五月二十日 神事『岩戸献』 当日

第2話 立花志郎は神事とたゆたう


「平成から令和に年号が代わったというのに、未だに神罰だなんだというのは、時代遅れを通り越して懐古主義なのではないだろうか」


 令和に入ってから初の神事で、本当の青天の霹靂が起こり、人が一人亡くなったというのだから、その事故を神罰だと思い込むのは無理でもない。しかも、N県の過疎地にある向坂村をダムに沈める決定をした秋津島源蔵という男が雷に打たれて倒れてきた御神木の下敷きになって死んだというのだから、神様が怒っていると錯覚しても無理からぬ事だ。

 偶然に偶然が重なる事は間々ある。

 偶然が重なりすぎると、それが運命ではないかと強引に結びつけてしまう傾向があるのだが、今回もそのようなものではないだろうか。

 そんな偶然の積み重ねの末に、行われる事になった数十年に一度あるかないかの神事に、私みたいな男が立会人として呼ばれる事になったのだから偶然の積み重ねに感謝しておいた方がいいのかもしれない。

 だが、人が死んでいるのだから感謝するのは些か不謹慎かもしれない。秋津島源蔵の死を悼みつつ、私に白羽の矢が立った偶然を慇懃に享受するとしておくべきか。



 これはつい先日の話だ。

 終日終電の仕事や同僚であった松浦育巳の自殺などによって心身共に疲れた事もあり、退職して無職を謳歌し始めた頃合いに、たまにお世話になっていた叔父からこのようなメールが届いたのだ。



『立花 志郎たちばな しろう君へ。

 五月二十日に私の代わりに向坂村へと行き、岩戸献という神事の立会人をして欲しいのだが、可能だろうか?

 あまり交通の便がよくない場所にある上、観光地などは一切ない。そんな場所で三日か四日は滞在することになってしまう。それでも良ければ、だが。往復の交通費、宿泊費、現地などの食費などは私が出す。二十万円あれば足りると思うのだが、それ以上の支出があれば出す』


 退職して手持ち無沙汰だった私は二つ返事で行くことを決めた。

 往復の交通費などを含めて計算しても、十数万円は手元に残るので、割の良い短期バイトという認識であったのだと思う。


『快諾してくれてありがとう。今回立ち会ってもらいたいのは、向坂村という村で数十年に一度行われるかどうかといった神事だ。

 私は学会に出席するため海外に行かなければならないので出席できない。そのために、志郎君を頼ったワケだ。私を立会人に推挙したのは、伊予定之いよ さだゆきという男だ。伊予定之は伊予家の当主である。その伊予家というのは、本家である秋津島あきつしま家の分家である。伊予家の他に、伊岐いき家という分家もあり、伊予家、伊岐家は本家である秋津島家を支えていると言っても過言ではない。

 今回、志郎君が行くことになる向坂村は、年号が令和になったというのに、未だに昭和初期のような社会構造が残っている村だと分かって欲しい。その事が分かっていなければ、向坂村での立ち振る舞いをどうすべきかが分かるはずだ。

 それと、秋津島家、伊岐家でも立会人を数名呼んでいるらしい。他の立会人達とも仲良くするもよし、無視するもよし、それは志郎君の好きにしてもいい。

 稲荷原流香いなはら るかという女が立会人として参加すると耳にした。稲荷原流香との接し方は細心の注意を払ってほしい。彼女はただ者ではない』



 どうやら私は昭和初期のような面倒臭そうな家柄といった古風な風習の残る村に行かないといけないようだ。

 よそ者を排除しそうな村のような印象が起きたので、人間関係が複雑そうだ。

 深く関わらないようにすれば、問題はあまり起きないだろうが、気になる点が一つだけあった。


『稲荷原流香とは何者なのですか? 警告を発するという事は危険人物という事なのですよね?』


 私がそう質問すると、叔父はこう返してきた。


『人のようで、人ではない女である。どちらかと言えば、怪異の部類に入る女といっても過言ではない』


『怪異? 人ではないのですか?』


『厳密に言えば人ではある。しかし、人を捨てた女でもある。あの女には関わらない方がいい。立会人として関わってしまうであろうが、その様子に騙されて深入りすべきではない』


 叔父がそこまで言うのだから、関わらないのが一番なのだろう。しかし、人を捨てているとはどういった意味合いがあるのだろうか。気にはなるものの、私はそれ以上は質問をせずに立会人について訊ねた。


『向坂神社では年一回『天津祭』という神事が執り行われる。田植えの前に行われるもので、その年の作物の実りがどうであるのかを占うありふれた神事だ。

 その神事は向坂という地に人々が住み始めた頃からの習わしらしいので、戦国時代以前からの風習なのではないだろうか。源氏平氏以降の武家で戦いに敗れて落ち延びた者達が、四方を山で囲まれた盆地である、人里離れたこの場所に住むようになったのが向坂村の起源だという。どの武家であるのかは、ルーツを辿る術がないため不明ではあるが、おそらくは室町時代辺りではなかろうかと私は推測している。

 それはいいとして、天津祭で不吉な占い、あるいは、不幸な出来事が起こると、執り行われる事になる神事がある。

 それが【岩戸献いわとささげ】である。その神事に立会人として参加して欲しいのである』


『私などに務まるのですか?』


『ただ神事が滞りなく行われるのを見守るだけでいい。それ以外の事をする必要は何もない』


『ならば、私にも務まりそうですね。で、その岩戸献とは、どのような神事なのですか?』


『古事記などに記されている、天岩戸に天照大神が隠れてしまった事件がある。それを模したような神事で、選ばれた巫女が向坂村にある向坂神社の先にある洞窟に籠もる、というものだ。

 巫女が一人でその洞窟に入る。巫女が洞窟に入ったのを確認した後、村人達が洞窟の入り口を大岩で塞ぐのである。そんな状態で、洞窟の中で二日ほど巫女が祈祷を行い、八百万の神々に許しを請うというものだ』


『二日間もですか? 大丈夫なのですか?』


『岩戸献で特徴的なのは、巫女を閉じ込めてから二日後に大岩を退かせるのだが、出入り口が大岩で塞がれていたはずなのに何故かしら『神隠し』にあったかのように巫女がいなくなっているのだ。

 しかも、神隠しにあった巫女はその数ヶ月後に必ず村へと戻ってくるという。中には身籠もって戻ってきた巫女もいたそうだ。何故戻ってくるのかは想像できなくもない。

 八百万の神々に捧げられたのであれば、戻ってくる事などできないのではなかろうか。だが、必ず村へと帰還するのだから、それには何か理由があったのかもしれない。その辺りの事情などに関しては、詳しい資料などがないため結論を出すことはできないが、天岩戸に閉じこもった天照大神と同じように、巫女が再び村に戻ってくることにより祀っている神様の存在感をアピールする事ができたのではないかと思えなくもない。巫女が戻ってきた際の村人達の反応については調査のしようがないため、その真意は計りかねる。

 話が長くなってしまったが、向坂村という歴史がある村に伝わる珍しい神事なのだ。ただ立ち会うだけでよく、その原理などについては深く考察する必要はないと言っておく。学会がなければ、私が立ち会いたいところなのだが、至極残念で仕方が無い。

 稲荷原流香と会いたくはないため、僥倖と言えば僥倖であるのが、全くもって残念である。あの女だけはどうも好きにはなれない。志郎君。稲荷原流香は化け物のような女だ。見てくれが秀麗ではあるが、あまり近づかない方が良い』


『叔父さんの迷惑をかけないように振る舞いますのでご安心ください』


『私に迷惑をかけてもかまわない。むしろ私の所業が迷惑をかけてしまうかもしれない。なにかあれば言って欲しい。私も俗物なのでね』


 叔父の返信に思うところがあって訊ねるも、返答はなかった。


「叔父の所業とは? それに、俗物とはどのような意味があるのだろう? いや、詮索しない方がいいかもしれない。それにしても……」


 私が立ち会うことになる神事は巫女が洞窟に二日間こもるものという事らしい。

 今回も巫女が消失しているかどうかを見届けて欲しい。ただし、消失のトリックを解明しようはしないで欲しいという事でいいのだろうか。

 そんな不思議な神事に立ち会うというべきか、見届けることになって、私は少なからず期待で胸を膨らませた。無職になったことで転がり込んできためぐり合わせに感謝しつつ、その神事が行われるという向坂村へと向かったのであった。

 叔父が再三言及していた『稲荷原流香』なる女がどういった人物であるのか幾度か想像しながら……。

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