17.膨らみ続ける、劣等感 -ウルスラside-

 秘密の会議の翌日、イファルナは長き眠りに入った。王宮の最奥にある、女王の間において。


 それを見計らって、ギャレットはウルスラ王宮のほぼすべての神官・兵士を玉座の間に集めた。

 エレーナとシルヴァーナに直接ついている女官とその娘、そして神官長の姿は見当たらなかった。


 玉座に座ったギャレットと、その傍らにはマーガレットもいた。しかしエレーナとシルヴァーナは、その場にはいなかった。

 ギャレットの幻惑により、配下の神官が西の塔の出入り口に外から鍵をかけてしまったからだ。


 これで……二人は、西の塔から出られない。

 人がいないことに気づいても、どうにもできないだろう。

 ――そしてギャレットの女王代行とシルヴァーナが皇女に就いたことが、マーガレットの口から告げられた。


「何故ギャレット様が女王代行? 本来なら即位しているはずで……」

「ギャレット様という方がありながら、どうしてシルヴァーナ様が……」

「長子の血筋優先かもしれませんが……」


 ギャレットはこれまで皇女としての努力を怠らなかった。

 そして恵まれた容姿と優れた才覚から、東の塔の部下に絶大な信頼を寄せられていた。

 そのため、幻惑を使うまでもなく、皆の同情を引くことに成功した。


 西の塔の部下にはシルヴァーナやエレーナを慕う人間もいたが、ギャレットを排除すべきだと考えていた人間はいなかった。

 時の欠片が千年も失われていたことは女王の血族のみが知る事であり、部下たちは全く知らない。

 今回の皇女変更は、イファルナ女王の暴挙に思える人間が殆どだった。

 よって神官も兵士も、総じてギャレットに同情的だった。


「……皆さん。イファルナ女王の決定に異を唱えてはなりません」


 ギャレットが厳かに言うと、口々に不満を漏らしていた部下もシン……と静まり返った。


「シルヴァーナ様はまだ幼い。シルヴァーナ様とその母エレーナ様は大切な御身……。どうすればお守りできるのか……」


 ギャレットはとても心配しているように胸を押さえ、考え込む素振りをした。

 その横で、マーガレットが部下達をキッと見回した。


「何かあってからでは遅い。直に接触する人間を極力減らしましょう。今付き従っている女官にはそのままいてもらい……西の塔の出入り口は施錠をし、私の許可なく立ち入ることを禁止します」


 マーガレットがそう言うと、西の塔の神官が少しざわついた。


「お母様……何もそこまで……」


 ギャレットが憂いを帯びた表情でマーガレットに言うと

「今シルヴァーナ様に何かあれば、血が絶えてしまう。厳重にお守りしなければならないでしょう」

と、言い返した。


「……そうですね」


 ギャレットは仕方なく頷いた、ように見せた。


「西の塔の神官、兵士の皆さん。無理を言って申し訳ありませんが、何とぞご協力をお願いいたします。わたくしも女王代行として少しでも人手が欲しいところです。至らぬ身ですが、是非そのお力をお貸し頂きたいと思っております」


 ギャレットが立ち上がり、深々とお辞儀をする。

 その様子に、少し疑問を持っていた西の塔の部下も静かになった。


「しかしいくらお守りしても、血が絶えてしまうことへの不安は拭い去れません。ギャレットは……女王代行として女王の血筋を残す努力をしなければなりません」


 マーガレットの言葉に、特に若い兵士達がどよめく。


 ギャレットは少し困ったような顔をすると

「お母様……何も今……」

と言いかけたが

「今だからこそです。あなたの他にいないのですよ」

と遮られてしまった。


 ギャレットは当惑した表情を浮かべながら、ちらりと部下達を見回した。

 マーガレットの言葉に頷く者、ギャレットに同情を寄せる者、ギャレットの目に留まらないかそわそわする者……概ね、ギャレットに反感を抱いている者はいないようだ。


(お母様に言われて仕方なく動かざるを得ないわたくし……非常時ゆえ、極端な手段を取らざるを得ない状況……。どうやらその方向で、ほぼ全員納得させられたようね)


 ギャレットは心の中でほくそ笑んだ。


(滑り出しは上々。あとは徐々に、幻惑で皆の心を掌握すればいい)


   * * *


 その日のうちに、エレーナとシルヴァーナは西の塔の奥深くに軟禁される形になった。

 移動できるのは居室と居室に面している庭だけである。

 また、イファルナが眠る最深部の女王の間にも近いため、無闇に力を使う訳にもいかない。女王の眠りの妨げになるからだ。


「なぜ、こんな……」

「今シルヴァーナ様の身に何かあれば、女王の血が絶えてしまいます。何とぞご辛抱を……」


 エレーナの訴えに護衛の兵士が答える。ギャレットが念のため幻惑をかけたため、兵士には全く隙がなかった。


「これは、誰の命令ですか?」

「マーガレット様です。ギャレット様も心を痛めておられますが、10年間だけです。何とぞ、ご容赦を……」


 エレーナは腑に落ちなかったが、厳重に守られているのは確かである。

 とりあえず、成り行きを見守ることにした。


(マーガレット……何を考えているの? あの、オドオドと人の顔色を窺うことしかできなかった妹が。それとも、ギャレットなのかしら? 二人を視ることができない以上……ミュービュリを監視するしかないわ)


 庭に目をやる。幼いシルヴァーナが少し年上の女官の娘、マリジェンカと遊んでいた。

 金色の髪が風になびいて、紫の瞳がきらりと光っていた。


(シルヴァーナ……あなたのためにこの母が、時の欠片を見つけてみせるわ)


   * * *


 一方ギャレットは、同じイファルナの孫でありながら皇女の座を奪った従妹いとこを、言葉では言い表せないほど、憎んでいた。


(器がない、そのせいで皇女を廃されるという憂き目を見た。わたくしが娘を生んで、その娘に器があれば、あやつなんぞに女王の座を渡さずに済む!)


 ギャレットは女王代行の十年を、これにすべて賭けることにしたのだ。


 そして数日後の夜。ギャレットの寝所に、ナダルという一人の青年神官が呼ばれた。マーガレットが視て選んだ、比較的強い力を持つフェルティガエだった。

 位としてはまだまだ下の方だったため、直接ギャレットと会話することなどあり得ない。

 そのため、ナダルは極度に緊張していた。彼の赤い髪がわずかに揺れていた。


「わたくしは、正式な女王ではありませんが、女王代行として『結契の儀』に臨みます」

「ギャレット様……」

「ナダルよ……女王ではないわたくしですが……どうか、私を、助けて……」


 ギャレットがはらはらと涙をこぼす。美しいギャレットが自分のような下級神官を頼っている。

 それだけでナダルは天にも昇る気持ちになった。

 正式な女王ではない、ただそれだけのことで心を深く傷つけられているのだ。

 自分がこの方をお守りしなければ……!


「そんな、ギャレット様……非常に光栄なことと思っております。わたしは、生涯、ギャレット様のために……」

「……」


 ギャレットはうっとりするような顔で微笑みかけ……ナダルを魅了した。

 そして瞬く間に……ナダルもギャレットの幻惑の虜となっていった。



 女王の『結契の儀』は、本来秘密裏に行われ、関わった人間の記憶も消されるはずだった。

 女王の血筋の父親となった人間に権力が集中することを避けるためであった。

 しかしギャレットは、そうはしなかった。


「あなたがわたくしを忘れるなんて我慢できません。わたくしには……どうしてもあなたが必要なの」


 強いフェルティガエをより惹きつけるために、そう囁き、記憶を消さない代わりにより深く操っていった。

 そのためギャレットに関わった若いフェルティガエの男性たちは皆ギャレットに溺れていき……いつしか、幻惑で操られるようになった。


 こうしてギャレットは、強い力をもつ娘を生むという目的だけでなくフェルティガエの手駒を増やすために、あらゆる手を使った。

 女性のフェルティガエは、自分の手駒の男性フェルティガエを通じて集めていった。

 こうして――ギャレットは、王宮の大半のフェルティガエを手中に収めた。



 一方――シルヴァーナに残されたフェルティガエは、最初からエレーナ付き女官として傍にいた女性と、その娘のマリジェンカだけだった。


 なぜギャレットはこれほどフェルティガエを欲していたか……それは、ミュービュリで時の欠片の少年を手に入れるためには、ミュービュリへのゲートを越えられる人間が必要だったからだ。

 母、マーガレットは夢鏡ミラーと呼ばれる力でミュービュリを覗くことはできても、ゲートを越えることはできなかった。

 ゲートを越えられるのはフェルティガエの中でも限られた人間のみだったからだ。


 そのため、ギャレットは誰よりも先に少年を手に入れるつもりで、早い段階からフェルティガエを掌握したのだ。


 そしてギャレットは、女王代行に就いてから二人の娘を生んだ。

 長女のシャロットはギャレットに似て行動力のある、赤い髪が印象的な元気な娘だった。

 その一年後に生んだコレットは、栗色の髪の大人しい娘だった。

 いずれにしても、8歳になるまでは器があるかどうかは分からない。

 どちらにも器がなかった場合を考え、ギャレットはまだまだ生むつもりだったが……それ以降、どうしても子はできなかった。


 ギャレットは分け隔てなく二人を扱っていたが……ある日突然、姉のシャロットを遠ざけた。

 4歳になったシャロットは東の塔の隅に追いやられ、神官に預けられた。

 そして8歳になっても、器の証である紫の瞳は現れなかった。


「器がない王女なら仕方がないだろう」


 大半がギャレットの手駒と成り下がっていたため――シャロットの不遇を嘆く者はいなかった。

 しかし、1年後……ついに、その時がやってきた。

 コレットには器があったのだ。


(これであの忌々しい女を追いやり、女王の座を奪い返すことができる!)


 来たる日のために、ギャレットはコレットの教育をあらゆるフェルティガエに依頼した。

 そして、マーガレットには時の欠片の……『紫の少年』を探させていた。

 イファルナの予言通りなら、あともう少しで現れるはず。

 シルヴァーナではなく自分の娘、コレットを女王にするためには、先に少年を押さえなければならない。


 コレットはまだ8歳。女王になるためには、最低でもあと10年は待たなければならないが、先に紫の少年を押さえてしまえば、現在の皇女であるシルヴァーナが即位することはできなくなる。


 そして、この春……マーガレットの夢鏡ミラーが、ついに紫の少年の姿を捉えた。

 長い月日をかけたギャレットの計画は成功に終わる……ように見えた。

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