第16話 兄弟(2)
景雪に良く頑張ったなと声をかけられた事のない桃弥。もしかして、兄上偽物!?
気持ちを落ち着け、景雪を凝視した。
貴公子の中の貴公子と異名を持つ美貌は昔と変わらず、むしろ年を重ね落ち着き、しっとりとした色っぽさで男っぷりが上がっている。耳元で囁かれるとどんな女性でも腰が抜けてグダグダになると定評のある声も、偉そうな口調も景雪そのものだ。
よって、導いた答えは不治の病説だった。
「どうして俺が病にかかったんだ」
「えっ……そうで無いのなら良いのです。兄上にはまだまだ長生きしてもらわなければなりませんから」
高齢者にかける様な言葉を本気で言っている桃弥と、呆れ顔の景雪を少し離れた所で見ていた琉晟は忍び笑いをしていた。10年近く側にいるのだ。どちらの思考回路もほぼ正確に理解できている。
どちらに言っても嫌な顔をするだろうが、驚いたり眉を寄せたりする小さな仕種がそっくりだ。やはり兄弟なのだと微笑ましく思っているとやっと朱璃が戻ってきた。手を貸していると景雪が代わりに庭の方へ行ってしまった。
自分の方にやってきた女性とどこかへ行ってしまった景雪。桃弥がオロオロとしていると、その女性が恭順の意を表すように片膝をついた。
「桃弥様、あの時は助けていただき、その上やさしくしていただいて本当にありがとうございました。心より感謝しております」
大きな漆黒の瞳を見つめ、目の前の美女の言葉を反復する。
「もっもっ、もしかして……朱璃?」
「はい。朱璃です」
女だったのか……。言葉が通じなかったとはいえ坊主と呼んでいた事を思い出した。
「……いや……申し訳なかった。俺てっきり男の子だと。女性だと気が付かず失礼な事を」
「そんな、謝らないで下さい。私こそ皆さんを騙すような形になってしまい、申し訳ありませんでした。あの時、男の子に間違われている方が安全だと思って否定しなかったんです」
「いや、それは当然だ。警戒しない方がおかしい。気にしなくても良い」
桃弥の言葉に朱璃の緊張がほぐれ、表情が柔らかくなった。そして先ほどの桜雅の言葉を思い出し少し笑った。
「どうかしたのか?」
「先ほど桜雅様は、私が女だとお判りになった時、異国の民は成長すると女に変わるのかと仰って」
「……」
馬鹿だ。友人であり家臣である桃弥も弁明の余地もない。朱璃が気を悪くしていなさそうなのが救いだ。
「琉晟も見てたやんなーーあれは可笑しかったなぁ」
側にいた琉晟に、同意を求める朱璃。
薄茶色の綺麗な目を細め頷く琉晟に桃弥はとても驚いていた。先程会った時も感じたのだが、以前に比べて雰囲気が随分と柔らかくなった。と言うか別人?
琉晟は10年位前に、景雪が突然家に連れ帰った。過去に辛い目に会い、記憶を失い、言葉を発する事が出来なくなっていると泉李が言っていた。
人間不信という言葉に縁のなかった桃弥は自分がいかにお気楽なのか幸せなのかと気付いたきっかけとなる出来事であった。そのころは琉晟の周りには見えない壁が存在していたが、少しずつ小さくなっているように思える。
『でも、私は貴方がデコピンをした方が驚きましたよ』
手話を見て桃弥が聞き返す。
「デコピンしたのか?」
「はいっ思いっきり」
「あいつどんな顔してた?」
『豆鉄砲を食らった顔というのがぴったりのお顔ですね』
「うわー見たかったなー」
笑い転げる桃弥に朱璃は内心ホッとしていた。景雪に酷い目に遭わされたのに、こうして何も無かった様にしている桃弥の心の広さに感心したと言っても良いだろう。
「でもさー本当に大変だっただろ? 言葉もわからないのに、あんな変な人のそばに置いていかれて、本当に良く頑張ったな」
今にも泣き出しそうな顔をしていた朱璃が目に焼き付いており、元気に再会できた喜びがこみ上げてきた桃弥は朱璃の頭を撫でた。
「……景先生も琉晟も本当に良くして下さいました」
3年前は弟分的な感じだったのに、なんだろこの抱擁力。一瞬ドキッとし朱璃は目を泳がせながらいった。なんかいい男になってる。
「琉晟も大変だったろう。ありがとう」
恐らく殆ど琉晟が面倒をみたに違いないと確信しての言葉である。
朱璃はどこまでも優しい桃弥に胸が熱くなった。
「桃弥様、本当にお優しいですね」
「な、なんだ急に」
「だって景先生に酷い目に遭わされたのに、さらっと水に流して、私や琉の心配をしてくださいました。普通ならそんなにすぐ切り替えられないと思います」
褒められて(しかもこんなに可愛い子に)悪い気はしないが、今の言葉、凄く引っかかる。
「………!」
桃弥は思い出した。今までの悪戯の中で間違いないなくワースト3には入る あの《壺事件》をどうして自分は忘れて、心ウキウキと自ら訪問したー!?
そうだ。
莉己様が言ったんだ。兄上が女性を連れてきたと。それで嬉しくて……。そのあと朱璃が女だとわかって。
桃弥は自分の思考回路に呆然としていた。我ながら呆れて物も言えない。
しかも、朱璃は優しいと勘違いしてる。
穴があったら入りたい。
突然赤い顔をして、なにやら苦しげに頭を抱えてしゃがみ込んだ桃弥に朱璃は慌てた。
琉晟を見ると、苦笑して心配いらないと言う。
「莫迦な奴……。成長してねーな」
長椅子で寝ている景雪の呟きは3人には聞こえなかった。
しばらくして桃弥が顔をあげた。
「取り乱してすまなかった」
「いえっ、そんな、私こそ失礼してしまったのでは」
「違うんだ! えっと、お前は悪くない」
桃弥が溜息をついて、朱璃に少し先の縁側に座る様に促した。そして自分も隣に座った。
「あのな、さっき俺が優しいって褒めてくれただろ?あれな、誤解なんだ」
桃弥が何を言おうとしているのか予想出来ず、朱璃は首を傾げた。
「情けないんだけど、あの壺ことすっかり忘れてここに来ただけなんだよ。あの事はまだ許せないし、そんなに出来た男じゃない」
「どうしてすっかり忘れたんですか?」
「うん。兄上が女性を連れていると聞いてな、まさかお前だと思わず嬉しくなったんだ」
桃弥の曇った表情を見つめ朱璃はうなづいた。景雪が数年前に恋人を亡くした事は本人から聴いて知っていたので桃弥の考えがなんとなくわかったからだ。
「すいません。ぬか喜びさせてしまって」
「謝る必要はない。勝手に勘違いしただけだしな」
「ふふふっ、桃弥様はやっぱり優しいし、いい男です」
結局のところ、壺の怒りよりも兄の幸せの方が勝ったというだけである。単純で騙されやすいかもしれないが、物の本質は本能で押さえることができるタイプに思える。
「いや、全然だめだ。常に冷静沈着であるべきなのに、直ぐに騙される」
落ち込む桃弥が気の毒になり朱璃は桃弥の頭を撫でた。
「騙すよりいいと思います。桃弥様は悪くありません。むしろ、もっと怒ってもいいんですよ。たまにはやり返さないとっ! お手伝いしますよ!」
桃弥は武官としてかなり優秀であろう。でなければ第3公子の側近になる訳がない。恐らく、こういう素直で優しい気質ではあっても、厳しく冷静な部分も持ち合わせているだろうと朱璃は思った。
しかし、桃弥自身の目標はもっと上にあって自分に厳しい。朱璃は桃弥の気持ちが少しわかる気がして、心臓がコトリと脈打つのを消すように明るく言い放った。
実は桜雅、桃弥、朱璃の歳下組は 周りからの要求が過大だったり、皆にからかわれる事が多かったりとで自己評価を下げている傾向にあった。
残念なことに師が優秀過ぎるだけでなく性格に問題あり(鬼畜)という点が何よりも不幸の原点だ。
それゆえ彼等は支えあってさらに成長し、祗国の歴史に名を残す名将となってゆく運命なのだが、扉が開かれるのはもう少し先のことである。
「お、おう。お前も、やり返したい時は力になるからな」
「ありがとうございます」
2人がニコニコとし出したのを見て琉晟が目を細めた。
『お茶が、入りましたよ。さあ。どうぞ』
甘い菓子を見て頬を緩めるちびっ子らの様子を確認してから景雪は2人に背を向けるように寝返りを打ち、やがて穏やかな寝息をたて始めた。
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