第139話 神のみぞ知る

「雲母さ~ん、入りますよ~」

「あ、うん」

 生返事である事などお構いなしに、メイド兼舞台の妖精兼親友なエマが入ってくる。

 お腹に穴の空いた私のお世話を、ここ一か月ず~っとしてくれているのだからホント頭が上がらない。

 本来ならばもっときちんと応対すべきなのだが……。

「あ、またやってるんですね」

「ん~。ちょっとでも役立てたらな~って」

 私はベッドの上で真っ白な紙を前にうんうん唸っていた。

 暇に飽かせて記憶をひっくり返し、日本の制度や技術を紙に記していたのだが、最初の内こそ筆も進んだのだが、ここ最近はさっぱりなのだ。

 私の伝えた情報は、そのままでは使えなかったり部分的でしかなかったり、そもそも間違えていたりするのもあるが、かなり有益な情報も多々あった。

 せっかく帝国から研究者も来てくれて補佐してくれているため、今後色々と使える様になるはずだ。

「はい、雲母さん。ご所望のレモンピールの砂糖漬けですよ」

 目の前にずいっと皿に乗ったお菓子を突き出された私は……食欲に従う事にする。

「やった! 美味しそ~。ありがとね、エマ」

 私はカシミールに胃のあたりを刺されたのだが、幸いな事に刺される前の晩からほとんど何も食べて居なかったこともあって、なんとか命を落とさずにすんだのだ。

 グラジオスの理性喪失に助けられたのは……なんかもにょる所がないでもない。

 とにかく胃に物理的な穴が空いていた私は、長い事物がまともに食べられず、こういうお菓子の誘惑はもう我慢し辛いものがあった。

 早速お皿から直接お菓子をつまむと口に放り込む。

 口の中に砂糖の甘みとレモンの酸味が同時に広がり、えも言えぬ幸福感が全身を包みこんだ。

「ん~、すっぱ美味し~!」

 私はお皿ごと受け取ると、ベッドの隣に備え付けられた小さなテーブルに置く。ちょっとずつ齧って長く味わおうという腹だ。

「でもすっごく早く持ってきてくれたね。私が頼んだの、四日前だよ?」

 怪我人の私が長旅に耐えられるはずもなく、私は未だにモンターギュ砦で暮らしている。

 国境付近のこの砦は嗜好品の類は手に入りにくいはずなのに、たった四日で食べられたのは、よほどの幸運かなければ無理なはずだ。

「あ~……それはですね……」

 エマが言いにくそうな感じでチラッと入り口に視線を向ける。それで私にもピンときた。

「あ~……強権発動? そんなしなくてもいいのに……」

 ていうかそこに居るんだ。ちょっと見ないなって思ってたらこれ探しに行ってくれてたんだ。

「ルドルフ~、入ってきてい~よ~」

 私が許可を与えた瞬間。

 ――ドバンッと勢いよくドアが開き、美形の皇太子さまがもの凄い勢いで部屋の中に入って来た。

 目を輝かせ、もし犬なら尻尾を振りすぎてちぎれ飛んでるんじゃないかってくらいの勢いで全身で喜びを表して私の下にまで近づいてくる。

「やあやあキララ。どうだった? 美味しかったかい? いやいや言わなくても実は部屋の外まで声が聞こえて居て結果は知っているんだけどね。やはり直接君の口から結果を聞きたかったんだ」

 なんというか、劇的に変わりすぎでしょって突っ込みたくなるくらいルドルフは変わった。

 明るいというか明るすぎるというか、無邪気な子どもって感じだ。

 前も無邪気さはあったのだが、少々暗い感じの方向に無邪気だったので、よくなったのかなぁと思わないでもない。

「美味しかったよ、ありがとう」

「そうかっ」

 ルドルフは満面の笑みを浮かべる。

 キララの幸せが私の幸せだ、なんて前に言われたのだが、この様子だと本当なのだろう。一応、やりすぎないでねと伝えたのだが……完全に聞いてないみたい。

 などと考えて居たら……。

「…………」

 すっごく期待に満ちた眼差しで私を見つめている。

 もしかしなくてもあれをやって欲しいのだろう。

「えっと、エマが見てるんだけど……」

「そ、そうか? わ、分かった……キララがそう言うのなら我慢しよう……」

 ええい、落ち込むな超絶イケメン皇子が子どもみたいに床に人差し指で丸を書くなちらっちらっとこっちを見るな!

 ……仕方ないか。

「別にやらないとは言ってないからね」

「そうかっ」

 もの凄い勢いでルドルフ大復活。お前はギャグキャラかと思わず突っ込んでしまいたくなる。

「はい、頭出して」

 私の言葉に従い、ルドルフはしゃがんで私のベッドに頭を乗せる。

 私はその突き出されたプラチナブロンドの頭を、丁寧に撫で始めた。

 ルドルフは本当に嬉しそうに眼を細める。まさに至福の時間という感じなのだが……若干顔をひきつらせたエマが見て居るけれど、何とも思わないのだろうか。

「あはは……キララさん、また舎弟が増えちゃいましたね」

「そだねー……」

 舎弟よりは大きい子どもが出来たって表現がぴったりくるかもしれないけど。

 親の愛情に飢えてたんだろうなぁ。しばらくは仕方ないか。

「満足した?」

 ……その、これから捨てられるってことを自覚した子犬みたいな目はやめなさい。とにかく満足してないのね、もう。

 無言のプレッシャーに耐え兼ね、ナデナデを続けて居ると……。

「雲母、ルドルフ殿が帰って来たらしいのだがここに来ては居ないか?」

 騒々しい足音を立てて我が愛しの旦那様が部屋に入って来てしまった。

 ドンドンッと二度ノックした後こちらの返事も待たずにドアを開けたところを見ると、相当焦っているらしい。

 ……別に浮気とかしてるわけじゃないんだけど、なんか気まずいなぁ。

「……ルドルフ殿……」

 グラジオスがふーっと音を立てて息を吐きながら険悪な様子で名前を呼ぶ。

 一方、呼ばれた方は意にも介さず目を細めて私のナデナデを堪能している。心臓に毛が生えているような豪胆さは変わっていないみたいだ。

 戦争してた相手国の砦に一カ月も平然と居座れるのだからその時点で相当なわけだけど。

「雲母は俺の妻だ。もう少し気を使っていただきたい」

 あ、嫉妬してる。

「これ以上ないというほど気を使っているよ。酸っぱいお菓子が食べたいと言われたから好みを聞いて即座に馬を走らせたのだからね」

「それは有難い。しかしだな、少し距離が近すぎやしないかと言っているのだ」

 はい、いい加減ナデナデ止めます。ごめんなさい。

 あ、今度はルドルフが不機嫌になっちゃった。

「グラジオス殿。私は君が思うような不純な感情はこれっぽっちも抱えて居ない。安心してくれ。それとも自分に自信がないのかな?」

「なんだと……?」

 ルドルフの挑発に、グラジオスの額に青筋が浮かぶ。

 二人の間の空間には今ハッキリと亀裂が入ってしまった。

「はい、喧嘩はダメ。仲良くする!」

「分かった。グラジオス殿、握手しよう」

 ……頭痛がしてきた。なにその変わり身の早さ。

 いいんだけど……ってあれ、ホントにちょっと気分が。

「え、エマ……」

 私は思わずエマに助けを求める。

 エマは手慣れたもので、部屋の隅に置いてあったバケツを素早く手渡してくれた。

「うえぇっ」

 二人の男性の前であろうと我慢できるわけもなく、胃の中の物を全部吐き戻してしまう。

 傷が閉じたばかりらしいのでさほど沢山食べてはいなかったのだが、異常なまでに嘔吐が止まらない。胃はからっぽのはずなのに、悪心だけを繰り返してしまった。

「雲母さん、落ち着いて、落ち着いて……」

 エマが私の背中を何度もさすってくれたおかげで少し落ち着いてくる。

 男性二人も心配そうに私の名前を呼ぶ。

 それに大丈夫だからと手を上げて答え、エマから手渡された布で口元を拭いた。

「雲母さん、最近多いですねこういうの」

「そなんだけどね。お医者さんは、久しぶりに胃の中に物を入れたからかもしれないって言ってたけど、ちょっと長すぎるな、とも言ってたんだよね」

 エマはシッシッとベッドの周りから男性陣を追っ払い、私のお世話をしてくれる。

 こういう時のエマは本当に頼もしい。

「う~ん、不思議ですね~……あ」

 話しながらでも手を止めずに作業を続けていたエマが、突如として凍り付く。そのまま首をギギギと動かして……私のお腹の辺りを凝視する。

「なに?」

「…………」

 エマはしばらくそのまま考え込んでいたのだが……やがてもの凄く真剣な顔で私の耳元に口を寄せる。

「雲母さん。これからする私の質問に、どれだけ当てはまるか数えてください」

「う、うん」

 エマの迫力に押され、思わずといった感じで頷く。

「じゃ、じゃあ……」

 エマが何でもない健康上の質問を私に囁いてくる。

 何故声を潜めてこんな形で聞いてくるのかは分からなかったが、一つ一つ正直に答えていった。

「最後です、雲母さん」

 その言葉と共に聞かれた質問で……エマが聞きたかった本当の質問に気付く。

 気付いて、頭が真っ白になった。

 確かにそうだ。それしか考えられない。

 何故気付かなかったのだろう……って気付くかバーカ!

 バーカバーカ、グラジオスのバーカ!

 私はさんざん心の中でグラジオスを罵倒しつくした後、ちょいちょいと人差し指だけで部屋の片隅で突っ立っているグラジオスを呼ぶ。

「ど、どうした雲母?」

 嬉しそうだけど、なんと間抜けな表情だろう。

 なぜか……ではない。理由はハッキリしている。とにかく無性に腹が立って……。

「馬鹿グラジオスー!!」

 グーで、思いきり殴り飛ばした。

「な、なんだ? どうした?」

 突然理不尽(グラジオスにとっては)な暴力を振るわれたグラジオスは、大きく狼狽えると頬を押さえて私から距離を取る。

 視界の端に映るルドルフの顔はどこか嬉しそうな気がする。

「うっさい、もっと殴らせろっ! このっ、このぉっ! なんてことしてくれてんのぉ!」

「わ、分かった。よく分からんが俺が悪いんだろう。落ち着け、傷が開く!」

「いいからこっちに来いっ! もっと殴ってやる!」

「何故殴られなければいけないんだ。エマ、雲母になんとか……エマ?」

 エマは私が怒り始めた瞬間から私が暴れやすいように、バケツなどを持って退避していたのだが、なんというか、何とも言えない悟りきった様なアルカイックスマイルを浮かべて何度も頷いている。

 グラジオスの悲鳴も聞いちゃいないというか、当たり前ですとりあえず殴られておいてくださいって感じだ。

 でも、そこはかとなく嬉しそうなのは……。

「グラジオスぅぅぅ~~…………うえぇぇぇぇぇん」

 もうどうしていいか分からなくなった私は、思わず泣き出してしまった。

 危険が無くなったと思ったのか、グラジオスがのこのこ近づいて来たのでとりあえずもう一発入れておく。

 さすがにもう最後にしておいてあげよう。でも許したわけじゃないからね。

 ホントもう、男って自分勝手すぎ! 大変なのは女の私なんだからね!

「……なんなんだ、いったい」

 グラジオスがそうぼやいているが、それを言いたいのは私だ。

「姉御ー! 医者のおっさんが言うに自分そろそろドラム叩いていいそうなんで。あと姉御の事も聞いたら数曲なら歌えるだろうって……」

 こんな修羅場だというのに呑気な声が飛び込んでくる。

 ノックもせずにドアを開けたハイネは、この修羅場を見て……何も言わずにそっとドアを閉めたのだった。

 ……逃がすわけないよね。

「ハイネ! 歌う準備っ! 中庭っ!」

「うっす!」

 ドアの外から元気のいい声が返ってきた後、ズダダダダァーと駆けていく音が聞こえる。

 これでいい。

 だいたい一カ月も全力で歌ってなかったのだ。もうストレスも限界に来ている。

 衝動が抑えられなかった。

「グラジオスは私を抱いて中庭に連れてって」

「あ、ああ」

 また殴られはしないかとおっかなびっくり近づいてくる。

 もう殴らないけど……殴られるようなことしたんだからね?

 ものっごく大事な事なんだからっ! 二人の覚悟がないのにこうなっちゃったから怒ってるの!

「き、雲母さん、さすがに体に悪いですよ」

 普通はそう思うよね。私もそう思う。

「今を逃したら後九カ月は激しい歌を歌えなくなるんだよ? 今日ぐらい許してよ」

「なんだかんだで歌っちゃいそうですけど、雲母さん」

 それは私もそう思うけど。それはそれ、これはこれ。

 私は今歌いたいのだ。

「ほら、早く」

 私はグラジオスの首に抱き着いてお姫様だっこしてもらう。

 このままいくと、衆人環視の目の前にお姫様抱っこを晒すことになるが、今更どうってことはない。

 プロポーズを始めとしたもっと恥ずかしい事をやっているのだから。

「なあ、雲母。なんでそんなに怒ってるんだ?」

「なんで? 身に覚えがあるでしょっ」

「いや、全然……」

 ああ、本当に腹が立つ。もういいや、ぶちまけちゃえ。

「あっそう。頑張って責任取ってよね、お父さん」

「は? オーギュスト卿が何故関係ある?」

 グラジオスは未だ察していないのか、頭の上に疑問符を沢山飛ばしている。

「キララ……まさか……」

 さすがは人の心を読み取るのが得意だけあって、ルドルフはもう気付いたようだ。こちらは多少複雑そうな表情をしている。

 一応、おめでたい事だから祝ってくれてもいいのよ?

「察しが悪いのか……それとも気付かないふりをしてるだけなの? 私のだ・ん・な・さ・ま・は」

 旦那様の所を強調してやる。それで、ようやく気付いたようだった。

 グラジオスはポカンと口を開けて腕の中の私を見て、それから信じられないと言ったように、私のお腹と顔を何度も何度も交互に見て……。

「き、雲母、そ、そ、それは……なんだ、え? 俺は? は?」

 もう完全に頭がショートしてしまった様だ。

 だが、段々と顔が喜びに満ちていき……。

「おぉぉぉぉぉっ!? どどどどどうすれ……歌? 歌っていいのか? 安静にしとかないといけなくはないのか? いやそのまえに祝い? 待て待て結婚を知らせるのが先か?」

「混乱しすぎ」

「いやしかしだな。これで慌てないという方が無理だ!」

「無理でも慌てない。まずは喜べばいいの」

 私はまず怒っちゃったけど。

 あのさ、新たな命を授けてくれた事、とっても嬉しいんだよ?

 だってこんなに好きな人のくれた宝物なんだもん。

 グラジオスの顔を引き寄せて強引に唇を奪ってやる。するとグラジオスは頭の処理能力の限界を超えたのか、そのままの体勢で完全に停止してしまった。

 ……あ、落ちたなこれ。

 いいや、私の足で歩こ。

 私はグラジオスの腕から抜け出すと、裸足のままで床に降り立つ。

 結構長い間まともに歩いていなかったので、少しふらついてしまったが、エマが素早く支えてくれる。

「ありがと、エマ」

「どういたしまして」

 私はゆっくりと歩き出す。多分、いずれ再起動したグラジオスが追いかけてくるだろう。

「雲母さん、何を歌うんですか?」

「そうだよねぇ……久しぶりだもんねぇ」

 様々な曲が頭の中で私を誘惑してくるため、決めきれないというのが本音だ。

 だから、私の心に聞けばいい。

God knows…かみのみぞしる

 ああ、本当に私は、私の人生は、幸せに満ちている。

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『歌い手』の私が異世界でアニソンを歌ったら、何故か世紀の歌姫になっちゃいました 駆威命『かけい みこと』(元・駆逐ライフ @helpme

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