第3話 ロキの愛娘
アスガルドに連れてこられて、郊外に家を建ててもらって。
オーディンの奴は一等地にある屋敷を使えとかなんとか言ってきたんだが、正直立派な物は重荷でしかなかったもんだから、郊外の静かな土地に小さな家を建ててもらった。それからは、俺も他のアース神族の奴等と一緒に何不自由なく暮らしていた。
けど。
けどな。
大事な事を忘れてもらっちゃ困る。
オーディンは俺をアスガルドヘ迎え入れる際家出した娘を探してくれると約束した。だからこそ俺自身アース神族に仲間入りすることにしたのだから、約束は守ってもらわなければならない。
毎日のように訪ねてくるオーディンの息子達は可愛い。しかし、自分の腹を痛めて産んだ娘はさらに可愛く感じるのだ。うん、これ、当然の心理な。
「お前の自慢していたフリズスキャールヴとかいう玉座ですべての世界を見渡せるんだろ?さっさと娘を探してくれよ」
オーディンの住む館ヴァーラスキャールヴの一番奥にある謁見の間(ヴァルハラと言うらしい)で俺は玉座フリズスキャールヴにふんぞり返る家主へ談判した。
俺がアスガルドにきてしばらくたつが、この男は俺の娘について一言も話さない。もしかして、もしかすると今現在娘を探しているのかもしれないが、だったら経過報告のひとつでもしてくれていいと思う。報連相だいじ。
「あ、忘れてた」
「蹴り飛ばすぞクソ主神」
案の定。
案の定だ!
この頭空っぽ自己中心的浮気性エロオヤジ、やっぱり忘れてやがった!
ひとをアース神族に引き込んで(それについては感謝しているが)その時提示した条件を、すっかり頭の中から排除してやがる。一回じゃ足りない。鳩尾を五回貫いても気が収まらない。
ギリギリと歯ぎしりする俺に対し、オーディンの野郎はどこ吹く風といった態度でにこにこ笑う。この男、本当に癪にさわる。
「ヘルちゃんに会いたいんだよね?」
しかし、突然の、しかも意外な言葉に俺は少し思考が遅れた。あれ、こいつの前で娘の名前言ったっけ?それとも、世界を見渡せるフリズスキャールヴってやつは、見ている先にいる誰かの声さえ拾うことができるのか。
「なんでお前がヘルの名前知ってんだよ」
「知り合いだからね」
…どうやら声は聞こえていなかったらしい。
だが、これはどういうことだ。オーディンがヘルと知合いだと。俺と彼女の姿はそれこそフリズスキャールヴから見ていたから娘の姿を知っていてもおかしくないし、俺の娘とどこかで偶然知り合った、ということもおかしくはない。
しかしだ!
ならば何故はじめからそう言わないんだ!見つけた時点で報告するだろう普通!いや、こいつは普通の枠に絶対はまらない奴ではあるが。
「てめえオーディン。知り合ったのならなんで言わなかったんだよ。ひとが娘を探してること知ってたろうが」
「ロキのこと迎え入れる際の口実が欲しくてね」
「俺より付き合い長いのかよ!!」
ということで、ひとつも悪びれた様子の無いオーディンの鳩尾を二回ほど(物理的に)貫いた後、彼に連れられてミーミルの泉までやって来た。
巨人の国ヨツンヘイムにある泉で、知識と知恵が隠されているとかなんとか言われているが、可愛いヘルがこんなところにいるというのか。
「前にここで、ヘルヘイムへの扉を開いてね。その時、ルーン文字の先駆者との仲介を彼女がしてくれたんだ」
「ヘルが、死者の国ヘルヘイムに?」
「彼女、半身が腐ってるだろう、だから、どちらも好きに行来できるみたいなんだ。いや、本当便利だね」
ぺらぺらと話しながらなにやら探しているオーディンに、俺は状況の整理をできないまま黙りこんだ。
ヘルは死者の国であるヘルヘイムにいるらしい。
あそこは実際のところ、死者にしか行くことができないはずだ。その死者は現世へ戻ることができない。よって行来など、できるはずないのだが。ヘルだけは例外とな。
まじか。
まじか!?
「は?俺の娘天才かよ」
「ロキは親バカってことばを知っているかい?」
普段は飄々として誰に突っ込まれても自分以外目に入っていないくせに、こんなときだけ苦笑しやがるオーディンはやはり癪に触る。ツッコミはお前じゃなくて俺の仕事だボケ担当の癖に。
「そういえばオーディン、おまえは何を探してるんだ?」
「ああ、実は以前ここでヘルヘイムに呼びかけたんだよ。腹を裂いて九日間ユグドラシルの枝から逆さ吊りになって初めて半分死ぬことに成功してね。そのとき、それを見つけたヘルちゃんに説教されたんだよ」
何て男だ。ヘルヘイムに用事があるからって、普通自分の腹を裂かねえよ。しかも、九日逆さ吊りって、普通は半分どころか全死に案件だ。
「半分死んでる私に正座させて小一時間説教するなんて、鬼畜具合が君にそっくりだ」
へらへらと笑いながら言うこの末恐ろしい男の言葉が決して誉めていないことが分かるが、娘のしたことは正直鬼畜と言われても仕方ないので(自分が鬼畜扱いされたのは納得行かないが)黙っておくことにする。オーディンじゃなければ間違いなく説教中に死んでたはずだ。
というより、早く質問に答えてほしい。
「で、なにを探してるのか教えろよ」
「ああ!そうそう。その時、ヘルちゃんが彼女に直接通じる門を残してくれたんだ。普段から開いている訳じゃないから、私が開ける必要があるけどね」
なるほど。さすが俺の娘。気が利くな。しばらく会っていないが、立派に育っているのだろうと想像できる言葉に俺の頬が緩んだところで、オーディンがふとこちらを見下ろしてくる。
門が見つかったのだろうか、と思い、俺が視線を返すと彼からは以外な言葉。
「それより、ロキはそのままの姿でいいのかい?彼女にとって君はママなんだろ?」
あ。そういえば。
確かに俺はヘルの前で本来の姿を見せたことがない。本当は親が俺であることを教えるべきなんだが、久しぶりの再会だ。一旦は彼女と一緒にいた頃の、女の姿で会うべきだろう。
「助かった。変身するからちょっと待ってろ」
「門は見つけたから、あとは開くだけなんだ。早く」
「待つことを覚えろよハゲ」
「俺はふさふさだよ」
感謝はしているが、どうもこの男の前でしおらしく礼など言ってやるものかと思ってしまうのは当然の心理なんじゃなかろうか。
俺が完全に変身しきったあと、オーディンの短い呪文が終わるとなにもなかった空間に真っ暗な穴ができた。
そして、間もなく長いウェーブの白髪をなびかせながら少女が穴から現れた。幼顔に、半分が腐敗しているほっそりとした体の彼女は俺が知っている姿より少し成長しているが、 間違いなく愛娘のヘルだ。
「オーディンおじさん、と、ママ!?」
オーディンの後ろに立つ女に変身した俺の姿を確認すると、心底驚いた、といった様子でこちらに駆け寄ってくる彼女。
「ヘル、よかった、元気そうで」
嬉しくて、がらにもなく泣きそうになりながら俺も彼女に駆け寄ると、幼い顔がふにゃりとくずれる。そして、俺の腰に手を回してぎゅっと抱きついてきた。
「心配したのよ、本当に」
「勝手に出てったりしてごめんなさい…」
俺も、彼女のことをしっかりと抱き締める。
「ママの選ぶ服、ほんと、ダサくて嫌になって、でも、出てったあとに、なんだか帰りづらくなって…後悔したの」
しゃくりあげながらぽつぽつと話す彼女を焦らすようなことはせず、じっと黙って耳を傾ける。
俺のセンスはそこまで酷かったのかとか、もっと大きな理由があるもんだと思っていたとか、そんなことは今は置いておくことにする。
とにかく、ヘルが元気で良かった。
彼女とまた話せて良かった。
ヘルは今、ヘルヘイムの住人たちに面倒を見てもらっているらしい。どうやら俺に似て魔術の才能があったようで、前回半分死にかけたオーディンを見つけたのも彼女がヘルヘイムで作った門を管理する術のおかげなのだとか。
やっぱ天才じゃねえか俺の娘。
まあ、あれだ。
その功績が認められて、居なくなったほんの短い期間のうちにヘルヘイムじゃ重要な立ち位置になっちまったらしく。彼女はヘルヘイムに残ることにしたらしい。
「ママ、たまに、里帰りするね」
「あ、その、えーと、その件なんだけど…」
「ヘルちゃん、ママは今アスガルドに住んでいるんだよ」
なんと説明するべきかと考えているうちにオーディンがぺらぺらと話しやがる。まあ、別にやましいことなんてなにもないし、いいんだけど。
「え、ママ、オーディンおじさんの愛人になったの?」
「どこで覚えたそんな知識」
「そうだよヘルちゃん、今日から私が君の新しいパ」
最後まで言い終わらないうちにオーディンの眉間を拳で突いてやる。やはりこの男が口を開くとろくなことにはならないようだ。ジョークのセンスも無さすぎるし。
「違うわ、ヘル。私は彼の好意でアスガルドに住まわせてもらってるだけで、オーディンとはなにも関係なんてないわ」
「え、兄弟になっただろう」
「え、ママ、オーディンおじさんの妹になったの!?」
ああもう!またややこしい話を持ち出して!
オーディンと義兄弟になったのは男の俺であって、女の俺じゃない。今話せばきっとややこしいことになる。だから、この話は俺の本当の姿をヘルに教える時でいいってのに!
「だったら、ママ、ロキ様とも兄弟なの!?ステキ!」
「え?ロ、ロキと?」
「ねえママ、ロキ様に会わせて!私、ファンなの!」
ほらややこしいことになった!
「なんで、貴女が彼のことを知っているの?」
「何言ってるのよママ!ある日突然オーディンおじさんが連れて帰った謎の美青年!いま彼のことを知らない人なんて居ないわよ!」
初耳だよ!
そんな噂初耳だよ!!
そりゃ、ある日突然オーディンの義弟にはなったがほんとにただそれだけの話だってのに何が″謎の″だよ!
あまりの衝撃的事実に俺が言葉を失っていると後ろでオーディンが噴き出した。そりゃ俺だって他人事なら噴き出すわ。
だが、このままじゃだめだ。
噂がどうなろうと百歩譲って良いことにするが、このままでは娘に言い寄られる未来が来かねない。
それだけはだめだ。
ほんと無理。
「ヘル、あの男はやめておきなさい」
そして、絞り出したのはその言葉。
「あの男はね、そこらじゅうの女神を引っ掻けては毎晩違う相手とやりまくる悪男よ」
「え、ちょっと、なにを言っているんだい。ロ」
慌ててオーディンが止めにはいるが俺の名前を言われる前に口を塞いで黙らせる。
「そんな、最低な男に大切な娘を会わせられるはずないでしょう」
「え、え、うそ。だってステキな男性だって…」
「外面だけよ。身内にしか分からないことなんてたくさんあるんだから。だから、あの男はやめておきなさい。遊ばれて捨てられるわよ」
「ママ、ロキ様に何されたの」
つい、力が入りすぎていたようで、怪訝そうにするヘルの様子にはっとして俺はにっこり笑うことにする。そして、彼女の肩に両手を置くと額にキスをして抱き締めた。
「なにもされてないわ」
「へえ、なにもされてないんだ?」
ヘルの声が単調に聞こえたのは多分気のせいじゃない。
オーディンは先程俺に止められてからは一言も発言はしなかった。
ヘルとはたまに会う約束をして、俺たちはアスガルドへの帰路についた。とにかく彼女が元気で楽しく暮らしている事が分かってよかった。とはいえ、ひとつ、訊いておかなければならないことがある。
「お前、ヘルに手をだしてねえだろうな?」
パーツごとに変身を解くため、顔やら腕やらに触りながら言うとオーディンの隻眼がこちらへ向けられる。
「まさか!あんな幼い子供に手を出さないよ!」
そういいながら、大袈裟に両手を広げる仕草が胡散臭いが、たぶんこれは本心だろう。こいつが興味あるのは美人な大人だ。
「お前にもそれなりに常識があると分かってホッとしたわ」
「それは良かった。それはそうと、大丈夫なのかい?」
「なにが」
俺の皮肉なんてなんのその、彼は首を傾げて見下ろしてくる。肩をすくめて返すと、彼は少し考えた後に口許へ手をやってぽつぽつと話始める。
「娘の好感度が最底辺になるような嘘の噂話を聞かせてしまったじゃないか。正直本当に何をしているのか全く理解できなかったよ。さすがにあれは言い過ぎと言うか、今後どうするんだろうかと心配になってしまう」
ああ、正直自分でもなんであんなことを言ったのかと後悔している。娘に言い寄られるようなことはぜったいにごめんだが、今思えばさっきは流しておいて、後に全てを話せば解決する話だったはずだ。
でも、正直さっきは頭が回らなかったと言うか…
「ちゃんと今度自分の正体といっしょに今日のことは謝るさ」
「…それで解決すればいいんだけどね」
「はぁ、浅はかすぎた…」
項垂れているとぐしゃぐしゃと頭を撫でられて相手をにらみあげる。しかし、オーディンといえば慣れたものとでもいうかのように手を離すと肩をすくめて笑いやがる。
こいつ、本当に癪に触る。
「かわいい娘との再会はどうだった?」
ああ、そうだ、こいつのおかげでヘルと再会できたのは事実だ。彼女と知り合いだとすぐに言わなかった事は素直に腹が立つが、彼女を見つけてくれたのも、ヘルヘイムの扉を開いてくれたのもこの男だ。認めたくはないが、今回の件でも彼には本当に感謝している。
「とにかく生きてて良かったよ。驚くほど大きくなってて、安心した」
「うんうん、良かった良かった」
へらへらと笑ってオーディンの手が俺の背中を撫でた。嫌事を言いまくる義弟にこの男は文句のひとつも言わず世話をやいてくれる。
ほんと、懐だけは深いよな。
だから今回だけ。今回だけ。本当に今回だけは言ってやろう。そうだ。今回だけだ。するべき感謝は口に出すべきだ。
「オーディン」
「ん?何かな?」
「………………………………ありがとう」
だいぶ詰まったが何とか言葉を絞り出すと、いつもへらへら笑っている顔が。
見事に破顔した。
それに俺もびっくりしたもんだから、暫くいい大人二人でただ向かい合って佇んでたとかそんなこと。
それから事実とは異なる俺の悪評が広がったり、何故か知りもしない女神に軽蔑の眼差しをむけられた事にヘルが関係しているのは間違いないだろう。
あの子にも噂を広げる友達がいることが分かって嬉しい反面、あまり何でも人に話すもんじゃない事を教えてやっていないことを後悔した。
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