第34話 朱璃と桜雅

 桜雅の声も潮のせいか掠れてきていた。

声を出すたびに痛みが走るが、そんなことはどうでも良かった。近くに仲間がいるのなら、少しでも早く居場所を伝えたい。1秒でも早く、朱璃を水の中から出してやりたい一心で、桜雅は叫び続けた。


 「桜雅……」

こんなことで取り乱すような桜雅ではない。短い付き合いではあっても、今、必死で叫んでいるのは、自分の為だと朱璃は気付いていた。朱璃も桜雅の為に叫びたかったが、それはなんの解決にもならないということもわかっていた。


「お前が止めろ」

師匠の顔が目に浮かぶ前に、朱璃は桜雅を止めていた。


「桜雅っもういいって。大丈夫。私は大丈夫。やめて、お願いだから。私は大丈夫やしっ。な、体力温存しないと」


「体力温存しても、水の中では生きられないんだぞ」


「あはっ そうやったな」


 笑っていた朱璃に、桜雅が思わず漏らしたうめき声が届いた。桜雅の大腿の傷を思い出す。


「桜雅っ大丈夫っ 傷染みるん!?」

朱璃が両手足の縄を解こうと再びもがくが、ギシギシと頭上で小さな音がするだけだった。


「俺は大丈夫だ。この位なんともない。それよりも……」



 桜雅は朱璃の方が心配だった。相当厳しくなっている筈だ。さっきのように自分が取り乱してはよけい朱璃に負担をかけることになると反省していた。

そして、今 自分が出来ることは、せめて気力だけは失わない様に話しかけ続ける事だと考えた。


「腹がへったな」

「えっお腹?」

 突然な、桜雅の言葉に驚くも、桜雅の心配こころくばりに気付き心が温かくなった。


「ああ。関所で飛天を持っている間に少し食べたがあれから食べてない。こんな事なら、あの焼きもろこしを食べておけば良かった」


「ほんまやで。私は2本食べたで」


「……お前は、見かけによらずよく食うな」


「あははっ 食べるの大好き」


「そう言えば、お前から貰った玉子。俺は初めて玉子かけご飯を食ったんだ」


「どうやった?」


「うまかった! あんなに美味い玉子は生まれて初めてだった」


 お世辞で調子のいい事を言う性格ではないとわかっているので、心から出た言葉だとうれしく思う。

「良かったーふふっ」


 こんな状況なのに、玉子かけご飯を語る桜雅がなんだか可愛く思えて朱璃は思わず笑みがこぼれた。

 考えてみれば、この3日間桜雅の厳しく辛そうな顔ばかり見てきた気がする。そう思うと心が痛んだ。


「今度、王都の市場に連れて行ってやる。各州の色んな物が集まってくる。きっと食べた事の無いものもあるぞ」


「うわー行きたい。美味しい物いっぱい食べよう!」


 

たわいの無い話を続けていたが、朱璃の声も次第に明るさが無くなってきた。時折漏れる吐息から朱璃の震えが伝わってくる。


「必ず助けに来てくれる。もう少し頑張れ」


「うん。大丈夫 信じてる。……それにしても、孫って人ほんま趣味が悪いなーー。水責めやって」


「そうだな。あの人は俺たちに相当恨みをもっているからな。時間をかけて苦痛を与えて殺したいのだろう」


「趣味が悪いだなんて、人聞きの悪い事おっしゃいますね」


「孫卓言!」


 闇と波の音のせいで、人が来ている事に気がつかなかった。

 この至近距離で人の気配を察することができないのは普通ではあり得ない。桜雅のダメージも相当のものだと容易に想像がつく。


「おや、まだかかりそうですね。もうそろそろと思いましたのに」


「わざわざ会いに来てくれるとは親切な事だな」


「そんな事ありません。皇子が命乞いなさるのを楽しみにしているだけですよ」


「うわーーやっぱり趣味わるーー」

 朱璃が呟く。


「いい趣味だな。俺たちと同じ様に兄上や景雪らも殺したのか」


「ふふふっ まだですよ。しかし、もう彼らに用はありませんから直ぐにあの世で会えますよ」


「用無し?どういう意味だ」


 景雪居場所はもう特定できたのだろうか? 事件は自分らの事を除けばほぼ解決しているが、景雪らが再び捕まったことに桜雅は引っかかっていた。何か、重大な事を見落としているのではないか。


 卓言は馬鹿だが、子供騙しの誘導尋問に引っかかっるほど馬鹿ではない。慎重に言葉を選らび、少しでも情報を引き出したい。


「あなた方にはもう関係の無いことですが、冥土の土産くらいにはなりましょうからお教えしましょう」


 卓言思ったより馬鹿だった。嬉しい誤算かも知れないと朱璃が桜雅を見ると桜雅もうなづいた。


「先程、賀国外長官殿から、祇新国王 孫公槿殿への祝辞が送られてきたのですよ」

 よほど嬉しいのだろう。一段と高い声で自分から喋り出した。


「……そんな馬鹿な」

 桜雅は生きている現王が賀国の外長官と協議を行った事を聞いているので、今卓言がもっとも喜びそうな言葉を言った。


  案の定、気持ちの悪い笑い声を聞く羽目になってしまったが、景雪たちのことを聞くとさらに饒舌に話し始めた。


「彼らは生贄になるのですよ。その身を神に捧げることによって、公槿様のため、お国のためになるのですから本望でしょう。劉莉己はもしかしたら公槿殿が剥製になさるかもしれませんが」


「生贄……剥製……」

 敵ながら考え直せと言いそうになった時だった。


「卓言様。そろそろお時間でございます」

 外に控えていたらしい従者が声をかけてきた。


「わかった。皇子殿の最後のお姿が拝見出来なくて残念でしたが、元よりこの暗さではどちらにしてもよく拝見出来なかったでしょう。それに、秦景雪の泣き顔の方が見ごたえありそうですしね。くっくっくっ、では失礼致します。黄泉の道で待っていて差し上げて下さい」


 声高々に恍惚とした笑い声を響かせながら去っていく卓言に、2人は顔を見合わせていた。


「あの人ツッコミ所が多過ぎるわ。はぁ~何か余計疲れた」


「語るに落ちるだな」


「そんな格好いい言葉使うのももったいないわ」


「ふっ」

 この状況に置いて、平常心を保っている朱璃の度量の大きさに桜雅は感心していた。


「そのお陰で景雪たちが生きているのが分かったし、公槿をおびき寄せる手筈も整ったのも分かった」


「あーー。そうやった。でも、何で大人しく生き埋めにされたんやろ」


「生き埋め!? 生贄と言っていたがどうして生き埋めだと?」


「えーなんとなく? 私の居た世界では、王の城などを建築する時、土地神様への生贄に人柱をたててん。今はそんな事してへんけど。あの人趣味悪いし、また変な事してそうやん」


「俺たちが水責め、景雪らが生き埋めか……」

 朱璃の仮説に妙な説得力を感じ、桜雅は孫家にゆかりのある建設中の宮を思い浮かべた。


「銀鐘宮を一部増築すると言っていたな。……銀鐘宮は祖父の時代、孫家当主が下賜されたものと聞いている。そこへ身柄を移されたのか……おいっ、朱璃!」


 返事がなかった。

 変わらぬ規則的な波の音しか耳に入って来ない。海水は桜雅の胸近くまで達していた。

ぞくっと嫌な悪寒が桜雅を襲い、無意識の内に鋭い声を上げていた。


「朱璃!!」


「……あ~、寝てたわ、今……あははははは」


「おいっ、朱璃! 水死体は醜いぞ。景雪になんと言われるか」


 もっとマシな事が言えないのかと我ながら情けなくなったが、意外にも効果はあった。


「いややっ、それはあかん。いつか見返してやろうと思っているのに、せめてばっちりメイクしとかなあかん」


 朱璃の声に少し覇気が戻ってきた。

内容はあまり理解出来なかったが、この状態でも乙女心は健在なのだと桜雅は感心してしまった。


「いや、すまない。お前醜くないからな。美しいぞ」


「男の子やと思ってたから、3割増しくらいに見えるんやわ」


 この世界にきて思う事、美形が多い。

 全体的に整った顔をしているのだ。その中でも、ハイレベルな桜雅に美しいと言われるのは、かなり恥ずかしい。


「違う。美しくなって驚いた。景雪が誇らしげにするのが分かるな」


「誇らしげな意味が分からないけど、先生は私のこと、カエルとか牛とか、団子とか言ってるし人間だと思ってないかも」


「景雪は素直じゃないからな。そう言えば、景雪が、お前の事をバクって呼ぶのはどうしてだ?」


「分からへんねん。ずっとお前とかガキとか呼ばれてたんやけど、ある日突然おまえはバクだって。その頃言葉をよくわからなかったからいつか分かるかもれないと思ったんやけど。やっぱりわからへんわ」


 3年間で育まれた師弟愛の深さを至る所で感じ、ちょっと羨ましい。


いや、かなり羨ましく、そして面白くなかった。だから、景雪なりの愛情表現で、しかもかなり深いということは言わなかった。


「……」


「朱璃っ!起きてるか」


「うん、起きてる。水死体いやや~」


「だったら諦めるな。きっと助けは来る」


 もう時間はなかった。朱璃の体力も限界を超えているだろう。


「朱璃、水はどの辺りだ」


「首?」

 かなり深刻な状況なのに相変わらず呑気な声。しかし桜雅は焦っていた。


「首!? 背伸びをしろっ、限界まで浮かんで耐えろ!」


  背伸びも浮かぶことも出来ないよう縛られているのにと朱璃は少し可笑しくなった。

「はーい」


「首を伸ばして、思いっきり伸ばせ」


「亀とちゃうから伸びひんし」


「弱気な事を言うなっ諦めるな」


「うん。あーー寝そうや……そや、これだけは言って……おかないと」


 桜雅の声が聞こえる。身体が重くて、自分の意思では動かなくなっていた。


「朱璃! しっかりしろ! 寝るなっ」


「景……先生に、……す……」


 全神経を傾けて朱璃の声を聞き取ろうとしても、それ以上何も聞こえなかった。


「朱璃っ 朱璃っ 駄目だ! 寝るな! 景雪に何を伝えるんだっ。聞こえなかかったぞ!」


 喉も眼も焼けるように痛い。


 それでも桜雅は全ての力を振り絞って叫び続けた。


「朱璃!! 死ぬなーー!!」

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