞳の奥底にあって、少しの嘘も見逃すまいとしている感さえある。


「どうしてそれを?」


 私がそうと分かるような行動をしていたからこそ、村田左京という何でも屋が声をかけてきたのだろうか。私はいくらか警戒するように村田と距離を置くように一歩後ろに下がった。


「簡単な推理ですかね」


 口元をさらにゆがめるも、目はまだ笑ってはいなかった。


「例の神事が行われると耳にした人は多いんですよ。それで興味本位で訪れるようですがね。でも、あなたは違うような気配がありましてね」


 村田は私の顔をのぞき込むように見た後、不敵な笑みを口元に表した。


「立会人も数名訪れるようでして……ね。あなたは立会人の……」


 名前を思い出そうとしているのか、視線が左右に泳ぎ始める。私の事をもう知っているのだろうか。


「む……いや、違う。い……でもない。そうか、た、だ」


 再度、不敵にニヤリと微笑み、


「立花志郎さんだ」


 これが正解でしょうとばかりにそう言ってきた。


「どうして分かったんですか」


「ははっ、勘ですよ、勘。まあ、立会人として誰が来るのか把握しているだけですがね」


「なるほど、立会人を知っているのですね」


 叔父が警告していた稲荷原流香以外には誰が来るのだろうか。


「同じような立場なんですがね、一つだけ忠告しておきます」


 村田が顔を近づけてきて、急に声をすぼめた。


「……なんです?」


「あそこに白いワンピースの女がいるでしょ? あの女にはあまり関わらない方がいいですぜ」


 そう言って、目線だけでその女とやらがいる方角を指した。

 誰の事を言っているのかと、その視線が向かっている方に顔を向ける。

 するとどうだろうか。

 村田が示したであろう白いワンピースを着た女が向こう側にいた。荷物が入っているであろう大きめのボストンバックを地面に置き、日差しを避けるようにシャッターが下りている店舗の軒下に立っていて、空を見上げていた。女というよりもむしろ少女という方が正しい容姿であった。彼女は私達の事に気づいてはいるようだが、あえて触れないでいる、そんな態度を取っていた。

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