12.僕にできることを、考える -ユズside-

「異世界の人間との恋なんて……不幸を呼ぶだけだ」


 僕がそう言うと、トーマは一瞬黙り込んで、俯いた。

 傷ついたんだろうか。でも、これは僕が言うべきことで……。


「お前……不幸しかないって思ってるのか?」


 トーマの声が、少し震えていた。

 傷ついた訳じゃ――ない。


 そのことに気づいて、僕はハッとした。

 顔を上げたトーマは――本気で怒っているように見えた。

 ガッと、僕の襟首を掴む。


「スミレさんのこと……お前が全部、否定するのかよ!」


 トーマの言葉に、僕は息を呑んだ。

 僕が、母さんを否定する? 母さんの生き方を?


「詳しい事情はわかんねぇけど。でも……スミレさんはいつも楽しそうだった。俺がユズの家に行くと、いつも嬉しそうに話してくれた。ユズが笑うようになった、いろんな話をしてくれるようになった、本当にありがとうって……いつも、お前のことばかりだった」


 トーマは俺の首から手を離すと、溜息をついた。


「俺は、スミレさんが不幸だったなんて、認めない。勿論、ユズもだ」


 トーマは僕から目を逸らすと、ムッツリと黙り込んだ。


(不幸なんてのは……よっぽどじゃない限り、本人が不幸だと思い込むからそうなるだけなんだ。俺はじいちゃんとずっと二人だったけど、不幸だなんて思ったことはない。ユズと出会ったこと……今、シィナと出会ったことも含めて、全部幸運だったって信じてる)


 トーマの心の声が聞こえて……僕は、少し泣きそうになってしまった。

 明るくて、面倒見が良くて、ポジティブなトーマは、深い闇に沈みそうな僕をいつも、明るい世界に引き上げてくれる。


「……ごめん」


 とりあえず、自分が不幸な存在だと思ったことについては、謝っておこう。

 それが母さんを否定することになるというのなら、確かに間違いだから。


「……わかったんならいいけど」


 トーマは感情的になってしまったのが恥ずかしくなったのか、少し赤い顔をしていた。

 そしてドカッとベンチに腰掛けると、再びシィナの方を目で追っていた。

 多分、シィナが狙われる可能性も考えて目を離したら駄目だと思っているから、だろうけど……それだけではないように、思えた。



 今朝、シィナにも「トーマを好きになっても駄目だよ」と言ってみた。

 コミュニケーション不足の僕はストレートに言うしかなかったけど……でも、多分、そういう問題じゃないんだろうな。

 シィナは明らかに沈んでしまって……。でも根は頑固なのか、頑なに首を横に振った。


「トーマに……会いに来た。それは憶えてる。会いに来たのは……ユズにも、だけど。だから、言うこときけない」

「……」


 僕は黙って左目をシィナに見せた。シィナは目を見開くと

「ユズ、目が奇麗」

と呟いた。


「それはどうも。……何か思い出した?」

「……」


 ちょっと押し黙った後、シィナは首を横に振った。

 そのとき僕がシィナから読み取った映像は……自分で鏡を覗いたらしいシィナの姿だった。

 年齢は今よりもう少し上で、金髪で、両目とも紫色の瞳……。

 少し意識を揺さぶられて、思い出したようだ。


 ……やっぱり、シィナは女王の血族に違いない。

 でもシィナは、すぐにその映像を真っ黒に塗りつぶしてしまった。

 よほど思い出したくないようだ。


「ずっと、トーマに会いたかった。記憶が戻ったら……多分、一緒に居られない。それは何となくわかってる。だから、このままがいい」


 僕は思わず溜息をついた。

 朗らかに見えてこの頑固さ……やっぱり、母さんに似ている。


「……そうも言ってられないと思うけど……」


 僕が呟くと、シィナはちょっと僕を睨んだ。


「シィナ、大きくなる前に起こったこと、覚えてる?」

「……トーマが飛ばされて、すごく怒った。そこまでは憶えてる」

「今の生活が続くと、トーマは僕たちを守るためにずっと闘い続けることになる。ああいうことがこれから何回も起こることになるんだ。身体がもたないよ?」

「……!」


 シィナは言葉に詰まったようで……唇を噛んで、僕を睨んだ。


「ただ、一緒にいたいだけじゃ……駄目なんだよ」

「……ユズの意地悪」


 シィナがちょっと涙目になった。

 そこでトーマが買い物から帰って来たから、そのままになってしまったけど。


 ――結局、もう止まらないということか。

 僕にできることは……二人が少しでも傷つかずに済むように、見守ることだけなんだろうか。



 そんなことを考えていると、シィナが買い物を終えて僕たちの方にやって来た。

 楽しかったらしく、とても足取りが軽い。にこにこしている。


「買い物、した。お店の人、教えてくれたの。可愛いの」

「見せなくていい!」


 買ったものを見せようとしたシィナを、トーマが真っ赤になって慌てて止めた。

 シィナはそんなトーマにお構いなしに「連れてきてくれてありがとう!」と言って飛びついた。

 トーマはますます赤くなって「くっつくな」と言ってシィナを押しのけた。

 シィナは「えー……」と呟いて残念そうにしている。


 二人を見ていると、先のことを気にしてあれこれ考えているのが馬鹿らしくなってしまった。

 トーマがいつも言うように……まず、目の前のことを一つ一つ片付けていけばいいのかもしれない。


   * * *


 アパートに戻ると、もう夕方だった。

 少し休んだあと、

「やっぱりちょっと走ってくるかな」

と言って、トーマはすっくと立ち上がった。


「今から?」

「昨日サボったし……こういうのは続けないとな」

「私も行くー」


 シィナが無邪気にトーマに抱きつく。


「うわぁ!」


 トーマは真っ赤になると

「シィナ……頼む。いきなり抱きつくのはちょっとやめてくれ」

と、シィナを引き剥がした。


「……何で?」

「大きくなってるから」

「……?」


 シィナは少し不思議そうな顔をした後、僕の方を真っ直ぐに見た。


「ユズ。私も頑張りたいから、一緒に行こう?」

「……いいけど」


 シィナがまだ10歳ぐらいだった頃、トーマが公園を走ったり、筋トレをしている間に僕はシィナの力を探ろうといろいろ試みていた。

 多分、そのことを言っているのだろう。

 シィナが身軽な格好に着替えるのを待って、僕たちは外に出た。



 公園に着くと、トーマは「走りに行くから」と言って去って行った。

 トーマの姿を見送りながら、僕とシィナは広場の木蔭に座った。

 シィナはじっと僕を見ると

「……ユズ。考えたんだけど」

と切り出した。


「私がトーマを守る」

「え?」


 僕は驚いてシィナを見た。


「少し思い出したの。私は、バリアが張れる。闘いになったら、私がトーマにバリアを張る」

「……できるの?」

「だから、練習する」


 シィナは力強く頷いた。

 自分にかけるのと他人にかけるのは難易度が全然違う。

 例えば、僕は自分に隠蔽カバーをかけて身を隠すことができるけど、これをシィナやトーマにかけることはできない。

 でも、シィナぐらい強い力があれば、できるかもしれないな。

 ……僕も、練習してみようか。


「シィナ、僕は自分になら隠蔽カバーをかけられるんだ」

隠蔽カバー?」

「こういうの」


 僕はやって見せた。……おそらく、シィナの目の前から僕の姿が消えたはず。


「……消えた!」


 僕はそっと立ち上がると、シィナから少し離れた。

 しかしシィナは僕の気配は感じ取れるらしく、ずっと僕を目で追っている。


「おい! ユズは? どこに行った?」


 遠くから僕たちを見ていたらしいトーマが、慌てたように駆け寄って来た。

 僕の横を素通りする。


「……そこ」

「へ?」


 シィナが僕を指差す。

 トーマがこっちを向いた瞬間、僕は姿を現した。


「うおっ!」


 思ったより近くに居たことに驚いて、トーマが声を上げる。


「何だ?」

隠蔽カバーっていって、身を隠すことができるんだ。シィナに説明してた」

「なるほど……それで遊園地でも知らない間に姿が見えなくなっていたのか」

「自分にしか使えないから、練習しようかと」

「練習?」


 シィナを見ると、シィナは頷いてにっこり笑った。

 立ち上がってトーマの近くまで歩いてくる。

 そしてトーマを見上げると

「私もバリアの練習する」

と力強く言った。


「ユズと、練習する。身を守る練習」

「……なるほど」

「私が、トーマを守る」

「へ?」


 トーマが驚いたようにシィナを見た。


「トーマがもう力に吹き飛ばされたりしないように、私がトーマを守る。だから……一緒に居てね?」


 そう言うと、シィナはトーマに抱きついた。


「わぁ! だからいきなり抱きつくなって!」

「一緒に居てね?」

「わかった、わかった。一緒に居る、居る」

「……うん」


 シィナは満足そうに微笑んだ。

 トーマは顔を真っ赤にしたまま「じゃ、また行ってくるから」とだけ言って再び走りに行った。


 僕の目の前で何を繰り広げてるんだか……とちょっと思ったけど、トーマとシィナの様子を見ていると、何も言えなかった。

 先のことはわからないけど、今、無理矢理二人を離れさせる必要は……きっと、ないんだ。


「……じゃ、お互い相手に術をかけられるか練習してみようか」


 僕がそう言うと、シィナは元気に「うん!」と返事して、にっこり微笑んだ。

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