18.露わになり始めた、綻び -ウルスラside-

 ギャレットの目の前には、上下黒い服の赤い髪の男が跪いていた。

 ギャレットが最初に手駒にした、ナダルだった。今ではもう、30過ぎの立派な神官になっていた。


「わたくしは紫の瞳の少年を連れて来いと言ったのに……気絶している間に送り返されるとはどういうことなの」

「ギャレット様……。申し訳ありません」

「もう、お前はゲートを越えられない。別の人間を探さなくては……」


 イライラとしたように扇を打ち鳴らす。

 ギャレットの母であるマーガレットは、幻惑により長い間ギャレットに酷使されていたせいで、心身ともに疲弊していた。

 そして精神に異常をきたし……もうすでに、夢鏡ミラーが使える状態ではなかった。

 だからギャレットは、ナダルをミュービュリに向かわせたあと、どうなったかまでは把握できていなかったのだ。


「何があったのかちゃんと説明しなさい。紫の少年にやられたの?」

「いえ……」


 ナダルは、紫の少年の傍に黒髪の剣術に優れた男性と、黒髪の少女がいたことを説明した。


「この、兄妹と思われるミュービュリの人間にやられました。兄の方が剣術の達人で、防御ガードで防ぎきれないほどの凄まじい攻撃でした。どうにか攻撃を躱して少年に近づこうとしたのですが、妹の不思議な力で押し返され……」

「不思議な……力?」

「この兄妹を押さえなければ、少年を連れてくることは不可能かと……」


 ギャレットはしばらく考え込んだ。


(不思議な力……フェルティガか? しかし、ミュービュリでフェルティガを使える人間はかなり限られていると聞くが……。ウルスラの民の血をひいているのだろうか)


「……つまり、闘える人材が必要、ということなのね」

「はい……」


 ナダルはゲート越えることができる、ということとギャレットが最も信頼している、ということだけで選ばれたため、防御ガードで身を守ることと障壁シールドで隔離すること以外、何もできなかった。

 しかし夢鏡ミラーが使えなくなった今、唯一紫の少年の顔を知っている人間だ。雑に扱うこともできない。

 神官の中には夢鏡ミラーが使えるフェルティガエもいるはずだが、探すためには時の欠片について教えなければならない。

 しかしそれは、トップクラスの極秘事項である。

 さすがのギャレットも、女王の血族だけの秘密を部下に暴露する訳にはいかなかった。


「では、ゲートを越えられて、かつ闘える人間を探しなさい。相手が二人なら、二人必要だわ」


 そうして選ばれた二人が、海岸でトーマたちを襲った男女だった。

 しかしこちらは帰還することなく、時間だけが無情に過ぎていった。

 牢屋に閉じ込めたマーガレットにどうにか夢鏡ミラーを使わせてみたが

「恐れ多い……怖い!」

と叫んでまともに映すことはできなかった。


 どうやら兄妹はかなりの使い手のようだ。無理矢理少年を強奪してくることは難しい。

 そう判断したギャレットは、作戦を変えた。

 幻惑・遠視・障壁シールド隠蔽カバーなどが使える、器用な若い兵士を二人発掘した。そして彼らを派遣し、闘うのではなく隙を見てこっそり攫ってくるように命じた。

 ただし、夢鏡ミラーで覗くことができないため、派遣した後の行動を定期的に報告するように指示した。


 幻惑が効かず、少年がなかなか一人にはならなかったのもあってかなりの日数を要したが……今日やっと、独りで隠蔽カバーを使い消えるところを目撃したのだ。


   * * *


「消えたぞ!」

「慌てるな……俺には見えてる」


 二人の男は小声で会話した。


「あの二人に近いところで攫うと、すぐにバレるぞ。もう少し離れたところで捕獲しよう」

「わかった」


 二人の男は自分達にも隠蔽カバーを使い、こっそりと少年の後を追った。

 少年はあまり離れる気はないらしく、道路に出たぐらいで止まり、花火を見上げた。車が時々通るので、人が誰もいなくなることはない。


「……どうする」

「だけど油断しているようだ。お互い隠蔽カバーで姿を消している今が、むしろチャンスじゃないのか」

「……よし、やるか」


 そして二人の男は少年に飛びかかった。

 一人が一撃を加えたあと、身動きできないように少年を抱え上げる。

 すぐさま道路を渡り、さらにその先の空地まで急いで走った。

 空き地につくと、一人は少年に幻惑をかけて眠らせようとしたが、効かなかった。

 もう一人はとにかくすぐに運ばなければと考え、ゲートを開いた。


「……待て! 障壁シールド! 気づかれるぞ!」

「あっ!」


 慌てて障壁シールドを張る。

 そしてゲートが開いたが……急いで開けたために、高い位置に開いてしまった。


「何やってんだ! これじゃ俺一人で運べないぞ!」

「二人で抱えあげれば……」


 そのとき、障壁シールドが壊され……兄妹が現れた。

 兄の方が何かを叫んで二人の男に突進する。

 二人の男はフェルティガを放ったが、びくともしなかった。


「……効かないのか?」

「危ねぇ!」


 少年を抱えていた二人は蹴飛ばされて咄嗟に少年を離してしまい、その隙に奪い返されてしまった。

 男二人がなおも掴みかかろうとすると、黒髪の少女が立ちはだかった。


「……誰の命令で来たの!」


 少女がウルスラ語で二人に叫ぶ。二人はぎょっとしてしまった。

 てっきりミュービュリの人間だと思っていたからだ。


 しかし、この紫色の瞳……髪の色は違うが、まさかシルヴァーナ様では?

 ――だとしたら、シルヴァーナ様を捕まえた方が、ギャレット様はお喜びになるんじゃないか?


 二人の男は目で会話すると、少女に飛び掛かって抱え上げた。

 傍らから急に現れた女が掴みかかって来たが、軽く吹き飛ばす。

 そして、素早くゲートに飛びこんだ。


「離して!」

「ゲートで暴れんなよ! どこに出るかわかんねぇぞ」

「どこに出ようが、関係な……」

「……ちっ……」


 もう一人の男は舌打ちをすると、咄嗟に幻惑をかけ、眠らせた。

 隙をついたのでどうにか効いたようだ。


「よし、急ごう!」

「おう」


 二人の男はこれでギャレット様に褒められる、と意気揚々と走りだした。

 ゲートを越えた先は、ウルスラ王宮の南の塔の、ある一室――そこにはナダルが待ち構えていた。


「おい、少年はどうした」

「抵抗されて、咄嗟にこっちを……」


 ナダルは少女の顔を見る。


「……まさか、この方は……!」

「シルヴァーナ様だと思うんですよ。ナダル様もそう思います?」

「これはこれで、ギャレット様も喜んでくださるはずですよ。だって、一番邪魔な存在でしょ?」


 二人の若い男はニヤニヤしていた。

 彼らはまだ年若い兵士でまともに教育されていないので、女王の血族に対する敬愛というものは皆無だった。

 今回の作戦に使える、というだけでギャレットが幻惑をかけたのである。


(ギャレット様が、シルヴァーナ様を……?)


 ナダルの頭の霧が、少し晴れる。


「……とにかくお前たちは、ギャレット様に報告をしてくるのだ。この少女は私が見張っておく」

「わっかりましたー」

「行こうぜ」


 二人の男ははしゃぎながら部屋を出ていった。

 ナダルは眩暈を感じながら、ふらふらと少女の前でしゃがみこんだ。


(ギャレット様についてきて、十年が経とうとしている。そういえば……ギャレット様はなぜ少年を必要としていたのだ? てっきりミュービュリに迷い込んだフェルティガエを確保したいのだと思っていたが……)


 ナダルは実直な男だった。そのためギャレットも幻惑だけでは全てをまるめこむことはできず、黒い真意は伏せていた。

 そして最近はあのような若い人間を傍に置くことも増えたため、ギャレットに対する疑念がナダルの中に湧き上がっていた。


(自分だけは特別だと思っていたが……それは間違いなのではないか?)


 その一つの疑念が……ギャレットの幻惑を微かに揺るがし始めていた。

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