13.俺にはまだ、覚悟が足りない

「……あれ、何?」


 遊園地の出来事から――つまり、シィナが大きくなってから2日後。

 いつものように公園で筋トレをしていると、シィナが何かを指差して不思議そうな顔をした。

 見ると、部活帰りの男子高校生の集団が公園の外の歩道を自転車で通り過ぎていくところだった。


 二人乗りをしていた高校生達が

「行くぞー!」

「お前、やめろよー」

とか喚いていて、何だかとてもはしゃいでいる。


「……高校生だな」


 今のシィナは、14、5歳といったところだと思う。

 どうやら封印が壊れたせいで、毎日少しずつ大きくなっているようだ。


「コウコウセイ?」

「えっと……同じ年の子たちが高校という場所に行って……」


 説明しようとすると、シィナはぷるぷると首を横に振った。


「そうじゃ、なくて……あの……乗り物?」


 シィナが両手でハンドルを握る動作をしてみせる。


「……自転車だな」

「ジテンシャ?」

「歩くよりは早く移動できる乗り物で……」


 説明しながらシィナの顔を見ると、目をキラキラさせていた。


「……乗ってみたいのか?」

「うん!」

「……大丈夫かな」


 俺の場合、保育園ぐらいまでは補助輪付きのを乗っていて……小学校に入ったぐらいで初めて補助輪なしで乗れた気がする。

 じいちゃんが近くの原っぱで教えてくれたっけ……。

 近所の女の子がなかなか乗れなくて、よく転んでは泣きべそをかいてた覚えがあるな。


「大丈夫!」

「いや、シィナの気持ちの話じゃなくて……」

「別にいいんじゃない?」


 休憩がてら木蔭で本を読んでいたユズが、顔を上げた。


「あんまり使ってないけど、僕のがあるよ」

「本当!?」


 シィナが嬉しそうにユズに駆け寄る。


「いや、あれっていきなり乗れるものかな? 怪我したら……」

「え、後ろに乗せるんじゃないの?」


 ユズがちょっと驚いた様子で俺を見る。


「あ、そうか……」

「違う。私がするの」


 シィナはそう言うと、自転車に乗る動作をしてみせた。


「……やっぱり」


 何となく、そっちだと思った。シィナって、実はかなり好奇心旺盛だし。

 テレビを見ていても、あれは何だこれは何だと、最近は結構質問してくるからな。


「ユズ、ジテンシャ、どこ? 早くやりたい」

「あー……」


 言ってしまった手前、なかったことにもできず……ユズは渋々立ち上がった。


「ユズ……」


 俺がちょっと溜息をついてユズを見ると、ユズは困った顔はしていたものの

「まぁ、仕方がないよね」

と、あまり心配していないようだった。


「仕方ないって……」

「後ろを持ってあげるとかして、ゆっくり練習すればいいんじゃない?」

「でも転んだり……」


 シィナは「早く、早く!」と言いながら、もうアパートの方に駆け出している。


「シィナは防御ガードできるし」

「うーん……」

「……」


 渋る俺に、ユズがちょっと溜息をついた。


「トーマって過保護になるタイプだったんだね。……ちょっと意外」

「……え?」


 俺がポカンとすると、ユズはくすりと笑った。


「……意味がわからない?」

「ああ。何のことだ?」

「とにかく行こうよ。ほらシィナ、もうあんなところまで行ってるから」


 ユズが指差した方を見ると、シィナが

「ユズ、トーマ、早く!」

と言って公園から出ようとしている所だった。


「あー、待て、独りで行くな!」


 シィナだって狙われているかもしれないのに……!

 俺が慌てて駆け出すと、ユズも呆れたような溜息をつきながら走りだした。


   * * *


「……これがジテンシャ」


 ユズの自転車を公園まで持ってくると、シィナが興味深そうにいろんな角度から覗き込んでいた。

 ユズが高校のときに着ていたジャージに着替えている。


「じゃ……」

「待て待て!」


 いきなり跨ろうとしたシィナを慌てて止める。


「なあに?」

「まずお手本を見せるから」

「……うん」


 シィナが素直に頷いたのを確認して、俺は自転車に跨ってゆっくりと漕ぎ始めた。

 とりあえずなるべくゆっくり漕いで公園の中央の芝生の周りを一周する。

 スピードを出してしまうと、そのまんまシィナが真似してしまったらマズいからな。

 戻ってくると、シィナがパチパチと拍手をしていた。


「楽しそう!」

「とりあえず、後ろに乗ってみるか?」


 ひょっとしたらそれで満足してくれるかもしれない。

 そう考えて言ってみると、シィナは「うん」と頷いて後ろに跨った。さっきの男子高校生の二人乗りを見ていたので、乗り方はわかったらしい。


「これでいい?」

「いいけど、ちゃんと俺に掴まってろ。落ちたら危ないから」

「……うん」


 シィナは頷くと、俺の腰に手を回した。少しドキリとする。

 別に女の子との二人乗りが初めてという訳ではない。

 山奥の中学校に通っていたときは、クラスの女子が捻挫したときに家まで送ってあげたこともあったし……。

 だけど、その時とは違う……何かが俺の中で燻っているのを感じた。


「……トーマ? まだ?」


 いつまで経っても俺が漕ぎ始めないので、シィナがギュッと腕に力を入れた。


「ああ……悪い、悪い。んじゃ、行くぞ。絶対に離すなよ」


 俺はそう言うと、足に力を入れて自転車を漕ぎ始めた。

 ゆっくりと……周りの風景が流れ出す。


「わー……」


 シィナが背中でキョロキョロする気配がした。


「すごーい……風、気持ちいい!」


 もっといろんな景色を見せてやりたいと思ったけど、ユズを置いて遠くに行く訳にはいかない。狙われているのは、どうやらユズのようだしな。


 俺は芝生の周りをゆっくりと一周してユズのところまで戻ると、ブレーキを握って自転車を止めた。


「ま、こんな感じだ」

「面白かった……」


 自転車から降りながら、シィナが満足そうに吐息を漏らした。


「もういいか?」

「うん。今度は自分で乗りたい」

「……」


 どうやら後ろに乗っただけでは満足できなかったらしい。

 俺は諦めて自転車を降りると、シィナにハンドルを握らせた。


「……ちょっと重いね」

「そう。だから、ちゃんと支えてろよ。自分の方に倒れたら危ないから」

「うん」

「じゃあとりあえず、跨ってみろ」


 サドルの高さを直して座らせてみる。

 シィナは自分の足元を見たり自転車の前輪を見たりとキョロキョロしていたが、やがて

「これ……どうやって始めるの?」

と、困ったような顔で俺を見上げた。


「ぐ……」


 その表情が妙にツボだったので思わず目を逸らす。


「ぐ?」

「シィナ、左足は地面のままで……右足をペダルに置いて」


 どうやら俺は使い物にならないと思ったらしいユズが、てきぱきとシィナに指導し始めた。


「ペダル?」

「ここ。……で、思い切り踏み込む」

「踏み込む……」

「転びそうと思ったら、必ず防御ガード……わっ!」


 シィナは何の躊躇もなく漕ぎ始め、あっという間にバランスを崩した。


「きゃっ!」

「シィナ!」


 走っていって慌てて自転車ごと支える。シィナはどうにか両足を地面につけると

「難しい……」

と呟いて肩で息をしていた。


「……シィナ、ちゃんと最後まで話を聞いて」


 ユズが珍しくムッとした様子で歩いてきた。

 その様子にシィナがちょっとビクッとなって俯く。


「ごめんな、さい……」


 ユズって、実は教えることは嫌いじゃないんだよな。テスト前になると、俺にも勉強を教えてくれたし。

 だけど、教えるときは人が変わるというか、妙に本気になるのでちょっと怖いんだが。

 まさか、勉強以外でもそうなるとは思わなかった。


「右足で踏み込んだ瞬間に左足をペダルに乗せて、両足で漕ぐんだよ」

「……?」


 シィナがよくわからない、という顔でユズを見る。


「ね? わからないでしょ。だから話を聞きなさいって言ったんだよ」

「……うん」

「じゃ、まずはスタンドを立てたままで漕ぐ練習をしよう。シィナ、ちょっと離れていて」

「……うん」


 シィナは大人しく頷くと、自転車を降りた。


「トーマ、さっきはありがとう」

「さっき……ああ、転びそうになったときか」


 俺はシィナの頭をぽんぽんと叩くと

「自転車で転ぶと、結構痛いし、怪我もするんだ。気をつけないと」

と言い聞かせた。


「だから、絶対無理をしないこと。転びそうになったらちゃんと防御ガードをすること。それと……」

「え……まだあるの?」


 シィナがかなり困った表情で俺を見上げた。

 俺は力強く頷くと、

「……これが一番重要だから」

と少し声を潜めた。

 聞きづらかったらしいシィナが

「……ん?」

と言いながら俺の顔の傍まで自分の顔を近づける。

 ちょっとドキッとして

「……近いな」

と言って仰け反ると、シィナが不満そうな顔をした。


「だって、よく聞こえないんだもの」

「あー……とにかく」


 こほんと咳払いをする。


「いいか? とにかく、ユズの言うことをちゃんと聞くこと。ユズは普段と違って鬼になるからな」

「おに……」

「聞こえてるよ、トーマ」


 ユズがちょっと憮然としながら、俺を睨んだ。


「さ、シィナ、始めるよ」

「はい!」


 俺の言葉が効いたのか、さっきまでとは打って変わってシャキッとする。

 はあ……そっか、たまにはムチの方が効くのかな……。

 俺は、シィナに甘過ぎるのかもしれない。

 まるで教官と生徒のようになっている二人を見ながら、俺はそんなことを考えていた。


   * * *


「……トーマ、後ろ持ってる? 大丈夫?」


 シィナがびくびくしながら振り返る。


「大丈夫。とにかく漕いでみろ」

「う……うん!」


 シィナがゆっくりとペダルを漕ぎ始める。

 ふらふらしているが、俺が補助輪代わりに手で支えているおかげでどうにか前に進んでいる。


「これで、いい? トーマ、持ってる?」

「ちゃんと持ってる。もうちょっとちゃんと漕がないと、ふらつくぞ」

「やっ……怖い!」


 シィナはブレーキを握って自転車を止めてしまった。

 実は、最初に派手に転んでしまったので――とっさに防御ガードしたから怪我はなかったが――ちょっと恐怖心を抱いてしまったらしい。


「ユズ……」

「もう教えることはないよ。後は慣れるだけ」

「……」


 シィナが不安そうな顔で俺を見上げた。

 怖いならやめておくか、と言いかけたけど……俺はその言葉を呑み込んだ。


 シィナは今、ウルスラという現実から逃げ回っている。

 でも、嫌なことから逃げているだけじゃ……何も解決しない。

 自転車とは全然関係ないことだけど、ここで「諦めてもいい」と言うのは、何か間違っている気がした。

 多分、ユズも同じ気持ちなんだろう。


「シィナ、勇気を出して」

「勇気?」

「そう。ちゃんと足に力を入れて、前を向いて、勇気を出してしっかり踏み込めば乗れるから」


 俺がそう言うと、シィナは

「ちゃんと、しっかり……」

と呟いて少し俯いた。


 そして、しばらくして

「……うん」

と頷くと、再び自転車に跨った。

 ペダルに足をかけ、真っ直ぐ前を向く。


「ちゃんと後ろは持ってるからな」

「……うん!」


 そう力強く返事をすると、シィナはペダルを漕ぎ始めた。

 ……さっきよりふらついていない。

 俺が言った通りに――しっかり前を向いている。


「わー……こう? これでいい?」

「いいぞ!」


 シィナの漕ぐスピードが上がってきた。この調子なら、もう一人で乗れるかもしれない。

 ……手を離してみようか。でも、離した瞬間にバランスを崩したらどうしよう……。

 いや、さっき思ったばかりじゃないか。俺はシィナに甘過ぎるって。


 俺は思い切って手を離してみた。

 シィナは気づかないまま、自転車を漕いでいる。


「何かわかってきたー! 気持ちいい!」

「――そのままぐるっと一周回って戻って来いよ!」


 後ろから声をかけると、シィナが「うん!」と頷いてペダルを漕ぐスピードを上げた。

 その後ろ姿を見送りながら、俺はユズのいる場所まで歩いて戻って来た。

 ユズが少し困ったように微笑んでいた。


「……トーマ、いつまでも手を離さないかと思ったよ」

「いや……だって、一人でも乗れそうだったから……」


 そう答えながら、俺は戻ってくるシィナの嬉しそうな顔を見つめた。

 同じようにシィナを見つめながら、ユズは溜息をついた。


「シィナって……姿だけじゃなくて、自分の可能性もすべて、抑え込んでしまっている気がするんだ」

「自分の可能性……?」

「ウルスラのことや……女王のこと。シィナが記憶を取り戻して、ちゃんと本気で立ち向かえば、多分、あっと言う間に片付くことだと思うんだ。だけど……」


 そこまで言うと、ユズは何やら考え込んでしまった。

 勇気と……可能性……。

 自分が言った言葉と、ユズが言った言葉。

 それは共に、俺にも返ってきたような気がした。



「――トーマ! ユズ!」


 シィナが一回りして俺とユズのところに戻って来た。


「乗れたの、ちゃんと!」

「……そうだな」

「トーマが後ろにいると思って、安心して……あれ?」


 自転車の後ろを振り返り、首を捻る。

 そして前を向くと、俺の顔をまじまじと見た。


「……トーマ……後ろ……あれ?」

「トーマは途中から手を離したんだよ。シィナはちゃんと、一人で自転車に乗れたんだ」

「離したの!? えーっ!」


 ユズの言葉に、途端に泣き出しそうな顔になる。


「こら。急にそんな顔するなよ。それでも、ちゃんと乗れただろ」

「でも、でも……」

「――シィナ」


 俺はシィナの顔を見つめ、ちょっと笑った。


「シィナはすぐ甘えるからな。独りじゃできないって思い込んでたら、何もできなくなってしまうだろ? だから……」

「そうだけど、騙すなんてひどいものー!」


 シィナはそう叫ぶと、自転車を放り出して俺に抱きついてきた。


「だから、急に抱きつくなって! もう子供じゃないんだから……」


 そうは言いつつも、とてもじゃないが拒絶することはできず、俺はそのままシィナの頭を撫でていた。

 ユズがちょっと溜息をつきながら倒れた自転車を起こした。

 そして俺達の方を見ると

「……トーマって……」

と呟いていた。

 その先は聞こえなかったけど――きっと、俺が自分で不安に思っていることと同じことを、言いたかったに違いない。


 太陽は、もう西に傾き始めていた。

 その柔らかな光が俺達を照らしている。

 俺は、溜息をついた。



 シィナは可愛い。ずっとこうやって一緒にいてやりたい。

 シィナが来てからの毎日は、驚きの連続だったけど、楽しかった。

 だけど、こんな生活が永久に続く訳がない。

 いつか……シィナが元の世界に帰る時が、来る。


 そのとき、俺は……今と同じように、手を離してやれるだろうか?

 帰りたくないと言ってシィナが泣いても、ちゃんと背中を押してやれるだろうか?


 シィナだけじゃなくて、俺もその覚悟を問われている。

 そんな気がして……俺は複雑な思いで空を見上げた。

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