第33話 絶体絶命

「どうしてついて来たんだっ。理由がわからない。なんとなくってなんだっ!」


 もう何度目かわからない桜雅の叱咤に朱璃は再び視線を外した。

「だからーーごめんって」



 今から二時間前、白桜雅は人質の解放を条件に、自ら進んで孫卓言に拘束された。


 その頃、弟皇子が謀反を起こし王が危篤状態であるという噂とともに、孫家とその派閥が謀反を起こしたというという噂も流れ始めていた。


 庶民の間では美男子で豪傑な白蘭雅王は人気があった。その王に引けを取らない燃ゆる緋色の髪をした美青年、桜雅は民への露出が少ないにも関わらず人気が高い。


 孫卓言の指定した場所に向かった桜雅は、堂々とした態度で自分自身と人質となった20名の民との交換を求めた。その民を想う慈愛に満ちた言葉に人質となった者から泣き声すら漏れ、中には桜雅を止める者すらいた。


 後に、この人質交換の一件は白桜雅皇子の人柄と人気を語るのに欠かさぬ美談として語り継がれることになる。


 とにかく、桜雅の登場で無事に人質交換が終わったのだが、そこで思わぬ事態が起こった。


「私も一緒に連れてって下さい」


 誰もが予測していなかった乱入者に、桜雅を始め仲間たちが面喰らう中、孫卓言も例外ではなかった。


 邪魔をされて苛立った卓言に、そこらの商団の娘では人質の価値すらないと切り捨てられそうになった時、卓言の部下の1人が吊り橋で景雪の名を呼ぶ朱璃を覚えていた。


 秦景雪の関係者だとバレた朱璃は、晴れて人質となったわけだが、その行動を桜雅は猛烈に激怒しているという訳だ。


「どうしてついて来たっ」


「んーー1人やったら寂しいやん」


桜雅に思いっきり睨まれ朱璃は首をすくめた。

「ほらっ、2人やったら話も出来るし、気も紛れるやん。なっ」


「なっ、じゃない。楽しく話をしてある場合じゃない。あと1時間もすれば、俺たちは確実に海の中だ。わかっているのか!」


人質となってから目隠しをされ連れて行かれたのは入江の洞窟の中だった。あや良くば、景雪らと同じ場所に監禁されるかと、思ったが考えが甘かった様だ。


しかもこの場所は卓言の捨て台詞通り、満ち潮と共に水位が増してきている。岩壁には満ち潮時の水位と思われる跡が残っていて、縛られている桜雅より頭1つ分は上にある。


 そう、2人は1人ずつ柱にくくりつけられているのだ。磔刑である。


そして最悪な事に後をつけている筈の泉李と琉晟らにも不測の事態が起こったのか、未だ助けは来ていなかった。


絶体絶命の窮地に陥り、桜雅は己の甘さを大いに反省しているのだが、その怒りを、つい朱璃にぶつけてしまうのは若さゆえかも知れない。


いや、自分1人なら静かに現状を受け入れていただろうが、隣に朱璃がいるという信じられない事態に苛立ちを抑えられないのだ。


「まぁ、大丈夫やって。まだ時間はあるし、助けに来てくれるって」


 明るい声からは恐怖心や不安は感じられない。


「……はぁ」

朱璃の能天気さを呆れていると、次第に桜雅も落ち着いて来た。


「この3日間で、少しはお前を理解したと思っていたが、お気楽な性格ということしかわからん」


「ありがとう」


「褒めてない。呆れているんだ。お前みたいな女は会った事がない。お前の国の女は皆そうなのか?」


「私の国特有というわけではないと思うけど」

 むしろ、日本人はお気楽とは言い難い気がする。

 朱璃はどう説明しようかと考えていた。


「じゃあ、お前が変わっているんだな」


「えーー!?決定なん」


 不満そうな声を上げるも強く抗議してこないとかを見ると多少自覚はしているのだろう。桜雅は少し離れた所で同じ様に両手両足を縛られ、木柱に縛られている朱璃を見た。


数カ所にあかりが灯されているのと、入江から差し込む月明かりで、表情は見えないが朱璃の姿は確認出来た。


 朱璃と再会してからの怒涛の3日間を思い起こしていた。

「そういやぁ、お前とゆっくり話をしたのは初めてだな」


「そうやったね。初めて会った時は言葉が解らなかったし、3年ぶりの再会もゆっくり話す時間がなかったし」


 考えてみるとまだ3日しか経ってないと朱璃が笑い、つられて桜雅も笑った。

 なん濃厚な3日間。


「3年前は聞けなかったが、お前、どうしてここへ来たんだ? 帰る方法はあるのか」


「何で来たかどうやって来たか全然わからへんし、帰る方法もわからへんな。っちゅうか帰れたら帰ってるわ」


「……それはそうだな」


 帰れるなら帰ってるという言葉が、胸に鈍い痛みを与えていた。桜雅に、そして朱璃にも。


「あははは。もう諦めたし、ここも気に入ってるし」

この状態でなくとも、桜雅に心配をさせるのは本望ではない。努めて明るく朱璃は振る舞った。


「どういう状況でこの世界に来たんだ?」

 朱璃が帰りたいのなら帰してやりたい。彼女を待つ家族や友人がいるはずだから。自分の胸の痛みは無視し、なにか手掛かりはないか考える事にした。


「……。あんまり覚えてないんやけど、塾の帰り道、月が綺麗でちょっと近くの公園で散歩してた。逢ヶ池に月が、映ってて本当に綺麗で、記憶はそこまで。もしかして私身投げでもしたんかな」


「身投げって……、なんて馬鹿なことを!! どうしてだ!」


 驚きのあまりの大きな声が、岸壁に反射してか洞窟に響いた。


「い、いや。すまない。人には色々事情もある。言いたくなければ言わなくていい」


「ちょっと待って。身投げちゃう! 私死ぬ気なんかなかったし」


「そ、そうか。すまない」


「いや、あやまらんといて。んーーと、死ぬ気は無かったんやけどな、逃げたかったのは事実かな。親の期待に答えられなくて、もう何もしなくてもいいって言われてしまってな。愛されて無かったわけではないねんで。大切に育ててもらってたから。

それでも、なんか、なんかな、居なくてもいいって言われてるような気がしてん」


「そうか……」


「その頃は自分の進む道が見えなくなってて、だから言われた通りにしようと思った。歩きなさいって言われた道は、政略結婚だったんやけど、私の美貌が役に立つのならそれでいいかと思ってた」


「そうだったのか。立派な選択だったな」


「……そこはつっこんでくれんと恥ずかしいんやけど」


「……?」


「ええわ」


「何だ」


「私も桜雅の事、色々わかって来たって事や」


 桜雅は一国の皇子らしく、頭脳明晰、品行方正、眉目秀麗と申し分ないが擦れていないというか天然な所もあり、それが御愛嬌といったところか。朱璃は桜雅を可愛がっている側近たちの気持ちがわかる気がした。


「えっと何処まで話したっけ」


「お前の美貌で政略結婚するところまでだ」


「……」

 結構いい性格してるな。


「くっくっくっ。悪かった。で、婚礼はあげたのか」


「それは未だや。学歴の問題もあって大学は行くことになってて、22歳で結婚やったかな」


「医学を志していたと聞いたが」

「うん。家が病院だったし、自分も医者になるつもりだった」


「諦めたのか」


「うん。私、あほやったしかなり勉強が必要で、結局諦めて、看護師にはなりたかったかな」


「かんごし?」


「医者の手伝いとか、看病とかする仕事や。一瞬で却下されたけど。まぁーーそんなこんなで、自分の進路とかわからなくなってて、先が見えなくてなぁーー。今思うと自分で目をつむっててん、見たくなくて。だから、穴に落っこちてここに来てしまったんやと思う」


「穴に落ちたとして、お前最初は何処にいたんだ?」


 朱璃の話はとても共感できることもあり、胸が苦しくなった。しかし桜雅は自分が落ち込むわけにはいかないと、出会ったあの日の事を思い出して話を変えた。


「気がついたら草っ原に寝ててん。夢の世界か、黄泉の国かとウロウロしてたら何か物騒な物振り回している人に出会って、思わず声を出してしまった」

 朱璃の声は明るいものだった。


「あれは俺に向けられた刺客だった。油断して1人でいるところを囲まれてて、お前のお陰で命拾いをした。お前がこの世界にきたのは、俺を助けるために神が為された事かもしれない」


「あはははっ。バチが当たったと思うより、その方が素敵やな」


 あの時、目の前に立つ青年の美しい夕焼けのような髪、そして深い瑠璃色の瞳にどれほどの驚いたか、その思いはまるで昨日の事のように思い出された。


 桜雅はかなり本気で朱璃との運命を感じていたのだが、朱璃は罰だといった事にここに来てからの苦労が伺え、気の毒に思った。

「この国に慣れるまで、大変だったな」


「うん。まぁ、えらい目にあったな……。大変過ぎて、実はあんまりおぼえてへんねん」


 そう言って笑う朱璃は強がっているようには見えなかった。3年間でその苦しみと悲しみを、乗り越えたのかも知れない。それを支えたのは景雪と琉晟なのだ。朱璃の事情を知らぬまま彼らに預けたのだが、改めて良かったと思う桜雅だった。


 ただ、朱璃が一番辛かった時に側に入れなかった事は悔やまれる。胸にモヤモヤとした気持ちが残ってしまう理由を桜雅は理解できずにいた。


「よく頑張ったな。本当に凄いと思う」


「ありがとう」


 朱璃は桜雅に話したことで、何となく肩の荷が下りたような気がしたと同時に恥ずかしさも込み上げてきたので話を変える事にした。


「桜雅は凄く大切にされてんな。皇子という立場抜きにしても」


「ああ、側室の子なのに父上にも、兄上たちからも凄く可愛がってもらった。感謝している」


「うん。口の中に入れても痛くないような異常なほどの溺愛っぷりだって景先生が」


「口ではなく目だが、確かにこの歳では恥ずかしいほどだな」


「ふふふっ」


「俺の母親は茶国の妓女だったんだ。まだ公子だった父が外交で茶国を訪れた時に一目惚れをしたらしい。三日三晩くどき続けて、最後は泣き脅してやっとの事で連れて帰ってきたというのはこの国では相当有名な話だ」


 桜雅の呆れてような言い方に朱璃は思わず笑った。


「母は桜の姫と呼ばれるほどの舞の名手で、そこから俺は桜雅と名付けられたらしい」

「桜雅にぴったりの名前やなーほんまに」

「嫌だったけどな。この名前も、この髪も、瞳も、全部嫌いだった」


「うん……分かる気がする」

 たとえ大切にされても、自分の立場というのは、いくら幼くても分かるものだ。そんな複雑な立場にいた幼い頃の桜雅の辛さに同情せずにはいられなかった。


「それに母はこの国の気候が合わなかったのか、俺を生んでからすっかり病弱になってしまって、俺はどうして父に付いてきたのか理解出来なかった。母に聞くと、恋をすれば分かると笑っていた。死んでもいいと思えるほどの恋をしろと。残念ながらまだ解らず仕舞いだが」


「そーやなー。一生に一度くらいそんな恋をしてみたいな」


「出会えると思うか」


「大丈夫。生きてたら1人くらいそういう人と巡り会えるって」


「生きてたら、か。洒落になってないな」


「あはっ ほんまや。……っ」



 笑っていた朱璃が、思わず小さく悲鳴を上げた。


「大丈夫かっ」


「大丈夫大丈夫。ちょっとしみてん。海水やからな」


 気を紛らわす為に、話をし現実逃避しても、着実に海面は上がって来ている。桜雅は大腿部、朱璃は腰辺りまで達した。


 水に浸かってかなり時間たっている。体温を奪われて、全身冷たくなってきても、おかしくない。


 身体も小さな朱璃が体力も限界まできていることは容易に想像できた。


気がつけば桜雅は祈るような気持ちで助けてを呼んでいた。

「俺たちはここにいる! 入江の奥だーー!

 助けてくれーー!」


 残念ながら返答はなく、波の音だけが静かな空間に響くだけだった。

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