第31話 朱璃と飛天

「ここまでくれば大丈夫やな」

飛天の馬が、全長数百メートルある関所を、走り抜けるのにそれほど時間はかからなかった。

飛天を通す為に彼の部下は非常に統率のとれた動きを見せたからだ。


途中から降り始めた雨が本降りとなり、後方の桜雅と桃弥の姿が確認出来なくなっても、飛天はスピードを落とさなかった。


 どうかみな無事で……。彼らの事は信じている。きっと大丈夫。それでも朱璃は祈らずにはいられなかった。


朱璃を乗せた飛天の馬は軽快に竜興宮に向かう。時折待ち伏せをするように現れる追っ手は、飛天が軽々といていくか、戦意を喪失させる程度に剣を交える。


傲慢なまでに自信満々な飛天が言った通り、朱璃は何もせずとも良かった。守られているだけで、なにもさせてもらえなかった。前の世界と同じ。


やがて速度が緩まり飛天の取り巻く空気が柔らかくなった事を確認してから、朱璃はずっと考えていた事を口にした。


「天さん。私、天さんにはご迷惑ばかりかけていて説得力ないと思いますけど、私の事、そんなに甘やかさないで下さい。怪我をしたのも自分のせいですし」

 

朱璃の言葉に飛天は引っかかった。

しかし朱璃の事をあまり知らないので、言葉の通りに受け取っていいのか、その奥に何か意味するものがあるのか、判断がつかない。聞いてみるしかないなと飛天は考えた。


「朱璃ちゃんは甘やかされてるって思うん?」


「はい。私、武官になりたいんです。なれるように努力してきたつもりです。こう見えて結構強いし、丈夫なんです」


「それって、私は剣も弓も使えるから守ってもらわなくてもええっちゅう事?」


「傲慢ですよね。大した腕じゃないのに」


非難されたも仕方がないと思って飛天の顔が見れず自然と朱璃は下をむいた。それなのに飛天の声は優しかった。


「あほ。傲慢とか、そんな子やないのはわかってるわ。そーやなくてな、朱璃ちゃんみたいに若くて可愛い女の子は黙ってても守ってもらえるとか、助けてもらえるとか思わへんの?」


「あははっ。そういう人もいるかもしれませんけど、私にはそんな価値ありません。それなのにこちらの世界に来てから、すごく助けてもらってお世話になって、ありがたいと思っているんです。その恩返しというか少しでもお役にたてることがあるのなら、私、なんだってやりたいんです」


「なるほど」


目の前に座る朱璃は飛天の胸ほどしかなく、とても小さく感じる。市場で初めてあった時、この華奢な身体で男3人と格闘していた。しかもなかなか手慣れた奴らを相手に一歩も引かず、むしろ手加減する余裕すらあり、その逞しく眩しい生命力に感嘆したことを思い出した。


再会してからの朱璃は、意固地にまで守られることを否定していた。迷惑をかけている自身を非難するあまり、自分が犠牲になる道、人の盾となる道ばかり進もうとしている。


相反する朱璃の性質はどこかあぶなっかしい。

自己評価が低いのは謙っているのではなく、本気でそう思っているのだろうと飛天は肩をすくめた。


「朱璃ちゃん、ここにくる前はどんなことしてたん?」


 この世界という言い方をする理由はわからないが、少なくともこの国の出身ではないのだろう。漆黒の瞳と髪は東の国に多いが、そこのものとは少し異なる。


「学校に行っていました。学校というのは子どもたちの教育をする機関で、私の国では7才から17才くらいまではほとんどの人が学校に行くんです。その後どういう職につくかは人それぞれです」


「そうかー 賢い子やってんな。見た目で判断してたわーごめん」


「ぷっ 私あほですよ。見た目どおりです。

実は親からも兄弟からも期待されてなくて、役に立てるのは政略結婚くらいやったんです。 それなのに景先生が武官になれるように指導してくださってすごく感謝しています。ちゃんと就職して自活できるように頑張ります」


 固い決意を熱く語る朱璃には悪いが、飛天は全く納得できなかった。

なんで武官やねんっ!他になんぼでもあるやん。


「朱璃ちゃんなんで、武官になろうと思ったんや。 っていうか武官って何するか知ってるん?」


「知ってますよ。警備隊です。国家公務員です。武術で国守るとかみたいに大それた事は無理ですけど、地方で一般庶民のために働きたいと思っています」


「……。なんでしんどい仕事選ぶん? 文官でもええやん」


「無理です。私、読み書きダメダメです」


「そーなんや?」


 貴族でなければ、読み書き出来ない者も大勢いる。

 別におかしいことではないが、さっき教育を受けていたと言っていたし、イントネーションはおかしいが目上の者に対する態度や言葉を使いも問題ない。むしろ人を疑わない素直すぎる性格からも育ちの良さが滲み出ている。

 どこかしっかりこなくて飛天はさらに首をひねった。


「まぁ、よくわからへんけど、俺は朱璃ちゃんが可愛いし、どんなに嫌がられても守るで。たとえ俺より強くて国一番の武官で守られる必要なくても守りたいって言う気待ちは変わらへん」


「天さん。それはだめです。私にそんな価値ないですから」

 朱璃は飛天を見上げた。どうして そんなことを言ってくれるのか分からない。


 あーーそういうことか……

朱璃の言葉を聞いて、飛天は心の中でを深くため息をついた。そして、やられたと。悪友の顔が頭にうかぶ。

「価値のない人間や」言ったおぼえがあった。

 思春期の頃の苦い思い出が蘇ってきた。自分の存在意義に疑問を持ち、生きるのを諦めたことがある自分にわざと朱璃を預けたのなら、相変わらずムカつく奴だ。


価値を決めるのは自分の価値観(人生の基準)。その価値観をつくるのは、生まれ育った環境、家庭や社会だと言われている。どこにその基準を置くか、それによって自分らしい人生を歩める。


朱璃は、役に立てない=価値がないと価値観が見え隠れしている。


役に立って初めて居場所を見出せるのなら、武官になることは最初の一歩としては間違ってはいないだろう。

 かつての自分がそうだったように、自身の生きる意味を付加する目標をもつと値観の優劣が気にならなくなってくる。


「なんであんなに悩んでたんだろう」と思えるようになったのはいつ頃だろうか。


 なんだかたまらなくなって前の朱璃を抱きしめた。


「ぐえ」と色っぽくない声あげてるが気にしない。


「俺は俺のしたいようにする。超我儘男やし、あきらめ。気は変わらん」


 頭をややきつめに撫でてグリグリすると「背が縮むからやめて下さい」と小さな声で講義してきた。


 朱璃が強く拒否してこなかったことが嬉しくてもう一度抱きしめ、すりすりと髪に頬擦りするとさすがに暴れ出した。

「おわっ 落ちる落ちる。ごめんごめん」

 慌てて離れると、思いっきり睨まれる。


あの頃の自分より全然ましかな。

あーそうか、景雪たちががここまで導いてきたのか。武官になるという目標を持ち、民の役に立ちたいと言っていたことを思い出した。

 それにしてもなんで武官なんやろ。


 雨はいつのまにか小降りになり、薄っすらと月光が夜道を照らしていた。飛天は馬を止め大木の下に入り、朱璃の息が整ったところで飛天は話題を変えた。


「朱璃ちゃんにお願いがあるんやけどな、あれ、無かったことにしてくれへん?」

「あれ?」


「朱璃ちゃんが俺の女になるっちゅうやつ。景雪と桜雅いじめよーと思ってついた嘘やねん」


「……?」

 朱璃が首を傾げた。どうしてそれがいじめになるのか、朱璃にはさっぱり分からなかったのだ。


「天さんが桜雅の知り合いだと分かった時に本気ではないと気付きましたけど、どうしてそれが私じゃなくて桜雅や景先生のいじめになるんですか」


「う~ん。朱璃ちゃんって結構、あれやね……」


 鈍い上に天然。それとも自己防衛? とにかく、桜雅や景雪の想いは伝わっていないようだ。


「とにかく! 景雪に言わんといて欲しいねん。可愛い弟子いじめたら殺されそうやし、俺はまだ命惜しいし、彼女にもばらされたら不味いし……なっ、頼むわ」


 よく分からないこともあるが、最初から味方だった飛天の優しさが心に染み、朱璃が微笑んだ。

「わかりました。無かったことにします」


「ありがとーー。よかったー」


朱璃の笑顔が戻った事にほっとしつつも、ちょっと胸が痛んだ飛天であった。



「ほ~そんな事を言ったのか」

 雨を避けるために入った大木の陰から美声が聞こえた。


「泉李さんっ! 琉!」

追っ手から逃れる為に囮となって別行動していた2人が元気な姿を見せた。


「ご無事で……良かった」


「言っただろう 心配するなって。あの後、

人使いの荒い上司に捕まってさ色々調べてたら遅くなっちまった。ごめんな」

 朱璃が首を振る。見たところ2人とも怪我も無いようで安心し笑顔がこぼれた。


 琉晟は飛天のそばに自分の馬を近付けると、朱璃に向かって両手を差し出した。朱璃が思わず手を出した途端ひょいっと軽々抱き上げ、そのまま自分の前に座らせる。


「え~それはないやろー」


『申し訳ありません。景雪様から飛天様の半径2メートル内に近付けるなと命を受けておりますゆえ』


頭を下げる琉晟に朱璃は目を丸くした。

泉李が笑いながら、手話の意味を伝えると飛天が肩を落とした。


「ひっでぇー奴。つーか、どこいんの、あいつら」

 泉李が苦笑とも取れる笑顔で、景雪と莉己が豪華な馬車に乗って悠々と光州入りした事を告げた。

「あれは護送ではなく護衛だな。当然豪華食事付きだ」


「……」


「夜は馬車では眠れないという理由で妓楼でご一泊」

護送中、妓楼に寄って一泊する凶悪犯がどこの世界にいるのだろう。


「ほんま、メーワクな奴」


 護衛にあたっている官に同情せずにはいられない一同であった。


「まぁとにかく、あいつらは好きで捕まっているから、好きな時に逃げ出してるだろう。そんなことより、桜雅と桃弥は?」

「もうじき来ると……来た来た」


 馬の蹄の音が聴こえてきた。

 2人とまで怪我もすることなく関所を越えてきたようだ。


 お互いの再会を喜び合う様子をみていた飛天が馬首を返した。


「そんじゃあ。皆無事に帰ってきたことやし、そろそろ俺もお仕事しに行って来るわ」


「見つかったのか?」


「そやねん。朱璃ちゃんのお手柄や。玉子の卸売問屋に葎らが向かってんねん。そや、桃弥手伝って」


「分かりました」


「んじゃあ、また後でな」


 せわしなく飛天と桃弥が行ってしまい、残りの者はひとまず竜興宮へ行くことになった。

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